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16.城内での日々編 一本


「いいか、適当に切り掛かっても意味ないからな! こういう一対多数の時は、隊列組んで、役割決めてだな!」


「兄さん、助言は……」


「ありだろあり! 負けんな!」


 吐き気と頭痛を振り払うように、シセルズはわざと声を張り上げた。無理にでも気分を高めていなければ、身体の不調に引きずられそうだった。セフィライズに挑む兵士たちへ、ああでもないこうでもないと指示を飛ばす。やがて全員がその声に従い、どうにか連携を形にし始める。

 すると今度は、セフィライズの表情にわずかな焦りが浮かんだ。


「やりにくいっ……」


 三人の兵士が前方から同時に踏み込んでくる。セフィライズはその間をすり抜けるように身をひるがえした。だが、逃げた先にも剣を構えた兵士がいた。シセルズの指示だ。どちらへ避けるかを読まれ始めている。剣筋の精度が増すにつれ、セフィライズは少しずつ動ける場所を削られていった。

 セフィライズには本気で叩きのめす気はなかった。軽くあしらい、疲れさせ、それで終わればいい。だが、シセルズの声が飛ぶたびに兵士たちの動きはまとまりを増していく。さすがに人数が多すぎた。身軽さだけで避け続けるには限界がある。

 セフィライズは地を蹴った。一息に包囲から飛び出し、大きく距離を取る。兵士たちの視線が一斉に彼を追った。セフィライズは立ち止まり、深く息を吸う。そしてゆっくりと吐き出した。その姿を見たシセルズの顔色が変わる。


「呼吸を整えさせるな!」


 シセルズは慌てて叫んだ。だが、もう遅かった。その場にいた誰もが息をのむ。

 まただ。セフィライズの周囲に、白い冷気が揺らめいている。振り返った彼の背後には、巨大なフェンリルの影が立っているかのようだった。重圧が押し寄せる。

 兵士たちは思わず足を止めた。そのまま踵を返して逃げ出したくなるほどの威圧感だった。


「おらー! 気迫だけで弱腰になるんじゃねぇ! 相手は一人だ!」


 シセルズの鼓舞もむなしく、兵士たちの顔は引きつっていた。


「明日まで起き上がれなくなるかもしれないけど、いいよね」


 追い打ちをかけるようなセフィライズの一言に、何人かの肩がびくりと跳ねる。目の前の氷狼(フェンリル)。後ろにはシセルズ。逃げ場はなかった。


「ほら行け! 右から回れ! 囲め囲め!」


 飛んでくる指示に背中を押されるようにして、新兵たちは剣を握り直す。半ば覚悟を決めるしかない。

 全員が気合いを入れ直し、目の前のセフィライズへと突っ込んでいった。


「あんなののどこがいいの、スノウちゃん」


「なんですか?」


「いや、だから。俺が思うに、根暗だし、一回切り替わったらまぁまぁな戦闘狂じゃん。付き合いやすい方でもないし、どこもいいとこないだろ?」


 スノウは首を傾げた。セフィライズのことを聞かれているのだろう。しかし、何と答えればいいのかわからない。少し考えてから、ぽつりと言う。


「セフィライズさんは……とても優しいですよ?」


 そう答えた瞬間、旅の記憶が胸によみがえった。初めて出会った日のこと。共に歩いた道のこと。何気ない会話や、助けてもらったこと。大切な思い出がひとつ、またひとつと浮かび上がり、そのたびに胸の奥が温かくなる。この気持ちが何なのか、スノウにはまだわからない。けれど、彼のために何かしたいと思う。力になりたいと思う。それはきっと、感謝で。恩返しをしたいという気持ちなのだと、今の彼女はそう信じていた。


「えっと、スノウちゃん……」


 その反応だけで十分だった。シセルズは悟る。スノウには自覚がないのだと。

 彼の目には、スノウの気持ちはずっと前から見えていた。だからこそ、自分の気持ちくらい本人も分かっているものだと思っていた。分かったうえで、あえて口にしないのだと。だが違った。本当に気づいていないらしい。

 シセルズは小さく息を吐く。ならば、その気持ちに名前は付けない方がいい。言葉には力がある。一度名前を与えてしまえば、人はその意味に引っ張られてしまうものだ。


「若いって、いいねぇ……」


「??」


 スノウはきょとんとしていた。シセルズは肩をすくめる。今は、はぐらかすくらいしかできない。いつか自然に気づくかもしれない。けれど、その引き金を自分が引くつもりはなかった。

 それはつまり、スノウを意図的にこの先へ踏み込ませるということだからだ。


 どんな顔をするだろう。どんな気持ちになるだろう。あいつは彼女に何を言うのだろう。

 考えたくもない未来が、ふと頭をよぎる。

 避けられない。逃げられない。

 ――その日を作るのは、自分であってはならない。

 シセルズは木剣を振るう弟を見つめた。その"いつか"を背負うのは。自分ではなく、あいつ自身だ。


 一人、また一人と兵士たちがセフィライズに倒されていく。もはや形勢逆転は不可能だと、誰もが思っていた。シセルズを除いて。

 再び乱戦となった訓練場を眺めていたスノウへ、彼は不意に木剣を差し出した。


「え?」


 何が起きたのかわからないまま、スノウはそれを受け取る。


「あの、これ……」


「最終兵器、投入っ!」


 次の瞬間。シセルズが勢いよくスノウの背中を押した。よろめきながら数歩前へ出る。慌てて振り返ると、シセルズが両腕を振り上げていた。


 「いけいけー!」


 どうやら。あの乱戦に参加してこい、ということらしい。どうしよう。困った。スノウは半ばやけくそで木剣を握りしめると、セフィライズへ向かって駆け出した。

 突然突っ込んでくる彼女に気づき、セフィライズが目を見開く。その向こうでは、シセルズが実に楽しそうな顔をしていた。


「兄さん……」


 思わず呆れた声が漏れる。スノウの木剣が振り下ろされる。軌道は分かりやすい。避けるだけなら簡単だった。だが、スノウはすぐに木剣を構え直し、再び突っ込んでくる。しかも今度はぎゅっと目を閉じたまま、闇雲に剣を振り回していた。危なっかしいことこの上ない。その背後では、兵士たちも木剣を構えている。

 訓練を積んだ者同士なら、お互いの動きを読んで避けられる。だがスノウは違う。

 このままでは――。


「えーいっ!」


 スノウは木剣を振り下ろした。全身全霊を込めた一撃だった。軌道は大きく隙だらけで、避けるだけなら簡単だったはず。だが、セフィライズは動かなかった。顔の前に腕をかざし、その一撃を受け止める。乾いた音が響いた、その直後。背後から飛び込んできた新兵たちの木剣も次々と彼に当たる。手加減などできる余裕はなかったのだろう。木剣とはいえ、まともに受ければ十分痛い。


「……」


「あれ……?」


 スノウは目をぱちぱちと瞬かせた。セフィライズが避けなかった事は、誰の目にも明らかだ。だが、新兵たちはそんなことを気にする余裕もなく、五十周走る事を免れた喜びのほうがはるかに大きかった。

 疲れ切っていた彼らから歓喜の声があがる。新兵たちは次々とスノウの周りへ集まってきた。

 その輪からそっと離れ、セフィライズはシセルズの元へ歩いてくる。押さえている腕を見て、シセルズが眉を上げた。


「痛めたのか?」


「少し……」


 木剣を受けた腕がじんと痺れていた。セフィライズは顔をしかめ、手首をゆっくり回す。


「あのセフィライズ様の腕を痛めさせるとは、将来大物ですな!」


 シセルズがにやりと笑った。実に楽しそうだ。セフィライズは冷ややかな視線を向ける。

 シセルズがスノウを呼び戻そうとするのを、セフィライズが止めた。


「いい、医務室に行くから」


 そう言い残して、訓練場を後にした。




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