表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/388

22.城下町編 噂話


 セフィライズがカイウス王子の視察に同行し、一織(十七日)が過ぎた。今日は、彼らが戻ってくる日だ。その間、新たな事件が起きる事はなく、王城には雪の息遣いだけが漂っていた。

 朝になると、スノウは与えられた鍵を手に、彼の執務室へ向かう。窓の向こうには、珍しく雲の切れ間から青がのぞき、澄んだ光が室内の空気をやわらかく照らしていた。

 スノウはそっと窓を開ける。冬の風が頬を撫で、ひやりとした感触が胸の奥まで染み込む。デスクの上の書類が風に煽られ、白い羽のように散っていく。スノウは慌てて窓を閉め、床に落ちた紙束を拾い集めた。

 手にしたそれは、古い文献の資料だった。邪神ヨルムに関するものだ。セフィライズの筆跡で記された検証の痕跡、粗く描かれた壁画の図に矢印や書き込みがあった。彼がどれほど思考を巡らせたかを物語っている。見るつもりはなかった。けれど、ふと視線が止まる。大きく二重丸で囲まれた箇所。そこには、壁画の一点を指し示すように、こう記されていた。


世界の中心(エンテレケイア)


 世界樹の根に抱かれるように描かれた、ひとつの花、その箇所に。

 スノウは最初《世界の中心(エンテレケイア)》という名を知らなかった。しかしこのアリスアイレス城で学んだ知識によると、無限にマナを生み出すもの。手に入れた人は無限の幸福、知識が得られるもの。文献によっては永遠の命が得られるだとか、黄金を生み出す、だとか。まるでおとぎ話のような伝承が語られている、伝説上の存在。


 スノウは指先で紙の端をそっと押さえながら、壁画の図を見つめた。セフィライズは何故これを、《世界の中心(エンテレケイア)》だと思ったのだろう。その下には、小さく続きの文章があった。しかし、強い筆跡で荒々しくかき消されている。何かを迷っているような、そんな印象を受けた。




 執務室を片付け終えると、アリスアイレズ城内にある室内庭園へと足を向けた。今日は、日の当たる場所(ダエグ)と呼ばれる特別な日だ。一年は七枝と最後の一日に分かれ、一枝は五十二日でひと巡りする。一枝の中には織と呼ばれる区切りが三つあり、ひと織は十七日。三織を終えると、ちょうど五十一日が過ぎ、最後の一日が日の当たる場所(ダエグ)である。

 ノルド教福音派の多くの者は、この日になると神殿へ向かい、神に日々の感謝を捧げる。そのためか、いつもは人の気配が絶えない庭園も、今日は不思議なほど静かだった。

 天井越しに差し込む柔らかな光が、葉の影をゆらりと揺らす。


「あら、スノウじゃない」


 声をかけてきたのは、リリベル。そしてその隣には、彼女の友人のエリーがいた。二人は芝生の上に布を広げ、持ち寄った菓子を並べて、ちょうど楽しげに談笑しているところだった。


「こんにちは」


 スノウは丁寧に頭を下げる。よかったら一緒にどう、とリリベルが手を振って誘ってくれたので、スノウは遠慮がちにその隣へ腰を下ろした。座った途端、リリベルが興味津々といった様子で、スノウの左腕に視線を向ける。


「ずっと無かったから、本当は嘘なのかと思ってた!」


 リリベルがサンドイッチを頬張りながら、スノウの腕に新しくつけられた階級章を指でつつく。


「私は事務だから、ほら見て」


 リリベルは自分の階級章を指で押さえて見せる。そこには、本の図が刻まれていた。表紙に描かれた印によって、どの分野の事務を担当しているかがわかるようだった。


「ってことは、スノウは秘書になるの?」


 エリーが口いっぱいにお菓子を頬張りながら、もごもごとした声で言った。


「セフィライズ様の下に就いた人って、秒で辞めるんだよねー」


「そうなんですか?」


 スノウは思わず聞き返してしまう。秘書かどうか、何を任されるのかも、まだ何ひとつ知らされていない。ただ階級章を与えられただけで、現状は掃除をしているだけだった。


「すごく恐ろしい人だって聞いたわ」


「近寄りがたいわよね、氷狼(フェンリル)なんて呼ばれてるし」


 二人の階級では、セフィライズと接する機会はほとんどない。だからこそ、彼について語られる噂は、どれも遠くから見た影のように曖昧で、そして誇張されているのかもしれない。近寄りがたく、冷たく、恐ろしい。ただ、これは城内で耳にする彼の印象の通りである。

 スノウはそっと視線を落とす。本当は、そんなことないと知っている。彼が見せる静かな優しさも、ふとした瞬間の脆さも。けれど、この言葉はきっと彼女たちには届かない。スノウは微笑んだまま、胸の奥に言葉をしまった。


「それにあの色」


「確かに、人間じゃない感じがするわ」


 二人はすっかり盛り上がっていて、スノウは少し置いていかれた気分になりながら、なんとなく視線を後ろへ向けた。


「あ、セフィライズさん……?」


「ぇえ!」


 スノウの声に、リリベルとエリーは同時に跳ね上がった。さっきまで女子の世間話に花を咲かせていた二人は、ものすごい速さで立ち上がり、「し、失礼いたしますっ!」と揃った声で敬礼する。お互いに、聞かれていたのか、いないのか。視線を交わし合うその様子は、まるで小動物が突然の影に怯えるようだった。

 スノウは、彼の微妙な雰囲気を見て思う。多分、聞こえていたんだろうな、と。けれど、なんて言えばいいのか。胸の奥で言葉がつまり、ただ静かに息を呑むしかなかった。


「戻られたんですね」


日の当たる場所(ダエグ)なのにすまない。少し、いいか」


 用事がある、その事実だけで胸が少し温かくなる。スノウは二人に頭を下げ、セフィライズのもとへ歩き出した。

 残されたリリベルとエリーは、心臓の音が聞こえそうなほど慌てていたが、何も言われなかったことに深く安堵していた。二人は再び芝生に腰を下ろし、しばらく無言のまま、互いの顔を見合わせるしかなかった。


「あの……」


 今日の彼は、いつも以上に身を隠していた。マントも、深くかぶったフードも。髪も、瞳も、肌の色さえも、すべて覆い隠すように。


「どこに、行くんですか?」


 少し早足で歩く彼の背中を、スノウは必死に追いかける。その問いかけに、セフィライズはふいに足を止めた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ