表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嫁ぎ先が滅びた出戻り王女の再婚〜最強は、だいたい無気力でできている〜  作者: 薄氷薄明


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/47

「真夜中の捕食者」

 深夜、エシャン王宮。

 国家総力で維持されている”完璧な静寂”の結界が、内側から音もなく霧散した。


「……やはり、ここの空気は薄すぎるわね」


 アシュリーは、サリーとケリーを引き連れ、東の離れの庭園へと足を踏み出した。


 ヴィンセントが敷いた静音結界は、音を消すだけではなく、魔力の流れすらも固定化し、生命の揺らぎを排除してしまっていた。それは人間にとっては”究極の安眠環境”かもしれないが、夜を生きる吸血鬼にとっては、水のない水槽に閉じ込められているような息苦しさだったのだ。


「アシュリー様、どちらへ?」


「……少し、血の匂いがするところへ。ここには、生きているものの気配がなさすぎるわ」


 アシュリーの瞳が、暗闇の中でうっすらと紅く発光した。



 同時刻、王宮の監視塔。


「……結界の強度が、東の離れ周辺で急落しています!」


 魔導師の悲鳴のような報告に、仮眠を取っていたヴィンセントが跳ね起きた。


「なんだと!? またドラゴンの卵か!?」


「いえ、違います! 何かが……いえ、アシュリー様が、結界を物理的に踏み越えて、王宮の外へ向かわれています!」


 ヴィンセントの顔から血の気が引いた。

 自分が心血を注いで整えた”箱庭”を、彼女は一蹴して出て行った。それは、制御不能な厄災が野に放たれたことを意味する。


「……馬を出せ! 全速力で追うぞ! 絶対に彼女を刺激するな! なるべく誰にも見せるな!」


 一方、王宮からほど近い下町の路地裏。

 ダイアナがエレベルと結託して仕掛けた”適度な刺激”――すなわち、あえて結界に穴を開け、獲物を誘い出す餌が撒かれていた。


「……殿下、あちらですわ」


 ダイアナは、暗がりに潜みながらエレベルに囁いた。

 路地の先には、ダイアナが裏ルートで手配した、柄の悪い浮浪者や賞金稼ぎたちが数名、酒を煽りながらたむろしている。


「あの者たちに、アシュリー様を少しだけ驚かせてもらいましょう。そうすれば、彼女も退屈を紛らわせ……」


「……面白いね。でも、驚かせるだけで済むかな?」


 エレベルは、建物の屋根の上で、月明かりを浴びて楽しげに笑った。

 彼の視線の先。暗闇から、音もなく銀髪の少女が姿を現した。


「……あら」


 アシュリーは、酒の臭いと、下卑た笑い声、そして何より――生き物の”生々しい拍動”が渦巻くその場所に、吸い寄せられるように立ち止まった。


「おいおい、なんだこの上等な女は」


「迷子か? おじさんたちが……案内してやるよ」


 男たちが、ぎらついた目でアシュリーを囲む。

 ダイアナは影でほくそ笑んだ。恐怖を与え、王宮の静寂こそが安全だと再認識させる。それが彼女の狙いだった。


 だが。


「……そう」


 アシュリーの声は、震えていなかった。

 むしろ、深海のように静かで、恐ろしいほどの悦びに満ちていた。


「サリー、ケリー。……少し、新鮮なものが欲しくなったわ」


「畏まりました、お嬢様」


 次の瞬間、路地の空気が物理的に”凍りついた”。

 従者二人が動くよりも早く、アシュリーの周囲に渦巻く“無の領域”が、男たちの絶叫すらも飲み込んで展開された。


「……っ、何だこれ! 体が動かねえ!」


「ひっ、目が……目が赤く……!」


 アシュリーが、一歩、前へ踏み出す。

 彼女の指先が、最前列にいた男の首筋に、冷たく、優しく触れた。


「……静かにして」


「アシュリー殿!!」


 そこへ、ヴィンセントが近衛騎士たちと共に駆け込んできた。

 彼が目にしたのは、恐怖に泣き叫ぶ男たちの中心で、月光を浴びて神々しく、そして悍ましく輝く”捕食者”の姿だった。


「……ヴィンセント。あなたも、外に出てきたの?」


 アシュリーが振り返る。その口元は口角が上がっていた。


「……あ」


 ダイアナは影で絶句した。

 コントロールなど、最初から不可能だったのだ。彼女が仕掛けた”刺激”は、眠れる怪物の食欲を呼び覚ます、最悪の呼び水に過ぎなかった。


「……陛下、見てください」


 エレベルが、ヴィンセントの隣に音もなく降り立ち、耳元で囁いた。


「姉上、すごく楽しそうだよ。……やっぱり、あの静かな王宮は死んでいたんだね」


 ヴィンセントは、膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪えた。

 奇しくも自分が守ろうとしていたのは、彼女の安眠ではなく、彼女という災厄から世界を守るための”蓋”だったのだと、今さらながらに思い知らされた。


「……アシュリー殿。戻ろう。……ここよりずっと、上質なものを用意する。だから……」


 ヴィンセントの言葉に、アシュリーは小首を傾げた。

 その瞳に宿る紅い光は、もはや理屈で制御できるものではなかった。


「……そう。なら、楽しみにしておくわ」


 アシュリーは満足げに微笑み、再び闇へと溶けるように歩き出した。

 王宮へ戻る彼女の背中を、ヴィンセントはただ、戦慄と共に守るしかなかった。


 静寂の結界は、もはや意味をなさない。

 王宮は今夜、一人の少女の食卓へと、その姿を変えようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ