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嫁ぎ先が滅びた出戻り王女の再婚〜最強は、だいたい無気力でできている〜  作者: 薄氷薄明


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「青のドレスと夜の散歩」

 メネス王国の第三王子、エレベルの来訪まであと数日に迫っていた。

 エシャン王宮は、大国の王子を迎えるための豪奢な歓迎の宴の準備で、上から下までひっくり返したような騒ぎになっている。


「……警備の配置は完璧だろうな。絶対に、城内で不審な動きをさせるなよ」


 執務室で、ヴィンセントは目の下に濃い隈を作りながら側近たちに念を押した。

 アシュリーから聞かされた『善意で肉親の首を刎ねる』というサイコパス暗殺者の情報。ヴィンセントたちは、エレベルがエシャンに対してどのような条件で”害意”を抱くのか、正確なルールを知らない。だからこそ、宴の席で少しでも彼の機嫌を損ねれば、王宮が血の海に沈むかもしれないという極限のプレッシャーに苛まれていたのだ。


 ヴィンセントたちが文字通り命がけで接待の準備を進める中、後宮の妃たちもまた、別の意味で戦場に立っていた。


「……宴での私のドレスは、この『青』にするわ」


 自室の鏡の前で、ノル王国出身の妃ダイアナは、最高級の絹で仕立てられた深い青のドレスを身体に当てて優雅に微笑んだ。

 王族の特権色ほど重くはないが、格式高く、大国の王子を迎える場において自らの洗練された美しさを際立たせるには最適な色だ。


「この色を、後宮のすべての妃に周知しなさい。……当然、東の離れにいる”あの方”にもね。私が青を着るのだから、色は被らせないようにと」


「かしこまりました、妃殿下」


「……もし、あの女が同じ色を着て現れたら」


ダイアナは鏡の中の自分を見つめ、静かに笑った。


「その場で恥をかくのは、どちらかしらね」


 ダイアナの瞳には、冷たいプライドが宿っていた。最近、王の寵愛(本当は過剰防衛)を独占しているメネスの王女。だが、公式の場での序列は自分が上だと、この機会に知らしめてやらねば気が済まなかったのだ。


 午後。

 東の離れの、分厚い遮光布が引かれた扉の前で、ダイアナの使いの侍女はガタガタと震えていた。

 最近、この周辺に近づいた者たちが『教会の名目』で次々と姿を消しているという恐ろしい噂がある。おまけに、一切の光と音が消えたこの建物自体が、本能的な恐怖を煽ってくるのだ。


「し、失礼いたします! ダイアナ妃殿下より、書状をお持ちいたしました!」


 侍女は扉の前に手紙を置くや否や、脱兎のごとく逃げ帰っていった。


 静かな闇の中。

 ケリーが拾い上げたその手紙を、ソファに沈み込んだアシュリーが面倒くさそうに目で追う。


「……ダイアナ様が青を着るから、別の色にしろ、ですって」


 アシュリーの視線の先には、美しい『青のドレス』が飾られていた。

 数日前、王宮に出入りする商人が持参した品々の中から、従者のサリーとケリーが「お嬢様の透き通るような白い肌には、この夜空のような青が一番映えます」と、二人で嬉しそうに選んでくれたものだ。


「お嬢様。妃殿下の通達に従うのであれば、急ぎ別の色のドレスを用意せねばなりません。いかがなさいますか?」


 サリーが静かに問う。

 アシュリーは、飾られた青のドレスと、それを選んでくれた時のサリーとケリーの少し誇らしげな顔を思い返した。


(……色を被らせたら、またうるさく言われて面倒なことになりそうね。でも)


「……いいわ。これにしましょう」


 アシュリーは淡々と告げた。


「サリーとケリーがせっかく選んでくれたものを、無碍にはしたくないもの。私がこれを着たいのだから、これで出るわ」


 ダイアナの思惑など、アシュリーにとっては『どうでもいいこと』の一つに過ぎない。

 彼女の行動原理は常にシンプルだ。他人の顔色よりも、自分の身内の思いを優先する。ただそれだけを基準に、アシュリーは再び目を閉じた。



 深夜。

 月が雲に隠れ、王宮が深い闇と静寂に包まれた頃。


「お嬢様。いつものをお持ちしました」


「……ありがとう、サリー」


 アシュリーは、サリーが銀のトレイで運んできたグラスを受け取った。

 中に入っている赤黒い液体を、ゆっくりと喉に流し込む。血の巡りが少しだけ良くなり、冷たい身体の奥底から、彼女本来の“本能”が静かに頭をもたげ始めた。


「……ふう」


 グラスを返し、アシュリーは音もなく立ち上がる。

 最近は、聖女ヘレナという妙な女が夜な夜な建物の周囲をうろつき、過剰なまでに“静かになるように(浄化)”してくれていたが、今夜は宴の準備に追われているのか、その気配もない。


「サリー、ケリー。少し、外を歩きましょうか」


「夜の散歩でございますね。お供いたします」


 闇に紛れるように、主従三人は東の離れの庭へと足を踏み出した。

 ヴィンセントの過保護な命令により、この周辺の魔導具の灯りはすべて落とされている。暗闇は、彼女の冷たい肌に心地よく馴染んだ。


 ひんやりとした夜風が、アシュリーの銀色の髪をふわりと揺らす。

 グラスの底に残った甘い香りを思い出しながら、彼女の瞳が微かに紅い光を帯びた。


「……夜の散歩は、いいわね。ここ数日は静かでよく眠れていたけれど……」


 闇の奥を見つめながら、アシュリーはぽつりとこぼす。


「たまには、新鮮なものが飲みたいわ」


 くすり、と。


 アシュリーの唇が、ほんの僅かに歪んだ。


 それは、誰の耳にも届くことなく――

 ……あるいは。

 闇のどこかで、確かに聞かれていたのかもしれない。


 王宮が、来たる大国の王子との宴に浮き足立つ中。

 本物の“捕食者”の静かな渇きが、夜の帳の下で静かに目を覚まそうとしていた。

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