7.城内での日々編 本気
先に動いたのは、セフィライズだった。
スノウの目の前にいたはずの彼は、彼女が瞬きをするそのわずかな時間で、すでにシセルズと木剣を交えている。すぐさま地を強く蹴り、高く跳んだ。空中で身体をひねるその動きは、まるで重力から解き放たれたかのように軽やかだった。
スノウは、かつてギルバートとの模擬戦で感じた冷気を見た気がした。セフィライズの剣が描く軌道に、細氷のような光が尾を引いていたのだ。まるで、彼の速さそのものが空気を凍らせているかのように。
あまりにも速く、目では追えなかった。壁際に整列した兵士たちは、必死に目を凝らす。体はその場に固定されたまま、首だけが前へと突き出されていく。
スノウもまた、思わず身を乗り出しながら視線を研ぎ澄ませていた。
「ったく、速すぎだっつーの!」
シセルズは降り注ぐ剣撃を、一つひとつ弾き、かわしていく。だが視線が追いつかない。眼球の動きが限界を越え、追跡が途切れるほどの速さだった。
「ここだっ!」
見つけた隙を狙い、薙ぎ払うように木剣を振るう。しかしセフィライズは、恐ろしくしなやかな動きでその一撃を滑るように回避した。
少し距離を取ったセフィライズが、短く息を整える。
「……満足?」
「まだまだぁ。また手が滑ったら困るだろ」
シセルズの挑発に、セフィライズは深くため息をつく。木剣を握り直し、再び地を蹴って駆け出した。
シセルズは、幼い頃から見てきた弟の才覚を思い返す。その成長ぶりは、もはや末恐ろしいと言うほかない。アリスアイレス王国の氷狼に、どこまで抗えるのか。そんな思いが脳裏をよぎる。
空気を裂く、鋭い音。
その音をまとったセフィライズの木剣をかわし、シセルズは一気に懐へ飛び込んだ。渾身の力で、腹部へ拳を叩き込む。
伸びた拳がセフィライズの腹をかすめ、彼の身体が後方へ弾かれる。
「くっ、けほッ……」
当たった!
スノウは胸の奥で弾ける驚きを抑えきれなかった。
セフィライズは、腹に走る痛みと息の詰まる感覚を押し殺しながら、手の甲で口元をぬぐう。
木剣を握る手とは逆の手で、拳がかすめた腹部を静かに押さえた。
「相変わらず苦手だよな」
シセルズは苦笑しながら、ひとまず息を整えるように膝へ手をついた。
「何度も言ってるだろ、本物の戦闘は剣以外も使ってくる。お前は一つに集中しすぎるんだよ」
シセルズは木剣の切っ先をまっすぐセフィライズへ向けた。勝ち誇ったような笑みを浮かべてはいるが、その余裕は表面だけだ。
幾度となく模擬戦を重ねてきたが、ここまでセフィライズの本気を引き出したのは初めてかもしれない。いつもどこかで手を抜かれる、兄弟だからなのか、模擬戦だからなのか、それはわからない。
「まだ、もうちっと出るだろ? 来いよ」
セフィライズが心の底から本気になったら、いったい何が起こるのか。その姿を、極限まで引き出してみたい。シセルズはそう思うと、胸が高鳴って仕方がなかった。指を立てて挑発し、ちらりとスノウへ視線を送る。
その仕草を見た瞬間、セフィライズは大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。身体をしなやかに揺らし、木剣を握る手と首を軽く回す。
やがて静かに目を開いたとき、その銀の虹彩に宿る瞳孔は氷のように冷たく、これまで見たこともないほど鋭かった。
―――これ、鋼の剣だったら……俺、死んでるかもな。
シセルズは内心で苦く笑う。だが同時に、今こそが最大の好機だとも感じていた。これまで一度も見たことのない、弟の“本気”が現れるかもしれない。
シセルズは盾のように木剣を体へ添えて構えた。また正面から来る、そう思った、その瞬間だった。
目の前にいたはずのセフィライズが、気づけば真後ろにいる。あまりの速さに、軌道がまったく追えない。振り払われた一撃を、しゃがみ込むようにして避けるのが精一杯だった。
しかし、間を与えてはくれない。次の斬撃が容赦なく振り下ろされる。それを受け流した次の瞬間には、もうセフィライズの姿はそこになかった。
「どんな速さしてんだよ、お前ッ!」
木剣同士がぶつかるたび、まるで共鳴するように速度が増していく。シセルズはすでに限界に達していた。大きく身をそらして避けると、足払いのように低く攻め込む。だが、それすら当たらない。
剣戟の隙間を必死に目で追う。四方から鋭角に切り込まれ、気づけばセフィライズは反対側にいる。
木剣同士が共鳴するように当たる度に、増していく速さ。シセルズはもう既に限界だった。大きく避けると、足払いをするかのように低空を攻める。しかしそれも当たらない。剣戟の隙間を目で追う。四方から鋭角に切り込まれ、気がついたら反対にいる。
受けるたびに腕へ伝わる振動。木剣とは思えないほど重い衝撃。反応し続ける身体は、すでに限界へと追い詰められていた。
シセルズはもう一度、木剣を掲げた。セフィライズが高く振りかざした、そのわずかに空いた胴へ向けて。当たる、そう思った瞬間、振り上げられていたはずの木剣が軌道を変え、正確に防がれる。
反動でシセルズの木剣は弾かれ、手から離れた。
意図せず跳ね上がった木剣は、期せずしてスノウの方へ飛んでいく。
セフィライズはそれを空中で叩き落とした。
「……悪りぃ、今のは」
「兄さんの負けでいい?」
「ああ、悪かったな」
セフィライズは床に叩き落とした木剣を拾い上げ、自分の剣と合わせて二本を片付けるために歩き出した。
「あーー! 疲れるわぁ!」
シセルズは荒い息を吐きながら、その場に大の字で倒れ込む。気づけば全身が汗で濡れていた。だがすぐに跳ね起き、壁際に整列した兵士たちへ指を向ける。
「はい、じゃあ今のを真似して前から二人ずつ組んで、ちゃちゃっと打ち合いはじめようか」
誰もが、今の動きは“真似”どころか“参考”にすらならないと思っていた。それでも全員が、シセルズの号令に大きく声を返した。




