19.城下町編 食事
好きなものをどうぞ、とスノウが渡してきたメニュー表から、とりあえず今日のおすすめを何品か注文した。目の前の彼女は、頼み終わったというのにメニュー表を眺めて楽しそうにしている。その姿を、セフィライズはただぼんやりと眺めた。
本当は、少し前まで疎遠にするつもりだった。自然と離れていって、自然と自分の下から外れて、自然と縁が切れて、そして彼女は別の場所で楽しくやっていくのだろうと思っていた。
もう話すことはないだろうと、思っていた。
しかし今、何故か当たり前のように目の前にいて、他の誰かと違って自然と言葉が出てくる。不思議な感覚だと、心から思う。それが何故なのか、セフィライズにはわからないけれど、彼女は誰とでもすぐ親しくなれる。きっと彼女本人が持つ何かのおかげだと思っていた。
「セフィライズさんは、お酒って飲まれますか?」
スノウはメニュー表の端に、少しだけ載っているお酒の種類へ指を挿す。
「飲めないわけじゃないけど、緊急の時に対応しにくいから飲まないかな」
「何がお好きですか?」
「別に、兄さんに付き合ってるだけだから。君は、飲むのか?」
「いいえ、わたし……お酒って、飲んだことないんです」
スノウの暮らしていた地域では、お酒は月の巡りが十五回重なった人からと決まっていた。彼女が月の巡りを重ねたのは十二回。スノウが暮らしていた場所での年齢はまだ十三歳。しかしセフィライズが計算してくれた限りだと、十九か十八歳。アリスアイレス王国の法律的には十六歳から飲酒可能である。
「飲んでみるか?」
「い、いえ!」
もし一口で倒れてしまうような事があったらどうしよう。とてもお酒に弱かったらどうしよう。色々考えて、彼女は断った。
「何かあったら、送るから。多分これが一番甘いし、最初にはいいと思う」
彼が指差したのは、氷酒を果物の砂糖漬けと水で割った果蜜酒という種類のものだった。彼女が戸惑っている間に、セフィライズがそれを頼んでしまう。一緒に彼は葡萄酒を頼んだ。
「付き合うよ」
食事と一緒に運ばれてきたお酒のグラスに、さっさと自身のグラスを当ててしまう。これは以前、自身の兄がやっていたものだ。これをされると、もう飲むほかない。
スノウは食事の前の感謝の祈りを捧げ、恐る恐るその果蜜酒を口にしてみた。お酒とは思えないほど、それは甘くてさらっとした飲み物だった。
「飲みやすいからって、一気に行かないほうがいい」
それを聞いて、スノウは果蜜酒のはいったグラスを机の端に置いた。
一緒に届けられた料理を頂きながら、他愛もない話をする。質問をすれば答えてはくれるも、あまり自分のことは話さないセフィライズのかわりに、スノウは気を使って色々と話してしまう。城内で勉強していたこと、親しくしてくれる人ができたこと。会話を途切れさせたらいけないかもと焦って話してしまった。
お昼からお酒なんて飲ませてしまって悪かったかな、とスノウは思いながら彼を見る。ちょうど頼んだ葡萄酒を飲み終えた彼と視線が合った。
「……大丈夫ですか?」
セフィライズは何に対しての大丈夫なのかを少し考えてから答える。
「一杯ぐらいなら、大した事ない」
飲み慣れてる人はそうなのかな、とスノウは思った。スノウ自身はたった一杯で、なんだか気持ちも心もふわふわして、心なしか気分が明るくなっている。顔も熱く感じるし、鼓動が早くなったような気もしていた。
「……髪を、結ばないのですね」
どうして伸ばしているのですか、とは聞かなかった。理由はきっと明白で、そして彼は答えたくない話題だと思ったからだ。ある程度髪が伸びたら、きっと前のような長さに切られてしまうのだろう。そしてそれを、長い間繰り返してきたんだろう。
「……兄さんに似るから」
セフィライズ自身、兄に顔立ちが似ているのは知っていた。中性的な彼と違い、シセルズの方が顔立ちが男性的というか、渋めではある。年齢が上というのもあるのかもしれない。体型も、身長もほとんど変わらない。シセルズの方がほんの少し身長が高いだけ。
「似ていたら、ダメなんですか?」
スノウは何故似たらダメなのかわからなかった。兄弟なのだから、似ていてもいいのではないかと思う。
「兄さんは、もう普通の人として生きてる。あまり血の繋がりが……」
あると思われない方がいい、そう繋げようとしてやめた。この話を、あまり広げてもいい話題ではない。
黙ってしまったセフィライズに、スノウはどう答えようか迷った。
「わたしは、素敵だと思いますよ。それにシセルズさんは、きっと嬉しいと思います」
昔話をしてくれた最後の笑顔は、とてもお兄ちゃんをしていた。きっと兄弟であることを、嫌がってなんていなくて。そしてとても、大切にしていると感じたから。
二人は食事を終えて外に出る。お会計をどちらが払うかでほんの少しだけ揉めたが、結局は彼が出した。それがとてつもなくスノウにとっては不服だった。誕生日のお祝いのつもりで来たのだから、出したかったのだ。
スノウが楽しそうに道の端に積み上げられいる、なんの変哲もない雪を見て楽しそうにしている。手袋をしていない手で雪を触っていた。
「楽しそうだな……」
話す気はなかったが、つい自然と口から出てしまった。
「楽しいですよ?」
振り返ったスノウは、お酒のためか頬がほんのり染まった状態で嬉しそうに笑うのだ。
それが、なんだか、とても心地よく感じた。
「セフィライズさん、他に行きたいところはありますか?」
スノウは一杯だけ飲んだ初めてのお酒の影響か、気持ちが大きくなっていた。なんだが明るく楽しくなっている。
セフィライズは彼女の今までの反応を見て、きっと城下町が初めてだったのだろうと察していた。考えるように顎に手を当て首を傾げる。
「もう少し下ったら公園があるから。今日は一般的にも休日だし、何かやっているかもしれない」
「ではそこに行きましょう!」
スノウは自分から彼の手を取り引いた。お酒の力で少し気が大きくなっているのだ。いつもの彼女ならそんな大胆な事はできない。力一杯スノウから引っ張られ、彼は苦笑した。
空から大きな雪が舞い落ちる。彼女の髪に積もっていくそれを、セフィライズは気がついたら払っていた。頭を触られて、スノウは振り返る。積もっていたから、と答えると、また嬉しそうに笑う。
何がそんなに楽しいのかわからない。ただ何か一つ一つを新鮮に思い、一つ一つを大切にしている。そんな印象を受けた。
「セフィライズさんも帽子の上に積もってますよ」
手を伸ばす、彼女より少し背の高い彼の帽子。しかしまた、彼は咄嗟にそれを避けてしまった。
「自分でするから」
無意識に避けた。スノウが帽子を取ったりはしないのに、反射的に避けてしまった。
それに戸惑う彼を見て、また口から出る「大丈夫ですよ」の言葉。セフィライズは何も言えなかった。




