14.城内での日々編 願い
「セフィライズ、もしお前が……普通の人間だったら。だったら、もっと……」
「また、その話?」
シセルズはすでに四杯目の氷酒に口をつけていた。セフィライズは、少し辛そうにロックグラスへ視線を落とす。
「もっと、何も気にせず生きていけるのになって……」
「兄さんは、何も気にしなくていい。これは、本当に、俺だけの問題だから」
セフィライズは譲らない。自分だけの問題で、誰にも解決できないもので、そして、誰の責任でもないものだと。
けれどシセルズは知っている。本当は、そんな個人の問題で片付くようなものじゃない。セフィライズの未来を奪う何か。放っておけば、ただ決められた道を転がり落ちていくだけ。冷たくて、静かで、残酷なもの。
だからこそ、抗わなきゃいけない。無理だとか、仕方ないとか、そんな言葉で終わらせたくない。もっと、未来を描いてもいいはずだ。なら、奪わせてたまるか。ただ黙って従うなんて、絶対に嫌だった。たとえ、どんな手段を使うとしても。
「あーわかった。じゃあ、俺がお前の為に何をしても、俺だけの問題でいい。だろ?」
「だから、何もしなくても……」
「いや、お前は気にしなくていい。これは俺だけの問題だからな」
シセルズは、わざと嫌味のようにセフィライズの言葉を借りた。「酔ってるのか?」と問われ、大声で「酔ってねぇーよ!」と返し、机に突っ伏す。
シセルズは、本当は少しだけ罪悪感があった。胸の奥で、黒いものがじわりと滲む。けれど、俺だけの問題という言葉を飲み込んで、その罪悪感を押し流した。
弟の未来を守るためなら、どれだけ手を汚しても構わない。
「セフィー、もう一杯入れてぇ……」
「五杯目なんだから、もうやめとけって」
止めながらも、セフィライズは結局グラスに酒を注いでしまう。注がれた氷酒を、シセルズはほとんど噛みしめるように飲み干した。喉を通る熱さが、胸の奥にある何かを一瞬だけ誤魔化す。セフィライズは眉をひそめた。
「兄さん?」
「だいじょーぶだって……」
さっき吐き捨てたその言葉。本当は、あれは皮肉なんかじゃない。自分がすでに“手を汚している”ことを隠すための言葉だった。だからこそ、罪悪感が喉にひっかかる。けれど、飲み込んだ。
「もう少しだけ、そばにいろよな……」
少しと言わず、どうか。どうか。
あの後、何杯飲んだか覚えていない。机に突っ伏したまま泥酔したはずなのに、シセルズはベッドの上で目を覚ました。その瞬間、頭が割れるように痛み、胃の奥がぐらりと揺れ、酷いめまいに襲われて起き上がれない。喉の奥から、情けないうめき声が漏れた。
「おはよう兄さん」
「あーー……あっれー……セフィ? やべー、気持ち悪い……」
自分でも何を言っているのか分からないほどの二日酔いだった。体を起こすだけで吐き気がこみ上げる。吐くものなんて何もないのに、胃がひっくり返る。
「だからやめとけって言ったのに。あ、兄さん着替え借りるから」
セフィライズは慣れた手つきでクローゼットを開け、兄の制服を取り出す。二人はほとんど体格が同じだから、違和感はない。
「ぇえー……俺、今日……仕事?」
シセルズはそれは絶対無理という顔をした。なんとか起き上がってみるが、その瞬間に世界が揺れ、無理だと悟る。
「兄さんは寝てたらいい。俺が行くから」
「え? 何?」
「兄さんの替わりに、俺がやるって言ってんだよ」
セフィライズは、シセルズの紺色の軍服を身に纏った。本来、セフィライズとシセルズなら、地位が高いのはセフィライズだ。しかし、面倒くさいという理由でいつも一般兵の麻色の軍服を身に纏っている。
「似合ってんじゃん」
シセルズは茶化すように笑った。
着替え終えたセフィライズは、いつものように自身の髪を隠すマントへ手を伸ばす。その視界に、ふわりと揺れる銀髪が映った。一瞬だけ動きが止まり、彼はそっと手を下ろす。
「お前、休み……?」
「ううん、三日後からカイウス様の護衛で同行だから、それまでそんなに忙しくない」
「それ、スノウちゃん知ってるか?」
シセルズは、まさか黙って行く気じゃないだろうなと慌てた。今の立場なら、スノウはセフィライズの予定を把握していてもおかしくない。むしろ、ついて行く可能性だってある。
「なんでそこに彼女が出てくる……」
セフィライズは心底不思議そうに眉を寄せた。その反応があまりにいつも通りで、シセルズは逆に頭を抱えたくなった。
これまでセフィライズの下に誰かがついたことはほとんどない。いや、実際には何度かあったのだが、あまりにも人を使う技術がなさすぎて、全員お手上げだった。階級的にも雑務をこなす人材は必要で、たまにレンブラントがカイウスの指示で手伝っているが、結局ほとんどを一人で抱え込んでしまう。
「連れていく気はない」
だが、セフィライズはどこか、覚悟を決めた目をしていた。だからシセルズもそれ以上は何も言わない事を選ぶ。
「何日?」
「一織(十七日)」
「りょーかい」
「……じゃあ、俺行くから。兄さんは寝てて」
多分、逃げない。ちゃんと、何かに向き合うつもりだ。その最初の一歩が、きっとこれだ。
セフィライズが出ていったあと、シセルズは部屋に残されたフード付きのマントを見つめた。




