17.血の霊安室編 諍い
スノウは辺りを見回し、いつの間にかセフィライズの姿が見えない事に気が付いた。不思議に思いながら、壁にもたれかかるシセルズのもとへ向かう。顔色は相変わらず悪い。どうやらまだ酒が残っている様子。
「セフィライズさんは?」
「医務室」
短い返事だった。その言葉を聞いた瞬間、スノウの胸がひやりとする。もしかして、自分のせいで、また何かあったのではないか。
「ありがとうございます!」
頭を下げると、彼女は急いで医務室へ向かっていった。 その後ろ姿を見送りながら、シセルズは少しだけ口元を緩める。微笑ましいものだと思った。もっとも。それどころではないほど気持ち悪かったが。
スノウは医務室まで小走りに向かった。途中、前から六花の一人であるラミエル・モルヴァンが歩いてきた。絹糸のように整えられた茶髪は一筋たりとも乱れず、長い睫毛を愛でるかのように目じりあたりをなでた。頬には常に薄い笑みが張りつき、自己陶酔が露骨に漏れている。
スノウは立ち止まり、道を開けた。頭を下げると、ラミエルがスノウの前で立ち止まる。
「ほぉ。本当に、噂通りの美しい髪の色ですねぇ」
スノウは顔をあげた。頬骨が張っていて、どこか鋭い印象を与える顔つき。薄い唇には男性だというのに紅をさしているように見えた。
「あ、の……」
「あぁ、わたしはラミエル・モルヴァン。アリスアイレス王国第一王子親衛隊、六花の一翼を担う者です。あなたの上司と肩を並べる者、と覚えておきなさい」
アリスアイレス王国第一王子親衛隊六花。王国中から選び抜かれた六人の強者だけが名を連ねる、精鋭中の精鋭である。
スノウは驚きながら自分の無知を詫びながら深く頭を下げた。
「しかし、本当に美しい。その瞳の色も」
ラミエルが距離を詰めてくる。吐息が触れそうなほど近くまで顔を寄せると、スノウの金髪に指先を滑らせた。その仕草は妙にねっとりとしていて、まるで髪そのものの感触を味わうかのようだった。
スノウは肩をすくめて、顔をそむけた。どうしたらいいかわからない。
ラミエルは、スノウの反応を楽しむようにさらに距離を縮めた。
「セフィライズの顔を立てると思って、今晩わたしの部屋にきなさい」
ラミエルは、まるで何でもないことのように言い放った。しかしその声音には、拒絶を許さない圧が混じっている。耳元に残る吐息の余韻が、スノウの背筋をぞわりと震わせた。
セフィライズの名前を出されては、断るという選択肢は選べない気がしてならない。すごく嫌だ、いやだけれど顔を立てなければと戸惑った。
ラミエルはスノウの沈黙を楽しむように、指先で金髪の一束をすくい上げ、ゆっくりと離した。自分の言葉がどれほど効いているかを確かめるような余裕さえ感じる。
「は……」
はい。わかりました。と、答えそうになったその時だった。
「貴様に立てる顔はない。ラミエル」
低く、鋭い声が空気を裂いた。セフィライズの声だ。
振り返ったスノウの目に映ったのは、普段は決して見せない、氷のように冷たい表情。その奥に、押し殺しきれない怒りがはっきりと宿っていた。
セフィライズは迷いなく二人の間に割って入り、ラミエルの手を乱暴に払いのけた。乾いた音が響き、ラミエルの指先が宙に弾かれる。
「あなたには勿体ない部下のようだ。それに、礼儀をわかっていない。私が教えて差し上げようかと」
「礼儀がわかってないのは貴様の顔じゃないのか」
「はぁ!?」
ラミエルの声が裏返る。顔を真っ赤にし、目を見開き、まるで自分の尊厳を踏みにじられたかのように震え出す。
「い、今……なんと……!? このわたしに向かって顔が礼儀を知らないと!? 貴族たるわたしに無礼だ!」
ラミエルは怒りで肩を震わせ、今にもセフィライズに掴みかかりそうな勢いで詰め寄る。震える手は剣の柄を握っていた。だが、セフィライズは微動だにしない。
「……相手になろうか」
一瞬、ラミエルは怯んだ。アリスアイレス王国の氷狼。六花全員が束になったところで敵う相手では決してない。頭一つどころか一人だけ異常なほど突出した強さを持つ存在。
「おい、そこまでだ」
低く響く声とともに、グラントが二人の間へ踏み込んだ。獣のように逞しい腕を広げ、そのまま二人の肩を押し分けるようにして距離を取らせる。押された瞬間、ラミエルはよろめいた。
「六花同士が何をしてる。カイウス様の名前を穢すつもりか」
ラミエルの顔が一気に強張った。
「礼儀を語るならまずは己の振る舞いを正せ、ラミエル。それにセフィライズ。すぐに挑発するな」
グラントは深いため息をつき、乱暴に頭をかいた。その仕草は呆れと苛立ちが半々で、まるで手のかかる弟たちを叱っているようだった。
二人はまだ睨み合っている。しかし、ラミエルはカイウス王子の親衛隊という立場に強い誇りを持つ男だけに、グラントの言葉は効いたようだった。
「……ふんっ」
鼻を鳴らし、悔しさを隠すように顔をそむける。そのままマントを翻し、足早に背を向けて去っていった。
「もう少し穏便にできませんかねぇ」
グラントはラミエルの気配が消えるのを確認してため息をついた。
「だいぶ穏便に済ませたが?」
「はぁ……まぁ、もう少し、うまくやってくださいよ。セフィライズ様」
グラントは立場を強調するかのように語尾を強める。ただ、あきらめ気味の表情だった。
「それで……」
セフィライズは冷めた瞳をグラントに向けた。グラントは、こんなところを通るような男ではない。何かしら用事があったと思ったのだ。
「あぁ、そうそう。例の死亡事件」
セフィライズは眉をひそめた。あまりスノウには聞かせたくない話だからだ。アリスアイレス王国で起きている奇怪な死亡事件。シセルズから相談を受けた内容だ。しかし、グラントは続ける。
「ついさっき城内で起きた。ちょっと見てみらえないかと思ってな」
「わかった」




