15.城内での日々編 鍵
スノウはあたりを見渡して、セフィライズの姿が見えなくなっていることに気がついた。まだ酔いが残り気持ち悪い状態で壁に寄りかかっているシセルズのところまでくると、彼がどこに行ったか尋ねる。医務室に行ったと聞いた彼女は、自分のせいで、また何か彼に起きたのかと思って焦った。
シセルズに頭を下げて医務室へ急ぐ。その姿が、少し微笑ましいとシセルズは思いつつ吐き気を我慢した。
スノウが医務室の前の廊下を走っていくと、ちょうどセフィライズが右腕を固定するように包帯を巻きつけながら出てくる。
「ごめんなさい!」
目の前に突然現れた彼女は、見るなりすぐに頭を下げて謝っている。セフィライズの腕を見て、とても慌てているのが分かった。こういう時、なんと声をかけていいかわからない。いつものように、問題ないからとだけ言えばいいのだろうかと、少し悩んだ。
「……明日から、少し出る。外交の、護衛で」
兄が何も言わずに行くことに、不満そうだったのを思い出して言ってみる。スノウはとても嬉しそうな顔をした。
「そうなんですね。何か、お手伝いできることはありますか?」
連れて行ってもらえるとは微塵も思ってない。スノウは何か残ってできることがないか模索した。黙っているセフィライズに、提案をいくつかしてみる。彼女がその中で、掃除、と言うと、彼に反応が見られた。
「……掃除、ですか?」
「執務室があって」
「そこをお掃除すればいいですか?」
「いや、空気を入れ替えるだけでいい」
しかしスノウは彼の執務室の場所どころか、そもそも存在する事すら知らなかった。何せ仕事に関する会話なんてしたことがない。だから、彼が普段何をしているか知らない。スノウは次の言葉を出せないままでいた。
「……案内する」
セフィライズは目を細めてスノウの挙動不審な反応を見ていた。それが彼の微笑だと気が付くのに、さほど時間はかからなかった。すぐに背を向け歩き出すセフィライズのうしろを、スノウはゆっくりとついていく。
スノウが普段通ることのない廊下。いつもなら、前から人が来てもただすれ違うだけだというのに、セフィライズと一緒だと、全員が端によけて敬礼をするのだ。
アリスアイレス王国の敬礼は、右手を開いた状態で左肩の少し下に触れる。反対の手は腰の後ろに回すのだ。足をまっすぐ整えて、朝ならば「おはようございます」などの声を発する者もいる。
セフィライズは敬礼をし端に並ぶ人に慣れきった様子で通るも、スノウはいちいち頭を下げる。
なんだか恥ずかしい気持ちだった。
しばらく進むと、前方を二人の兵士が長い槍を交差させて立っている。セフィライズの姿が見えると、敬礼をして槍を引いた。
「すみません、後ろの方はお通しできません」
セフィライズが通り抜けた後、スノウの目の前で槍を戻す。スノウは困惑して立ち止まり、セフィライズも少し考えてから何かに気がついた。彼女には、何の階級章がないからだ。ここから先は、関係ある階級章がなければ入れない。
「彼女は……」
しかし、言葉を繋げるのをためらった。
ずっと思っていた。どうして自分の下に付いたのかと。
セフィライズ自身があまり周りから良く思われてない事は理解しているし、あえてそのようにしているところもある。そんな自分の下だと、同じく印象を悪くしないだろうか。それに、遠方に移動する事も多く、戦闘になることも多い。同行なんてさせられない。
だからあえて、別の部署に移動したくなるように仕向けたかった。できれば兄のように、城内で完結するような仕事に。
「私の下に就くことになった。階級章は執務室で与える」
言葉に出してしまったら、もう戻れなくなる気がした。だから避けたかった。複雑な表情をするセフィライズと違い、スノウは目を見開いて嬉しそうにしている。
兵士が槍を引く、スノウはその一歩を踏み出し、彼の元へ歩み寄った。すぐ隣に並び、頭一つ分よりも背が高いセフィライズを見上げる。その彼の表情が変わったのがわかり、セフィライズの視線の先を見ると前から文官のツァーダが歩いてきていた。
スッと、セフィライズが壁に沿って立ち止まった。静かに右手を胸に、左腕は後ろの腰へ当て、頭を下げる。すぐスノウも真似をして敬礼をし、彼の隣に並んだ。
「おはようございます」
深く頭を下げている彼の前で、ツァーダはそのでっぷりとした腹をセフィライズに向け立ち止まった。アリスアイレス王国の制服とは違う、いかにもといった高級な衣服。シルク生地に細かな金糸の刺繍がなされ、袖口にいたるまで手の込んだ仕事。胸元には厭らしいまでに輝く宝飾品が飾られている。
「ふん。こんなところを歩かせるな」
ツァーダはセフィライズの隣に立つスノウを人睨みして、吐き捨てるように言った。アリスアイレス王国の文官であるツァーダは、優秀なのだが他民族に理解がない。
高貴な生まれかどうか。それが彼の判断基準だ。スノウのような異国の少数民族。セフィライズのような見た目の者は、ツァーダから見れば低俗な生き物に見え嫌悪感を抱く。
「申し訳ありません。彼女は、私の下で働く事になりました」
胸に手を当て、頭を下げ続けたままセフィライズは言う。
どうしてこんなに威圧的で卑下するような声色をしているのだろうと、スノウは恐怖を感じた。気が付いたら両手を胸に当てて体をすくませている。それがツァーダには気に入らなかったようだ。
「何……この奴隷がか?」
「はい。カイウス様のご命令です」
「チッ。カイウス様はこんな下賤の者を。貴様のような白亜にはちょうどいい、か」
ツァーダは白き大地の民を蔑む言葉である白亜に、嫌味をたっぷり込めて言う。
スノウはそれを聞きながら、セフィライズの事を心配した。しかし彼は顔を一切上げず、声色も変えないまま返事を続ける。
「私にはもったいないぐらい優秀です」
そのセフィライズの言葉が終わるよりも先に、ツァーダは離れていく。そして吐き捨てるように言った。
「その女に礼儀を教えておけ!」
ツァーダの姿が見えなくなるまで、セフィライズはずっと敬礼で頭を下げたままだった。顔を上げた彼は、隣で困惑した表情のスノウを見る。
「スノウ、君の階級は下から数えたほうが早い」
「あ、えっと。はいすみません……」
セフィライズはおそらく、しっかり敬礼をしなさい。と、言いたいのだとスノウは思った。わからなかったわけではない。最初は胸に手をあて、頭を下げた。しかしすぐに顔を上げてしまったのだ。そしてツァーダの、汚いようなものでも見るかのような目と蔑みの声に、驚きと少しの恐怖を感じて固まってしまった。
「すまない」
セフィライズは差別的な扱いを受ける事には慣れている。しかし、己以外の誰か、に向けられるという事にはあまり慣れていなかった。何か、ツァーダに対して言える事があったのではないだろうかと思うと、自然と謝罪の言葉を口にしていた。
「え……?」
どうして謝られたのか、スノウには分からなかった。しかしセフィライズはすぐに前を向いて歩いて行ってしまう。その謝罪の意味を、聞けなかった。
セフィライズは執務室の鍵を取り出して扉を開けると、中は両側面の天井まで本棚に埋め尽くされている。前方には段差があり、その上の中央には立派な作りの机と椅子、その後ろは大きな窓があった。相変わらずの雪景色が遠くまで続いている。窓が大きい分、少し肌寒い。
スノウが体を抱くのを見て、セフィライズは入り口すぐの壁に取り付けられている魔導人工物に触れる。すぐに室内が暖かくなった。彼は小上がりの階段を登り、机のところまで進むと引き出しを開けたりして、何かを探し始める。
「これは、鍵と。あと、階級章」
本当は、渡してないことに気がついていた。わざと渡していなかった。
城内では階級章が全て。見れば誰がどこの所属で、どのくらいの立場かがわかる。これを彼女がつければ、一目瞭然で彼女がセフィライズの部下であると知れてしまう。奇妙な目で見られるのではないかとずっと気にしていた。
スノウはセフィライズから嬉しそうに鍵と階級章を受け取る。針葉樹に星、そしてそびえる山脈の下に、狼があしらってある。彼のものと全く同じだ。これが、きっと彼自身の所属を示すものだろうと思った。その下に、雪の結晶の印が二つある。これはごく一般的な従者のクラスだ。セフィライズのものは、大きな雪の結晶が五つ。最上位の証。
「ありがとうございます」
スノウはふんわりとあたたかく微笑んだ。
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