21.血の霊安室編 会議
王城の高い場所、王子の執務室。分厚い氷を思わせる大窓からは青い空と王都の街並みが一望できる。外は常に氷点下だが、室内は魔導人工物の力が満ち、冷気と温もりが絶妙な均衡を保っていた。
部屋の中央には、使い込まれた木の机がふたつ。どちらも表面には細かな傷が残り、王子が日々の仕事を淡々とこなしてきた時間が刻まれている。
机の上には必要最低限のものだけが置かれていた。整えられた書類の束、黒いインク壺、そして王家の紋章が控えめに刻まれた短剣。壁際の棚には、外交文書や地図が整然と並んでいる。全体として、執務室は質素で、無駄がなく、静かだった。
カイウスは執務室の重厚なデスクに肘をつき、片手で頬を支えたまま書類に目を落としていた。そのそばに、静かに整列するのはグラント・グレンフォードとエルジリア・ブリュンヒルド。二人とも姿勢を崩さず、まっすぐ胸に手を当て立っている。
控えめなノックの音が響き、続いてセフィライズが姿を見せた。その後ろからスノウが姿を見せる。エルジリアと目が合うと、彼女は少し微笑んで見せた。
「お待たせしました」
セフィライズは王子のデスクの前に進み、迷いのない動作で敬礼し、静かに頭を下げた。その横でスノウも慌てて姿勢を正し敬礼をする。腕の角度も指先の揃え方もどこかぎこちなく、慣れていないのが一目でわかる。
カイウス王子は静かに頷き、手を軽く振って合図をした。
「では、始めよう」
その一言で、全員が動いた。壁際に整列していたグラントとエルジリアも歩み寄り、中央に置かれた長いデスクを囲む。椅子は使わない。セフィライズとスノウも加わり、六人が円を描くように立つ。
机の上にはひとつの小瓶。何かが入っていたであろう透明なガラスは、かなり高価なものだとわかる。
「……その小瓶ですが」
グラントは視線を落とし、慎重に言葉を選び、続ける。
「ヨハンが握っていたものです」
遺族からの許可を得たのか、固く握りしめられていたあの手から取り出したようだった。
「手足の指先が黒く変色し、急死する。報告にあった通りだ。ヨハンだけではない」
カイウスは小瓶をそっと手に取り、目の高さまで掲げた。中に何が入っていたのか、今となっては確かめようがない。ヨハンがこの瓶の中のものを飲み、そして間もなく命を落としたという事実だけが残されている。
「スノウさんの治癒術で指先の黒変はなくなりました。フレスヴェルグの病と似ていますね」
エルジリアの指摘に、カイウスは自身の指先を見た。己が患った病。ただ、あれは衰弱からの死を招くものであった。
「布令を出しますか?」
グラントの言葉に、カイウスは首を振った。
「この変死の件を広く知らしめれば、いらぬ混乱を招く恐れがある。対処法も分からない」
今までの死者が全員この小瓶をもっていたのか、それとも今回たまたま、飲んだ後に発作が起きたのか。もし、誰かがヨハンの命を狙って渡したのであれば、今までの死者もまた、その誰かから命を狙われていたのか。まだ情報が足りない。
「セフィライズは、何か思うものはあるか?」
カイウス王子に問われ、セフィライズは顔を上げた。禁忌の魔術を使い、垣間見たヨハンの死の間際。
黒い粒子を纏ったヨハン本人を見た。それはセフィライズが死の狂騰で見たタナトスの姿に近いものがあった。
「壁で死の狂騰が起きると、タナトスという怪物が発生する話をしたのを、覚えていらっしゃいますか」
「ああ、まさかそれだと言いたいのか」
「いいえ、姿は似ていませんがどこか、纏っている気配が……」
フレスヴェルグの病。今回の急死事件。指先の変色。そこに黒い粒子を纏った、落ち窪んだ眼窩の人間。
「不死者……に近いものを感じました」
「それは?」
「……かつて、≪白き使徒≫が狩っていた存在です。もう二百年以上、その存在を確認できてはいませんが」
不死者とは、マナの穢れに侵食された人間が堕ちた存在である。 彼らはマナの穢れを増幅し、世界へと拡散させてしまうため、≪白き使徒≫によって狩られていたのだ。
「この世界のマナは豊かとは言い難い状態です。アリスアイレス王国でフレスヴェルグの病を確認したのは、カイウス様だけでしたが。他国では、そうではないかと思われる者を見ました。穢れが、迫っているのではないかと」
「つまり、原因はマナの穢れではないかと言いたいのか?」
グラントの言葉に、セフィライズは頷いた。
「憶測でしかありません。ですが、兄も……シセルズも、そうではないかと、思っている節がありました」
「神話にもっとも近いとされてる白き大地の民が思うのでしたら、検証の余地はあるかと存じますが、いかがでしょうか」
エルジリアは静かにそう告げると、落ち着いた眼差しをセフィライズへ向けた。その視線には、歴史を重んじる者として、長い時を他と交わらずに生きてきた民族への敬意があった。
「だが、そうだしてどうやって確かめる。穢れは目に見えるのか?」
「……いいえ。残念ですが」
穢れたマナは世界樹へと戻り、浄化されまた世界へ戻る。この循環を担っていたものは、もうない。穢れはどこからくるのか、どうやって取り除くのか。それらはもう、長い時の中で消えてしまった。
「≪白き使徒≫……我々、白き大地の民をさしていたとされるこの使徒は、自らの体に穢れを取り込む事で広がりを押さえたと言われています」
その言葉を聞いて、その場にいた全員が悟った。マナの穢れを止める手段は、もう残されていないのだと。かつて穢れを抑え込んだとされる白き大地の民は、すでに蹂躙され尽くしている。残虐を極めた侵攻の中で殺され、生き残った者などほとんどいない。
「止める手段はない。ただ、広がりを押さえたという事は、白き大地の民には、穢れが見えるという事か?」
「……残念ながら。見えるのは、エルフの血を継ぐ者だけかと思います。私達の始祖、イシズもまたハーフエルフであったと言われいますが、血が薄くなりすぎたせいかもしれません」
魔術の神イシズがハーフエルフであったという史実を知っているものは少ない。エルフという神聖なものを穢して生まれたハーフエルフは、その存在が異端だからである。史実であっても、徐々に文献には書かれなくなっているのだ。
「お手上げですか」
グラントは深く息を吐き、肩の力を抜いた。その様子に呼応するように、他の面々も強張っていた身体から力を抜き、重苦しい空気の中でわずかに息をつく。
「本日はここまでとしよう。グラント、エルジリアは下がってくれ。セフィライズは残りなさい。スノウさんも」
王子の声が、会議の終わりを告げた。グラントとエルジリアは、カイウス王子の言葉に静かに敬礼をする。退出の間際、エルジリアはスノウに柔らかく微笑み、手をふってくれた。扉が閉まると、部屋にはカイウス王子とセフィライズ、そしてスノウだけが残る。
「明日からの視察の件だ。状況が状況なだけに、スノウさんは置いていく事になるだろう」
突然の話題に、スノウは思わず背筋を伸ばした。視察の予定など聞いていなかったため、困惑がそのまま表情に出てしまう。
「セフィライズ、伝えてなかったのか?」
「申し訳ありません」
セフィライズが気まずそうに目を伏せる。スノウは状況を飲み込めず、ただ姿勢だけは正したまま固まっている。カイウス王子はそんなスノウに向き直り、今度は真剣な声音で続けた。
「黒変を浄化できる魔術。もし、今回の変死事件、まだ生きている状態でスノウさんが駆け付ける事ができれば、助かる余地があるのかもしれない」
この件は、城内に集中して起きている。いま、スノウを視察に連れていくわけにはいかない。可能性があるのなら、発生したときに、どうか助けてもらいたいという事をカイウスから依頼され、スノウは深く頭を下げた。
「セフィライズが不在の間、シセルズに指示を任せる。気を張らなくていい。まだわからない事が多すぎるのだから」
「いえ、もし……わたしの力で救える命があるのでしたら。全力で、答えさせて頂きます!」
スノウのその真っ直ぐさは、幼さすら感じさせるほど必死で、どこか愛らしい。カイウス王子は、そんなスノウを見て小さく息を漏らした。ただ、柔らかく微笑む。
「……君は、本当に真面目だな。その気持ちだけで十分だ。ありがとう、スノウさん」
その微笑みは、王族としての威厳ではなく、ひとりの青年としての優しさが滲んでいた。スノウは一瞬きょとんとしたが、すぐに頬を赤らめて深く頭を下げる。カイウスはその様子を見届けると、静かに立ち上がった。
「下がっていい。明日からの視察は……服を着間違えないようにな」
カイウスが軽く指を伸ばし、セフィライズの麻色の軍服を示す。本来なら、上位軍人が着るべき紺の礼装軍服。だが、彼はいつも一般兵の服を好んで着ていた。そして何度か、大事な場にそのまま現れてしまったことがある。今日のように。
「……わかっています」
セフィライズはわずかに眉を寄せ、子どもが叱られた時のように不満げな顔をする。その表情が妙に可笑しくて、スノウは思わずくすりと笑ってしまった。




