透明人間になる事に成功したのだが…
「……まあ、お前が笑うのも無理はねーわ。そりゃそうだ。俺だって、信じてもらおうなんて思っちゃいない」
ポテトの塩気を指先で払いながら、俺は淡々と言葉を並べる。
「でもな、昨日完成したんだよ」
「だから! 何がよ!」
里帆が食い気味に身を乗り出す。いちいち声がデカい。
店内の視線が少しだけこちらを向くが、無視だ。
「まあ落ち着け。順を追って説明してやる」
俺はマックのベタついたテーブルに両手を置いた。
「里帆。俺が数学を得意なのは知ってるよな? 俺にとって数字は、ただの記号じゃない。
絵のように、あるいは風景のように浮かんでくるんだ。どんな難解な数式でも、答えが『像』として頭に結ばれる」
「うん……それは、知ってるけど」
少しだけ、里帆の声が小さくなった。
「それを踏まえてよく聞け。
……例えば、ヤクザ映画でよくあるだろ? 失敗の落とし前として小指を詰めるシーン」
「いや、知らんし。ヤクザ映画なんて見ないし」
(……あぁ、そこから説明するのは正直だりいな)
俺は、任侠の世界において指を落とすに至る経緯と、その物理的なプロセスを一通り説明してやった。
里帆は完全に引き気味だが、構わず続ける。
「いいか、今から言うことを目を瞑ってイメージしろ」
「え、あ、うん」
里帆が大人しく目を閉じる。
「ここに左手の五本の指がある。
そこに、右手の五本指で握った一本のナイフを、左手の小指に当てる。
それを十割の出力で、ケーキでも切るようにザンッ、と根元から二等分の位置に振り下ろす」
「痛っ!」
イメージだけで、里帆が口に出した。
「そうすれば、当然小指は身体から離れる。……よし、目を開けていいぞ」
パチリと目を開けた里帆に、俺は問いかける。
「今出てきた数字を思い出してみろ。左手の五本指、右手の五本指、一本のナイフ、十割の力、二等分の切断……。
本当はもっと緻密な変数があるんだが、これだけの数字を正しく並べれば、『小指が身体から離れる』という事象が確定する」
里帆は理解が追いつかないのか、首を限界まで傾げている。
「この世の全ては数字で成り立ってる。
数式に置き換えられないものなんてないんだ。
さっきお前、イメージしただけで痛みを感じたろ? それは脳が数式を一時的に受容したからだ。
その数式を自力で作って、イメージしながら頭の中で解くんだよ。
もしその数式が正解なら、痛みもなく、出血もなく、自然と身体がその状態へ『移行』する。
……昨日の晩、その答えがようやく出たんだ。透明人間になるための、答えがな」
俺の笑みを見て、里帆は確信しただろう。こいつは本気で頭がイカれたのだと。
結局、よく分からないままマックを後にした俺たちは、人気のない夜の公園へと移動した。
「なんでこんなとこなのよ、寒いし……」
「どこでも良かったんだが、一応リスクはあるからな。俺がこの世から消えてなくなるっていう」
里帆がまた吹き出した。
「あんたさ、本気で言ってんの?」
「もし俺が消えたら、適当に失踪したことにしてくれ。ただ……オカンが心配だからさ。ちょっとでいいから気にかけてやってくれるか?」
俺が真顔で告げると、里帆の顔から余裕が消えた。
「そんなこと、あるわけないでしょ。……いいから、さっさとやってみなさいよ」
「じゃあ、いくぞ……」
俺は脳内に完成している数式を、一切の淀みなく口に出した。
「……g(x)=1cosθ+isin
log[a[n]]a[n+1]=log[a[n+1]]aΣ[n=1 to ∞] 1/10^(n!)
a^(2^(n+1))+2^b=(2^(2^n))^a」
あまりのハイスピードな羅列に、数字と記号が濁流となって夜の公園に吐き出される。
「…………ちょっと、あんた。それ、日本語?」
里帆の困惑した声が遠くに聞こえる。
俺はゆっくりと、自分の身体を見下ろした。腕もある。足もある。
「…………ん? 変化なし……か?」
「ほらね! ビビらせないでよ、無理に決まってるんだから。あーあ、ちょっとだけ心配して損した……」
里帆が呆れたように溜息をつき、俺の掌に触れる。温かい。柔らかい。確かに俺の皮膚の感触だ。
だが。
「……? 少し、動きにくいな。なんだこれ」
里帆が指を離した。その瞬間、俺たちは目を見開いた。
里帆が触れた部分が、凹んだまま戻らない。弾力という概念が消えたみたいに。
俺はカバンからボールペンを取り出すと、迷わず自分の掌に突き立てた。
「ぎゃー! 何してんのよ!」
里帆が悲鳴を上げる。
だが、俺はニヤリと笑った。
痛みはない。血も一滴も出ていない。
ボールペンは、俺の掌を「透過」するように突き刺さっていた。
「これ、成功じゃね?」
「でも……全然透明じゃねーよ!」
「知らねーーーーーよ!」
俺の身体は、確かにそこにあるのに、この世界の物理法則からはじき出され始めていた。
とりあえず第1部は全19話です。もう書き終えてるので、これから毎日更新していきます。
3話から17時40分頃に投稿します。
2部も書き始めてますので、続けて掲載したいと思います




