18.城下町編 待ち合わせ
ヨトゥンの寒冷期も終わりの方に近くなり、穏やかな日々が増えてくる。今日は一粒一粒の大きな雪が真上から優しく降り注いで落ちてきていた。スノウは灰色の空を見上げる。アリスアイレス王国で見る世界の色は、全て彼を彷彿とさせるのだ。
一度私服に着替えてから待ち合わせをすることになり、彼女は城の前にかかる橋の真ん中で、彼がくるのを待っていた。城内ばかりで生活してしまうために、休みの日も配給される制服で過ごしがち。いざ出かける為の服をとなると、全く持っていない事実に気がついてしまった。仕方なく配給されている制服のシャツの部分を二枚重ねて、その上から配給されたコートを着る他ない。もちろん、ズボンも配給されたものだ。給金を貰っているが、洋服を買いに行こうだなんて思ったこともなかった。
「すまない、待たせて」
雪道を歩いてくる彼は、灰色のマフラーとパンツ、黒いチェスターコートに膝下から始まる焦茶色のブーツを履いていた。耳当てのある黒の帽子を被り、髪は全てその中に入れてしまっているようだった。
しっかりしたセフィライズの私服に、スノウは恥ずかしくなった。自分は全部配給されたものを着ている。持ってないのだから、仕方ないのだけれど恥ずかしいものは恥ずかしい。
「寒くないのか」
「えっと……寒さに、強いんです!」
持ってないので。なんて恥ずかしくて言えない。
彼はゆっくりと自身のマフラーを外し、スノウの首に巻こうと広げた。
「セフィライズさん、大丈夫です、本当に、あの……!」
「いや、見ているこっちが寒くなる」
確かに、このコートの下はシャツ二枚だけなんて、知られたら驚かれるに違いない。スノウは巻かれたマフラーに顔を埋めた。暖かい、とても、柔らかくて、暖かい。
「行こうか」
歩き出すセフィライズの、少し後ろを歩く。でもそれでは、案内も何もできない。彼女はほんの少しだけ、手を伸ばし、彼の服の裾を掴んだ。振り返り、立ち止まる彼の隣に並んで笑顔を向ける。彼もまた、スノウを優しげな目で見た。
スノウが案内したのは、実は一度も行ったことがないお店。本当のことを言うと、場所もそんなに知らなかった。何せ彼女が城下町に降りるのは初めて。セフィライズにお店の特徴を教えると心当たりがあったらしく、結局は彼の道案内でたどり着いた。
昼は食事の提供が主にされるが、夜は酒の提供が主になるといった作りの、大きな料理店。天井は高く、席に案内されるまで大きなバーカウンターの横を通った。あっちもこっちもと、彼女はあたりを見渡しながら進み、椅子に座る。
「もしかして、来たことありましたか?」
「兄さんと、夜に何回かは」
そう言いながら、セフィライズは脱いだコートを近くの椅子にかけて置く。その下は、暖かそうな紺色のカーディガンと、白い襟付きのシャツだった。さらにシャツの下にも、黒いタートルの服が見える。
「脱がないのか」
コートを着たままの彼女に、セフィライズは首をかしげた。彼女は、慌てていた。着ているコートを室内では脱ぐ、という当たり前のことを失念してしていたのだ。このコートを脱いだら、配給された制服の肌に触れる部分だけを二枚重ねで着ているという、とてつもなく恥ずかしい格好をしている。しかし、室内で着たままというのは変だ。しかもこれから食事なのに。
「え、ええっと……セフィライズさんは、帽子は脱がないんですか?」
その質問に、今度はセフィライズが困った。帽子を脱げば、髪を出すことになる。
「……大丈夫、ですよ。気になりますか?」
「いや……」
夜に兄と来た時は、いつも髪を出している。それは相手が兄だからだ。しかし今日、一緒にいるのは彼女。セフィライズはほんの少し、スノウに迷惑をかけるのではと、思った。しかし帽子を被ったままというのも変な話。結局彼は帽子を脱ぐと、中におさめていた髪がするりと落ちてきた。
「セフィライズさん。……笑いませんか?」
恥ずかしくて仕方がない。しかしコートを脱ぐ決心をしたスノウは真っ直ぐセフィライズを見た。どうしてこんな当たり前のことを失念していたのか。ゆっくりと彼女がコートを脱ぐと、セフィライズの見慣れた服が見えた。
「もしかして、制服の……」
「ご、ごめんなさい。わたし、あの……服を、買ったことがなくて……」
恥ずかしい。服を買ったことがない、なんて。この国にきて何ヶ月たっているのだろう。まさか、私服で外に出るなんて考えもしなかったからだ。
「それなら、ちゃんと制服を着てこればよかったのに。それは、いくらなんでも寒いだろ」
セフィライズがカーディガンのボタンに手をかける。それを脱ぐと彼女の肩にかけようとした。しかし流石に悪いとスノウが身を引く。
「私は、この下にも着ているから。それだけは流石に寒い」
確かに、室内といえどスノウにとっては肌寒い。許されるならコートは着ていたかった。それでも彼のカーディガンを受け取る事を拒否しなくては、と慌てる。手を振って、必死に断った。一瞬、彼が伏し目がちになる。少し考えて、何か思いついたのか彼は薄く笑った。
「じゃあ、これは仕事だ」
そう言って、着るようにと念を押される。つまり上官命令と言いたかったのだろう。
「君はたまに押しが強い、たまには逆もいいんじゃないか」
椅子に座り、頬杖をついて彼は笑う。それはあの旅の途中で、幾度か見せてくれた自然な笑顔だった。スノウは、彼のその雰囲気になんだか落ち着く。とても懐かしくて、とてもあたたかくて。本人もよくわからない気持ちが胸いっぱいに広がった。
受け取ったカーディガンは少し長くて、袖の部分を折り曲げて着る。男性のものはボタンが反対についているので、それがとても新鮮だった。




