8.城内での日々編 練習
それぞれが手合わせを始める中、スノウだけが相手のいないまま立ち尽くしていた。
周囲を見回しても、誰も空いていない。
「終わったなら、帰るから」
「待てよ」
セフィライズはいつものようにマントのフードを深くかぶり、髪と顔を隠したままスノウの横を通り過ぎようとする。一度も視線を向けることなく。
「お前はスノウちゃんの相手をするんだよ。ほら一人余ってんだろ」
セフィライズは出口へ向けた体勢のまま、しばらく動かなかった。やがて、深く長いため息をつく。
「おい、セフィ」
「わかった」
弟の、不貞腐れた子どものような返事に、シセルズは胸の内でそっと笑った。セフィライズは再びマントを脱ぎ、スノウの前に立つ。
彼女は少し見上げる形で、久しぶりにセフィライズの顔を見た。あれほど近くに感じたはずの彼が、目の前にいるのに、まるで手の届かない場所にいるようだった。
城内ですれ違うかもしれない。少しだけ話せるかもしれない。声をかけに来てくれるかもしれない。そんな淡い期待を、ずっと抱いていた。
一緒に旅をしたいくつかの思い出の中で、自然と笑顔をみせてくれていたのも、もうずっと遠い昔。
「あの……お願いします」
スノウは頭を下げた。彼が広いところに移動するのを黙ってついていく。少し距離を取って向かい合った。
「どこまで習った?」
「えっと、何も」
その回答にセフィライズは兄の方を見る。遠くてシセルズは親指を立てて笑って見せた。
「初歩的なものでいいか」
無表情のまま、伏し目がちな瞳。セフィライズはスノウの目の前で腕を伸ばし、足をすらしながらスノウに教えようとする動きをして見せた。
「誰かとやってるところを見てもらう方が早いけど、誰もいないから。こうやって、相手の進む力を利用するように受けて、それで……」
セフィライズは丁寧に動いて見せてくれる。彼女は真剣に彼の動きを見て頷くも、しかし全く理解できていなかった。
「やめようか……」
彼女が理解できてない事を察して、もう少し簡単なものがいいかと思考を巡らせる。
「じゃあ、ここに一発当てて。流して見せる」
「はい!」
セフィライズは胸の前で手のひらを見せ、反対の手でその拳を指し示した。スノウはぎこちなく拳を握りしめ、少しだけ構える。人を殴るような動作など、真似であってもしたことがない。どうしていいのかわからず、戸惑いが胸の奥で揺れていた。
「思いっきり殴ってくれた方がやりやすい」
「わかりました」
彼女の遠慮が見えたのだろう。指摘をされてしまった。スノウは何度か深呼吸し、構えられた手のひらへ向けて、右の拳を思いきり突き出す。その拳は一瞬、彼の大きな手のひらに包まれた。
次の瞬間、セフィライズはスノウの勢いをそのまま利用するように身を引き、滑るように側面へ回り込む。気づけばスノウの身体はゆっくりと地面へと導かれていた。彼の腕が後ろ首を押さえ、起き上がろうとしても動けない。殴りつけたはずの右手も、いつの間にか固定されていた。
「わかった?」
セフィライズが押さえ込みを解くと、スノウはゆっくりと立ち上がった。だが、いま自分の身に何が起きたのか、その仕組みまでは理解できていない。それでも、覚えれば自分にもできるはずだと信じるように、小さく頷いてみせた。その瞳には、確かなやる気が宿っていた。
「もう一度、お願いします!」
めげない。やったことがないのだから、最初は出来なくて当たり前だ。スノウは呼吸を整えて頭を下げる。
「次、やってみよう。手を引くから、体を動かして」
セフィライズがそっとスノウの手を取った。触れられた瞬間、理由もなく胸の奥が熱くなる。
俯いたままの彼女を、セフィライズはどこか不思議そうに見つめていた。
「どうした……?」
「い、いえ! なんでもありません!」
スノウは慌てて首を振った。自分でも理由がわからないのだから、否定するしかない。
「じゃあ、引くから。ゆっくり側面に回って。足は前に一歩……そのまま背面へ」
先ほど見たばかりの動き。返事をする間もなく、セフィライズにぐっと手を引かれ、スノウの体が前へと傾く。
指示されていない方の手が思わず伸び、よろけた肩をセフィライズが支えた。
「……すまない、少し早かったか」
その声が落ちた瞬間、セフィライズの顔が驚くほど近くにあった。透明なガラスのような銀の虹彩に、黒い瞳孔が静かに浮かんでいる。肌は陶器のように白く、どこか現実離れした色をしていた。
息遣いさえ感じられそうな距離。あまりの近さに、スノウは自分でも信じられないほど変な声を漏らし、反射的に彼を突き飛ばすようにして後ずさった。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」
もう、自分が何をしたいのかすらわからない。顔は熱くてたまらず、頭の中は大混乱。
どうして突き飛ばしたのか、その理由すら掴めない。
スノウはひたすらに手を振り、目をぎゅっと閉じて、何度も何度も頭を下げた。
「……いや。私も、無理をさせた」
伏せられたセフィライズの視線は、足元に落ちていた。その横顔には、ほんのわずかに傷ついた色が浮かんでいる。拒まれたのだと受け取ったのかもしれない。
その表情を見た瞬間、スノウの胸に強い罪悪感が押し寄せた。
何をしているんだろう、スノウは思わず頭を抱えた。自分の反応が自分でもわからない。ただ、彼を傷つけてしまったという事実だけが、胸の奥で重く沈んでいた。




