5.城内での日々編 再会
謁見の間にての業務が終わり、六花はカイウスへ付き従いながら王子の執務室へと向かっていた。歩きながらセフィライズの頭の中をよぎるのは、先ほど質問された死の狂騰。そしてそれに付随して起きた出来事だ。
ウロボロスと呼ばれたあの化け物、そして壁から這い出るように沸いた死神の群れ。どちらも人に泥土のような闇を纏わせた異形の姿だった。あんなものが湧き出たという話はいまだ、あまり広まってないように思う。それらしき事をギルバートが漏らしていたくらいだが、明確なものではなかった。それは、生き残った者が非常に少ないからではないかと予想される。
コカリコの町にあったヨルムの封印も、そして自身の記憶を深く揺り動かした祭壇の壁画も。セフィライズの胸を騒めかせ、思考をうまくまとめられない。
最後に残るのは、目の前の死に抗おうとしていたスノウの姿だった。暗闇の記憶の中に、彼女の金髪は一層輝いて見える。
「スノウは、どうしている?」
カイウスに唐突に声を掛けられ、セフィライズは自身が最後に思い出したものを言い当てられた気持ちになった。
「そういえば新しい部下が付いたんだってな」
その獣のような面構えに似つかないほど調子づいた声色で、グラントがセフィライズの肩を叩いた。
「今は……勉学に出させてます」
グラントの存在を完全に無視するかのように、カイウスへと少し頭を下げながらセフィライズが答える。グラントは両手を半ば掲げ、肩をすくめるようにして笑った。セフィライズから雑な対応を受けるのは、これが初めてではない。慣れっこである。グラントをからかうかのように、黒鉄のように縮れた長い顎髭の男、六花の一人ドラン・グロームが背中を小突いて笑っていた。
「前も同じ回答だったな」
カイウスは苦笑しながら執務室の扉を開け中に入る。その後ろで、女将軍のエルジリアが初耳だと言わんばかりに興味のある顔をして見せた。
「女の子? どんな子?」
エルジリアはセフィライズの前に回り込み、顔を覗き込むようにして言った。不快そうに、セフィライズは首を振って視線を避ける。
「愛と豊穣の女神と同じ髪色と目を持つ少女と聞きましたねぇ」
さぞかし美しいのいでしょうか。と、自分の顔に陶酔しているような男であるラミエルも、見てみたいと言わんばかりに声を上げた。
「ほぉ、意外と面食いなんだな」
グラントがまたも茶化すように言うと、セフィライズは冷え切った目で彼を睨んだ。
「やめないか」
カイウス王子が割って入る。すっかり不機嫌そうな冷めた表情のセフィライズを見て、苦笑した。
「治癒術の使える少女だ。いざという時に、と思って私がセフィライズの補佐を命じた」
「白き大地の民は貴重ですからね」
自身の大きな黒縁眼鏡を指先で押し上げながら、フィルカが口を開いた。その声音は、論理の隙を淡々と突くような冷静さに満ちている。決して、相手を揶揄するような色は含まれていなかった。
「さて、カイウス様。我々もここで下がらせて頂きます」
グラントが頭を下げた。それに続いて、他の六花の騎士たちもカイウスへと頭を垂れる。
グラントがドランとエルジリアの背を叩き、飲みに行こうと大声を上げているのを、エルジリアが慌てて諫める。そのやり取りが遠ざかっていった。
セフィライズもここで下がろうとしたが、コカリコの件で呼び止められてしまった。他の六花が完全に去ったのを確認すると、カイウスはふっと笑みを浮かべる。
「相変わらず押され気味だな」
「あまり構わないように、カイウス様から言ってくれませんか」
心底迷惑そうな声に、カイウスは声を上げて笑った。
「同じ六花の騎士として、もう少し円滑な関係を築くように、セフィライズに命じようか」
「……努力します」
真面目に受け取るところも面白いと笑う。カイウスは執務室の椅子に座り、セフィライズはその隣り立った。カイウスからコカリコについての話を切り出され、セフィライズが事実だけを淡々と述べ聞かせる。カイウスは考える仕草を見せた。
「ヨルムについて、何か知っているか」
「永遠の神として、神々の時代に魔術の神イシズの手により封印されたものというのは、おそらくどの文献でも同じでしょう。それ以上の事は」
しかし永遠の神ヨルムという存在は、もはやほとんど忘れ去られたものだ。白き大地の民ですら、王族と神職ぐらいしか記憶にないだろう。その封印を解く方法もそうだ。一部の、限られた者しか知らないはず。
「シセルズでも、知らないか」
「兄さ……はい、シセルズもおそらく」
カイウスはくすりと笑った。
「今は誰もいない。堅苦しいのはやめても問題ない。私と、お前の仲だろう」
カイウスは肘をテーブルにつき、人差し指で口元に触れながら顎をのせ、また笑う。セフィライズが少し妙な表情をして見せた。
「まだ、公務中です」
「堅いな。シセルズならすぐ崩れるところだ」
「……兄さんの、そういうところはどうかなと、思います」
その一言に、カイウスは声を出して笑う。顔はよく似ているが、こういうところは似ていない。
「いや、笑ってすまない」
「問題ありません」
そう言って薄く笑うセフィライズを、カイウスは微笑まし気に見た。この表情を、他の誰かにも向ける事ができたのなら、もう少し人とうまく、打ち解けて行けるのかもしれないというのに。
いや、一人だけ。セフィライズにこの表情をさせる事ができる他人がいる。氷狼と呼ばれ恐れられる彼の、不器用な心を変えてくれるであろう、たった一人の。
「もうそろそろ、勉学に出すのではなくスノウを傍に呼んで、仕事をしてみたらどうだ?」
「……カイウス様、その事でご相談が」
そう、セフィライズが声を発したその時だった。突然扉が開き、シセルズが顔を覗かせたのだ。
「あ、いたいた。すみませんお話中に」
「シセルズ、もうそろそろドアをノックする事を覚えてくれないか」
「いいじゃないですか別に」
第一王子に遠慮のない兄のシセルズに、セフィライズは一言、苦言を呈しようとした。それより先にシセルズが目の前に立ち、話し出す。
「わりぃけど明日、ちょっと付き合え」
「……何?」
怪訝な顔で、セフィライズは兄を見上げた。
翌朝、身体中が痛む状態でスノウは目を覚ました。しかし朝からしっかりと掃除を終わらせてから朝食を取り、気が重くなりながら練習場に向かう。
昨日と変わらず三十人程の新兵達が訓練をしている前で、シセルズが木剣を持って指導している。しかしスノウが来たのに気がついた彼は、兵士達全員を壁側に並ばせた。シセルズの指示でスノウも壁に沿って並ぶ。
「今日は、何をするんですか?」
「えーっと、模擬試合?」
体力作りから急に模擬試合なんて、飛躍しすぎじゃないかと彼女は慌てた。
シセルズはそっとスノウの耳元で、他の兵士に聞かれないように囁く。
「会いたい奴に、会えるよ」
「え?」
聞き返そうとした時には、すでにシセルズは別の場所へ移動しており、結局何も聞けなかった。会いたい奴。その言葉に、スノウの胸は小さくざわつく。誰のことなのか、答えはすぐに浮かんだ。
だが、まさか。そんなはずはないと、スノウは慌ててその考えを打ち消した。その時だった。見慣れたフードを被り、白いマントを纏った男が練習場へ足を踏み入れる。
空気が、一瞬で変わった。兵士たちの表情が強張る。張り詰めた緊張が、静かに広がっていった。
「よぉ、悪いなセフィ」
「模擬試合って……この前手伝ったばかり……」
男がフードへ手をかける。現れた銀髪に、スノウは目を見開いた。最後に会った時から切っていないのか、その髪は肩にかかるほどまで伸びている。
セフィライズは列の端に立つスノウへ気付き、わずかに目を見開いた。視線が合う。
その様子を見ていたシセルズは、面白くてたまらないといった顔をしていた。
「なるほど……」
セフィライズはシセルズが何を考えているのかを理解して、呆れた表情をして見せた。それにまたシセルズが笑う。
「じゃあ、今日はよろしく頼むな」
シセルズに肩を叩かれ、セフィライズは小さくため息をついた。マントを外して近くの武器棚へ掛けると、長く伸びた銀髪を後ろでまとめる。一つに結わえた途端、シセルズと髪型がよく似た。
並ぶと、兄弟であることが一目で分かるほどだった。




