「物置部屋の聖域」
魔法大国エシャンの後宮。
そこは魔力至上主義を掲げるこの国において、最も華やかであり、同時に最も排他的な場所であった。
本来、国王ヴィンセントがアシュリーのために用意していたのは、魔法を使えぬ彼女でも不自由なく暮らせる特等室である。暖炉には人の手で火が灯され、陽光が穏やかに差し込む――彼なりの「真っ当な配慮」が行き届いた場所。
だが、その配慮は後宮の入口で「しきたり」という名の悪意により、あっさりと握り潰されていた。
「アシュリー様。こちらが、ご用意されたお部屋にございます」
案内役の侍女たちは、重々しい扉を開けるなり、中を見せることすらせず逃げるように去っていく。関わり合いになりたくないという明確な拒絶と、嘲笑を含んだ足音。
残されたのは――旧後宮西棟の一室。
そこは、使われなくなった家具が無造作に押し込まれた、ほとんど物置と変わらぬ部屋であった。
陽はほとんど入らず、石壁は冷え切っている。
備え付けられた魔導具は沈黙し、暖炉も浴室も、魔力なきアシュリーにはただの飾り。
嫌がらせとしては、あまりにも分かりやすく、そして残酷な「冷遇」の極致。
だが。
扉が完全に閉まった瞬間、アシュリーの表情がふわりと緩んだ。
「……素敵」
ぽつりと、心から嬉しそうに呟く。
「見て、ケリー、サリー。ほとんど光が入らないわ。とても落ち着くお部屋ね」
その声音は、外交の場で見せる冷徹なものとはまるで違う。
無邪気で、柔らかく、まるで隠れ家を見つけた子供のような響きであった。彼女にとって、この打ち捨てられた闇こそが、エシャンで唯一息のできる聖域なのだ。
「アシュリー様」
ケリーが静かに一歩前へ出る。その瞳は、主を害しようとする「外」の気配をすでに捉えていた。
「いかに好ましい環境とはいえ、このままではお休みいただけません。……少々、お掃除を」
「ええ、お願い。……コホッ。太陽があるうちは、少しでも楽に過ごしたいもの」
その一言で、部屋の空気が凍りついたように変わった。
二人は音もなく散る。
窓の外へ。
扉の向こうへ。
――数分。
戻ってきた頃には、部屋から埃も、そして“余計な気配”も一掃されていた。
西棟の周囲に潜んでいた者たちは、例外なく排除されたのだ。
ただ観察していただけの暗部は拘束され、
明確な殺意を持つ刺客は――痕跡ごと、この世から消えた。
何も知らぬまま、部屋の空気だけが清められていく。
「……終わりました。ソファで寝台を整えましたので、こちらへ」
「ありがとう。とても静かで、いいわ」
アシュリーは満足そうに目を細めた。
だが、そこへ戻ってきたサリーとケリーの姿は、ひどく荒れていた。
「……アシュリー様。お水をお持ちしましたが、途中で少しだけ、邪魔が入りました」
サリーの装束はびしょ濡れで、差し出された水はわずかに濁っている。
ケリーの手にあるリネンも、泥を被ったように汚れ、使い物にならない。
下働きの者たちによる、あまりにも浅ましい嫌がらせ。
「……そう」
アシュリーは一瞬だけ困ったように眉を下げた。
そしてーー
「少し、面倒ね」
それは、自分だけではなく、サリーとケリーにまで及ぶ嫌がらせへの不満。
「昼のうちは、まだ人が多いわ。……夜になってから、もう一度取りに行きましょう」
その言葉に、二人が静かに頷く。
アシュリーは即席の寝椅子に身を沈めた。
「日が沈めば、みんな大人しくなるもの。……コホッ」
小さく、くすりと笑う。
その頃。
西棟の外では――先ほど拘束された者たちが、一人、また一人と消えていた。
声は上がらない。
悲鳴もない。
ただ、確実に数だけが減っていく。
そして、その異常に気づける者は、この城にはまだ誰もいない。
「……夜は、好きよ」
アシュリーは、完璧な闇の中で目を閉じた。
「とても静かになるもの」
その静けさが、死の静寂か、安らぎの沈黙か。
それを理解している者は、彼女たちの他にまだいなかった。




