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嫁ぎ先が滅びた出戻り王女の再婚〜最強は、だいたい無気力でできている〜  作者: 薄氷薄明


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「聖女の静かな排除」

 エシャン王国の後宮は、目に見えない奇妙な”粛清”の波に包まれていた。


「……あなた、少しお疲れのようですね」


 白百合のように可憐な微笑みを浮かべ、聖女は一人の侍女の肩にそっと手を置いた。

 ここは後宮の廊下の片隅。声をかけられた侍女は、ダイアナ妃から「東の離れを監視し、嫌がらせの機会を窺え」と命じられていた間者の一人だ。


「え……? いえ、聖女様。私は別に……」


「いいえ、分かりますよ。あなたの心には、王宮の淀んだ空気が蓄積し、濁った“穢れ”を生み出しています。……このままでは、取り返しのつかないことになりますわ」


 聖女の声音はどこまでも優しく、慈愛に満ちていた。

 だが、その瞳には一切の光がない。あるのは、至高の存在アシュリーを害そうとする塵芥を見るような、絶対的な冷たさだけだ。


「教会の名において、あなたに長期の休暇を与えましょう。……王都から遠く離れた静かな修道院で、一生をかけて魂を清めなさい」


「そ、そんな! 私は妃殿下からお役目を――」


「お行きなさい」


 聖女が静かに言い放つと、背後に控えていた教会の神官たちが無言で侍女の両脇を固めた。

 抵抗すら許されない。教会の”浄化”という大義名分の前には、後宮の妃の権力など何の盾にもならなかった。

 こうして聖女は、自らの異能で“穢れ”を持つ者を見つけ出しては、直接手は下さず、極めて合法的に排除し続けていた。


「あの方の静寂は、私が守るのです……」


 聖女は祈るように両手を組み、東の離れの方角へ向かって深く頭を下げた。

 彼女の脳裏には、アシュリーが入城したあの日に起きたという、ある”奇跡”の噂が鮮明に刻み込まれている。


 ――王城の正門前で門前払いを受けた際、アシュリーが陽光の下で放ったという、ダイヤモンドを砕いたかのような神々しい光の粒子の舞い。


 無知な凡人たちはそれを「魔法の演出」だの「気高い抗議の姿」だのと持て囃したが、あの方の“空白の内側”に触れた聖女は、今なら確信を持って言える。


(あれは魔法などではない……! あまりにも高位で純粋な魂が、穢れた太陽の光に触れたことで、神聖な光の粒子として昇華し、弾けていたのだわ……!)


 まさかそれが、吸血鬼であるアシュリーが直射日光を浴びて”物理的に灰になって飛んでいただけ”だとは夢にも思わず。

 点と点が最悪の形で線となり、聖女の誤解はもはや誰にも止められない信仰へと昇華していた。


「どういうことなの!?」


 数日後、ダイアナの居室にヒステリックな声が響き渡った。


「私が東の離れに差し向けていた者たちが、ごっそり消えているじゃない! 実家に帰されたり、辺境の修道院へ送られたり……一体誰の差し金よ!」


「ひ、妃殿下。それが……すべて教会の判断とのことでして。心身の浄化が必要だと……」


 報告する側近も、顔を真っ青にしている。

 物理的な暴力ではない。ただ、人が“消えて”いくのだ。

 姿なき排除の恐怖に、後宮の女たちは次第に東の離れへ近づくことすら避けるようになっていった。


 当の東の離れ。

 すべての魔導具が停止し、幾重にも張られた遮光布によって”完全な闇”が支配するその空間で、アシュリーは優雅にソファに横たわっていた。


「……最近、とても静かでいいわね」


 アシュリーは満足げに呟き、サリーが用意した一番水を傾ける。


「左様でございますね、お嬢様。夜間に周囲をうろついていたネズミ共の気配が、ここ数日でぱったりと途絶えました」


 ケリーも闇の中で頷き、少しだけ首を傾げた。


「それどころか、建物の周囲が“異様に清浄”な空間に保たれています。まるで、近づく不浄を徹底的に弾き出しているような……」


 それは聖女が夜な夜な行っている、狂気的なまでの浄化結界の恩恵であったが、アシュリーたちは知る由もない。


「誰かがお掃除してくれているのなら、助かるわ。……おかげで、よく眠れそう」


 アシュリーはふわりと微笑み、そのまま心地よい闇の中で静かに目を閉じた。

 自分の存在が、後宮の教会が後ろ盾の掃除屋(狂信者)を生み出していることなど、微塵も気にすることなく。


 そして、その”静寂”に最も胃を痛めていたのは、他でもない国王ヴィンセントであった。


「……報告は、それだけか」


 執務室。マシューからの報告書を読み終えたヴィンセントは、額を押さえて深く息を吐いた。


「はっ。後宮内で、東の離れへの干渉を企てていた者たちが、次々と”教会の名目”で排除されています。結果として、アシュリー様の周辺は現在、信じられないほど平穏が保たれております」


「……教会が、自らの権限を使って後宮の侍女を間引いている、だと?」


 ヴィンセントは顔を上げた。

 状況だけを見れば、これ以上ないほど”好転”している。アシュリーへの嫌がらせは消え、彼女の望む静寂が完璧に守られているのだから。


 だが、ヴィンセントの有能な頭脳が、激しい違和感と警鐘を鳴らしていた。


(私は、命じていない。アシュリー殿も、自ら手を下すような真似はしない。……では、誰だ? 誰が教会の名を使って、彼女のための盤面を整えている?)


 正体が掴めない。

 見えない誰かが、アシュリーという”盤外の理”のために、勝手に王宮のルールを書き換え、環境を最適化しているのだ。


「……状況が好転している。それが、一番恐ろしい」


 ヴィンセントは、胃の痛みに耐えるように呟いた。

 自分が制御できない形で問題が解決していく。それは王にとって、自らの統治が及んでいないことの証明に他ならない。


「あの化け物は、何もしないまま……今度は教会まで手懐けたというのか……」


 静かすぎる後宮の夜。

 有能な若き王の苦悩は、まだまだ終わる気配がなかった。

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