「優しさの定義」
翌日。
王宮の庭園にて、メネスの第三王子エレベルを歓迎する茶会が開かれた。
色とりどりの花が咲き誇る、陽光に満ちた華やかな空間。
名目は『両国の親交を深めるため』である。
だが、その実態は――。
「……殿下。こうして親しくお話しできて、大変光栄ですわ」
イデリーナが、ふわりと柔らかく微笑みかける。
「エシャンでの生活は……正直、少し息苦しくて」
エリーゼが、伏し目がちに影のある表情を作って続く。
「もし可能であれば……もっと自由な場所へ……参りたいのです」
メリッサが、上目遣いで甘く言葉を添える。
三人とも、後宮で生き抜いてきた女としての所作は完璧だった。
美しく、儚く、男性の庇護欲を掻き立てるように振る舞う。狂信者と化した聖女の粛清に怯えるこの窮屈な国から、大国の王子の手を取って抜け出したい。あわよくば、メネスの王子の妃に。
その明確な逃避と誘惑の意思を受け、エレベルはティーカップをことりと置き――。
「うん」
にこり、と。
天使のように純真で、美しい微笑みを浮かべた。
「可哀想に」
それは、酷く優しい声だった。
春の陽だまりのように温かく、心から彼女たちの境遇に同情しているような、慈愛に満ちた響き。
「そんなに、ここから出たいんだね」
「……はい」
三人の声が重なる。
脈がある。彼なら、この窮屈な鳥籠から自分たちを連れ出してくれる。
そう確信し、妃たちの顔がパッと輝いた、その瞬間。
「じゃあ、手伝ってあげるよ」
救いの言葉が、落ちた。
――続く、次の一言までは。
「君たちの“首だけ”なら」
「…………は?」
「僕のトランクに入れて、メネスへ持ち帰ってあげられるけど」
笑顔のまま。
声のトーンも、表情も一切変わらない。澱みなく、小鳥に餌でも与えるような自然さで、エレベルは言い放った。
「どうする?」
沈黙。
完全な、思考停止。
春の陽気に包まれていたはずの庭園の空気が、急激に冷え込んでいく。
「え……?」
「え?」
固まる妃たちを見て、エレベルはきょとんと首を傾げた。
「だって、体ごとだと目立つでしょ? 運ぶの重くて大変だし」
あまりにも合理的な、作業手順を説明するような口調で続ける。
「でも首だけなら軽いし。血が漏れないように、腐らないように、ちゃんと綺麗なまま処理もできるしね」
「……っ、」
「姉上は、静かなお人形が好きだから」
ふわりと、エレベルは今日一番の極上の笑みを浮かべた。
「きっと、すごく喜ぶと思うな」
空気が、完全に凍りついた。
「…………」
イデリーナ、エリーゼ、メリッサの三人の顔から、一瞬にして血の気が引く。
理解が追いつかない。
これは、他国を軽んじる冗談か? それとも、軽薄な女をあしらうための悪趣味な試し行動か?
……違う。
(本気……!?)
目の前にいるこの美しい青年は、ただの一欠片も冗談など言っていない。
「どうしたの?」
エレベルは、心底不思議そうに首を傾げている。
「外に出たいんでしょ?」
純粋な疑問。
そこには悪意も、嘲笑も、殺意すらない。
「手伝うって、言ってるのに」
――本当に、ただの善意だったのだ。
困っている人がいるから、一番手っ取り早く合理的な方法で解決してあげよう。
そんな、恐ろしく純度が高く、決定的に狂った優しさ。
「……っ」
三人は、ヒュッと息を呑み、同時に一歩後ずさる。
理屈ではない。生物としての生存本能が、警鐘を鳴らして絶叫していた。
(これ以上近づいたら、死ぬ……!)
「……ああ、ごめん」
エレベルが、ふと相手の怯えの理由を「理解した」というようにポンと手を打った。
「痛いのは、嫌だよね」
そして、獲物を労るように、少しだけ声のトーンを優しくする。
「安心して。できるだけ一瞬で、痛みも感じないうちに終わらせるから。ね?」
その言葉が、トドメだった。
完全に、三人の心がへし折れた。
「……っ!」
「ひっ……し、失礼いたします……!」
「ああああぁっ……!」
三人は悲鳴にならない声を引き引き攣らせ、逃げ出した。
妃としての優雅さも、大国の王子への礼節もすべてかなぐり捨て、ドレスの裾を振り乱して、ただ命からがら全速力でその場から走り去る。
「…………」
誰もいなくなった茶会のテーブルで。
取り残されたエレベルは、冷めた紅茶を見つめながら、少しだけ考え込む。
「……変だなあ」
ぽつりと呟く。
その端正な顔には、微かな戸惑いだけが浮かんでいた。
「親切にしたつもりだったんだけど」
その人間との決定的な”認識のズレ”こそが。
エレベルという男の、真の恐ろしさであった。




