「聖女の帰還と、不毛なる序列論争」
数週間に及ぶ教会本部での『浄化儀礼』という名の長期出張を終え、聖女ヘレナがエシャン王宮へと帰還した。
彼女は馬車から降りるなり、出迎えた侍女たちの挨拶を無視して、一直線に東の離れへと突き進んでいた。
「ああ、アシュリー様! 私がいない間、あの方の清らかな安眠が、野蛮なノイズに汚されてはいませんか!? 教会の地下で聖なる祈りを捧げている間も、私の心は常に、東の離れの湿度が四十%を切っていないかという心配で……!」
特製の”高純度聖水(加湿器用)”を抱え、絶叫しながら廊下を駆けるヘレナ。その前に、一人の銀髪の女性が静かに立ち塞がった。
「……随分と騒がしい戻りですわね、聖女様。アシュリー様は今、深いレム睡眠の周期に入っておられます。……その声、三・五デシベルほど下げていただけますかしら?」
冷徹に告げたのは、帝国の至宝――アディリンである。
ヘレナは足を止め、新入りの”管理人”を胡散臭そうに睨みつけた。
「……貴女が噂の帝国皇女ですね。教会の仕事で留守にしていた間に、アシュリー様の『至高の静寂』を数式だけで管理しようとする不届き者が入り込んだと聞き及んでいますわ」
「数式は嘘をつきませんもの。……貴女のその『魂の震え』とやらよりは、私の『最適化された環境管理』の方が、アシュリー様の生活の質に貢献しておりますわ。そもそも、貴女の持ち込んだその聖水、不純物が混ざっています」
バチバチと火花を散らす二人。そこへ、アシュリーが好む「美味しい湧き水」を詰めた水筒を肩にかけた、ラフな格好のヴィンセントが通りかかった。
「……おい。そこでやるなと言っただろう。アシュリー殿が起きる」
かつての威厳ある王は、今やアシュリーの『専属御用聞き』兼『お散歩の相棒』としての風格が板についていた。
アシュリーの安眠を妨げないよう、場所を移して行われたのが、第一回『クロ様(竜)の二番目のお気に入りは誰だ会議』である。
ちなみに、アシュリーが一番なのは”世界の真理”として議論の余地すらないため、争点はあくまで”二番目”である。
「いいですか、クロ様はアシュリー様の分身も同然。あの子が懐いている相手こそが、アシュリー様を最も深く理解している証拠ですわ!」
ヘレナが会議室の机を叩く。そこには、ヴィンセント、アディリン、ヘレナ、そして様子を伺う**ダイアナ**が招集されていた。
「アディリン様、貴女は魔力を与えて媚びを売っているそうですが、それは真の絆ではありません。あの子は私の中に流れる『聖なる気配』を認めているはず!」
「あら、ヘレナ様。クロ様は非常に合理的な判断を下されますわ。私の魔力を優先的に摂取されている事実が、何よりの証明です。……陛下、貴方はどう思われます?」
「……私は、あの子に『パパ』と呼ばせたい。血も捧げているし、散歩の盾役も務めている」
ダイアナが呆れたように鼻で笑った。
「どいつもこいつも、トカゲ相手に必死ね。二番目なんて、一番長く世話をしてる私に決まってるじゃない」
「……よし、ならば白黒つけようではないか」
ヴィンセントの合図で、会議室にクロが連れてこられた。
クロは会議室に入るなり、黄金の瞳で集まった面々を選別するように見渡した。
「さあ、クロ様! 私の胸元へ!」
「クロ様、こちらに最高級の魔導石がありますわ!」
「クロ、パパの腕はここだぞ!」
必死に呼びかける王、皇女、聖女。
しかし、クロは彼らを一瞥すると、興味なさげに鼻を鳴らした。そして、壁際に静かに控えていた二人――サリーとケリーの方へと、一直線に飛び込んだ。
『キュイー!』
クロはサリーの肩に乗り、ケリーの頭を甘噛みして、文字通り”じゃれついて”いる。二人は相変わらず無言だが、クロを優しく受け止めていた。
会議室に、絶望の静寂が訪れた。
「……な、なぜ。サリーとケリーに、そこまで……?」
ヘレナが愕然とする中、彼女はぽつりと呟いた。
「……やはり。アシュリー様に“近い魂”から選んでおられるのですね」
さらなる衝撃が走る。クロは一通り侍女たちと戯れると、今度は影の中から音もなく現れたエレベルの元へ歩み寄り、その指先を『ぺろり』と親愛の情を込めて舐めたのである。
「……あはは。クロ、くすぐったいよ。君は、僕たちの”匂い”が分かるんだね」
エレベルは満足げにクロの喉元を撫でた。それを見ていたヴィンセントが、がっくりと膝をついた。
「……そうか。あの子にとって、サリーやケリー、そしてエレベルは、アシュリー殿の”身内”……。我々(餌をくれる人)とは、最初から格が違ったのか」
「……効率的な、序列ですわね。……ええ、論理的だわ(泣)」
理性の皇女アディリンも、今回ばかりは敗北を認めざるを得なかった。
(……そう。私たちは結局、“外側”の存在なのね)
クロにとって、アシュリーに最も近い存在こそが上位であり、その他は有用なリソースに過ぎないのだ。
夕暮れ。東の離れに戻った一行は、結局いつも通り、アシュリーの周りに集まっていた。
アシュリーは、自分を巡る熱い論争など露知らず、ヴィンセントが汲んできた水を一口飲み、満足げに息を吐いた。
「……ヴィンセント。この水、美味しいわ。……また明日も、お願いしていいかしら」
「……! ああ、当然だ。お前のために、一番いい場所を探しておこう」
さっきまでの敗北感はどこへやら、ヴィンセントは『相棒』としての至高の依頼に、顔を輝かせた。
(……面倒な政務より、こっちの方が性に合っているな)
アシュリーは時折、軽く咳き込みながらも、クロを膝に乗せてぐでーっとしている。
「……ふふ、賑やかね」
彼女の薄い微笑みが、今日も王宮の狂った均衡を保っていた。二番目が誰であろうと、アシュリーの隣という『特等席』に座るための彼らの奮闘は、これからも終わることはなさそうであった。
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