「選別する厄災、あるいは微睡みの行幸」
白銀の聖騎士たちが”トランク”へと詰め込まれた翌朝。
東の離れは、エルダリア帝国の至宝――アディリンの手によって、かつてないほど合理的かつ完璧な安眠空間へと作り替えられていた。
「……アシュリー様、お目覚めですか。現在、室温は二十二・四度。湿度は五十五%に固定。……陛下の献血による魔力の供給効率は、昨夜の調整により一・二倍まで向上しておりますわ」
アディリンは、もはや帝国の皇女としての威厳など微塵も見せず、一秒刻みのスケジュール表を手に、アシュリーの枕元で淀みなく立ち働いていた。
かつての彼女なら、ここで帝国の利益を計算しただろう。だが今、その思考は完全に別の一点へと最適化されている。
――アシュリーの睡眠を、いかにしてノイズから守るか。
知性は、向ける方向を誤れば、これほどまでに純粋で強固な”機能”へと変貌する。
そんな管理人の視線の先で、アシュリーは微睡みながら、膝の上のクロを指先で突いていた。
「……ねえ、クロ。あなた、昨日よりも少し……”目つき”が良くなったかしら」
『グルル……』
クロが黄金の瞳を細める。
その変化は、大きさではない。以前は本能のままに魔力を吸い散らしていた稚竜は、今、明確な”精度”をもって対象を見定めていた。
――何を、どれだけ、どの順序で摂取するか。
世界を”資源”として認識し始めている。
そこへ、朝の”食事(献血)”を届けにきたヴィンセントが部屋に入る。
「アシュリー殿、クロ。……朝食の時間だ。今日は、魔力効率を最大化する秘薬を用い、最適な状態に仕上げてきた」
ヴィンセントが自信を滲ませ、包帯を解いた左手を差し出す。
だがクロは、それを一瞥しただけで、食いつこうとはしなかった。
「……? クロ、どうした」
狼狽するヴィンセントをよそに、クロは顔を逸らし、隣に控えていたアディリンの指先へと口を寄せる。
『キュイー。……はむっ』
「あら。……クロ様、私の魔力を”先に”とおっしゃるの?」
理知的に整えられた魔力が、静かに吸い上げられる。
クロはそれを、まるで味を確かめるように時間をかけて嚥下した。
――それからようやく、ヴィンセントの血を”後から”口にする。
「……陛下。どうやらクロ様は、摂取の順序に意味を見出されたようですわ」
アディリンが、淡々と結論を提示する。
「私の魔力で神経系を安定化させ、その後に血で活動量を補填する。……効率だけを考えれば、極めて合理的な構成です」
(……私の血は、後回しなのか……?)
ヴィンセントの胸中に、敗北と執着が同時に芽生える。
クロの成長は、破壊ではなく――選別として現れていた。
「……あら、お利口さんね」
アシュリーが撫でると、クロは一瞬だけ測定の眼差しを消し、柔らかく身を預けた。
だがそれ以外の瞬間、クロの視線は冷徹だった。
この竜はすでに、周囲の存在を”価値付きの資源”として分類し始めている。
そして何より恐ろしいのは――
その評価対象に選ばれることを、この場の誰もが喜んでいるという事実だった。
その時、アシュリーが窓の外を見て呟いた。
「……アディリン。エシャンの街に、美味しい”湧き水”があると聞いたのだけれど。……冷たくて、不純物のない水が飲みたいわ」
その一言で、空気が変わる。彼女が自らの意思で”外”へ関心を示したのは、これが初めてだった。
「アシュリー様、すぐに用意させます――」
「……いいえ。歩いて行きたいの。……ここは、少し飽きたわ」
静かな拒絶。その言葉に、ヴィンセントの血の気が引く。
「……分かった。私が同行しよう。変装してな」
「あら、当然私も参りますわ。……環境最適化の維持範囲を外すわけにはいきませんもの」
「私も行くわ」
ダイアナが即座に割り込む。決定であった。
数時間後。城下町には、奇妙な一行が現れていた。
城下町には、奇妙な一行が現れていた。
簡素に見える高級装束のヴィンセントとアシュリー、全方位を理詰めで監視するアディリン、威圧で道を開けるダイアナ。
そして、肩に乗りながら街の魔力を”選別”するクロ。
「……アシュリー様。目的の泉は直進300メートル先。硬度・温度ともに適正です」
「……静かにして。目立つわ」
すでに十分すぎるほど目立っていた。
ヴィンセントの殺気が、周囲の男たちに漏れる。
「陛下、それは非効率ですわ。……必要なら後で記憶処理をすれば十分です」
アディリンの言葉に、もはや倫理など存在しない。
泉に辿り着き、アシュリーは水を掬い、口に含む。
「……ええ。……美味しいわ」
その一言で、全てが満たされた――はずだった。
だが。
「おい、そこの――」
不逞の輩が近づく。その瞬間。
『キュイ』
クロが、ふわりと浮いた。
ただ、それだけだった。
だが次の瞬間――男たちの周囲数センチの空間だけが、”現実との接続”を失った。
音が消える。熱が消える。存在の連続性だけが、一瞬、途切れる。
叫びも届かない。逃げるという選択すら、成立しない。
――”そこにいた”という事実だけを残して、世界から遮断された。
次の瞬間、すべてが元に戻る。男たちは白目を剥いて崩れ落ちた。ただ、それだけの出来事だった。だがアディリンだけは理解していた。
(……対象の存在確率を、局所的に切断した……。破壊ではない。……排除ですらない。……ただ、”選ばなかった”だけ……)
クロは、退屈そうに欠伸をした。価値のない不純物を、視界から外しただけだと言わんばかりに。
「……クロ、やりすぎよ。……帰るわ」
アシュリーの一言で、全てが終わる。一行は何事もなかったかのように去り、残されたのは、倒れた男たちと、説明不能の違和感だけだった。
翌日。
帝国に届いた報告は、もはや警告ですらなかった。
『追伸:不要な介入は推奨いたしません。……ノイズは排除されます。例外なく』
皇帝は、その一文で理解した。娘は失われたのではない。
――”向こう側”に最適化されたのだと。
「……アディリン……」
帝国が選んだ結論は、ただ一つ。
何もしないこと。
あるいは――祈ること。
その存在が、世界に興味を持ち続けることを。
東の離れ。
アシュリーは今日も静かに眠むりにつく。




