3.城内での日々編 謁見の間
護身術。
体を動かす授業なのは理解できた。スノウは早朝に掃除当番を終わらせると、朝食をとり、すぐに指定された場所に赴く。
新米兵士の練習場。スノウがいままで一度も行ったことがない場所だ。すれ違う人に兵士が増えていく。兵士の方もスノウを見て、なんでこんなところに? といった顔をしていた。
訓練の掛け声だろうか。複数人の声が段々と耳に届く。到着した練習場には扉がなく開け放たれた空間だった。
スノウは入口の柱に手をかけそっと中を覗く。木剣を振るう若い男性達の前で指導をしている教官に見覚えがあった。紺に赤い縁取り、それに金糸のラインがはいった制服。赤茶色の髪を一つにくくり、切れ長の目、左目尻には特徴的な印がある男性。
スノウの視線に気がついたのか、その教官と目が合った。
「あ、スノウちゃん! 久しぶりー!」
スノウへと歩み寄るのは、セフィライズの兄であるシセルズだった。よく似た兄弟である彼ら。セフィライズと違って表情が豊かで明るい。赤茶色の髪はさらに長くなっており、動くたびに揺れた。
「お久しぶりです。えっと、今日は護身術を習いに」
「聞いてる! 俺が先生だから」
シセルズは得意げに腰に手を当て、スノウへと笑顔を向けてくれる。セフィライズと顔立ちがよく似ているが、表情が豊かで明るい雰囲気。親しみやすそうなシセルズに、スノウはほっとした。
「そうそう、あいつとはどうよ。偏屈な奴だけど、スノウちゃんならうまい事できてる?」
スノウはシセルズの言う、あいつをすぐに理解した。彼の顔を見ればすぐに思い出す、シセルズの弟の事だ。彼女はすぐに胸がキュッと痛くなった。まったく会ってもいないのだから。
「あれから、一度もお会いできてなくて」
「あれから?」
「えっと……配属になってから?」
「ひぇっ」
シセルズはスノウの目の前で驚いて変な声を出した。だからこの前セフィライズと話した時に、今は、という言葉が強調されたのかと、彼は理解したように何度かうーんと声を漏らす。弟の性格を考えれば違和感はなかった。
「ま、それは置いといて。よし、じゃあー、今日は簡単な護身術の前に、スノウちゃんの体力測定したいから……とりあえずここ二十周走ってきて?」
「え、にじゅっ……」
そんなに走れるだろうかと、彼女は戸惑った。しかし自身を納得させるように数度頷くと、軽く準備運動を始め、練習場の外側を走り出す。それを確認したシセルズは、頑張れと軽く声をかけながら新兵の指導に戻っていった。
「いやー……スノウちゃんかなり若いよね? これはまずいな」
七周に入ったあたりで相当ばててしまった彼女をシセルズは呼び戻し、休憩をとらせながら言った。
スノウも、ここまで走れないとは思っていなかったようだ。この二ヶ月、机にかじりついてまともに運動をしてこなかったせいで、だいぶ体が鈍ってしまっている。
「俺、今年で三六歳になるのに。スノウちゃんいくつ?」
スノウはシセルズが見た目よりかなり年齢が高いことに驚いた。シセルズの顔をそっと覗き込むも、やはり見えない。髪と目は白き大地の民としての特徴を消す為に赤茶色に変わっているも、肌は他の人より色白い。彼らの特徴である異質に整った顔立ちが、年齢の高さを感じさせない要因なのかもしれない。
スノウはふと、同じ白き大地の民である彼、セフィライズはいくつなのだろうと思った。とても若く見えるが、シセルズのように実年齢は高いのだろうか。
「えっと、わたし……年齢を知らなくて……」
スノウが産まれた地域では、二つの月が重なる時に年齢が上がる。重なるまでの期間に産まれた子は全員一歳。月が重なったら二歳、三歳……と数えていく。彼女は十二回、二つの月が重なったのを経験し、彼女の暮らしている地域では十三歳。しかしそれは、シセルズ達が使っている暦とは大幅にずれている。見た目の年齢は、十代後半といったところだった。
「ふーん、まぁとりあえず体力作りから始めないと怪我するな。じゃぁ、今日は他の兵士に混じって、筋トレとストレッチとー、あと片付けとか手伝ってもらおうか」
シセルズの指示通り、他の人に混じって訓練に参加するもへとへと。昼過ぎには動けなくなってしまったスノウは早々に部屋に帰されることになってしまった。この時、シセルズに出された宿題は体力向上。夕方に分担された洗濯物の回収は当然できず、隣の部屋のリリベルと代わってもらうことになった。
その夜に出された食事に肉が増えたのは、シセルズの指示だろう。彼女は増えた分の食事をなんとか押し込み、疲れた体で翌日の予定を確かめる。しかし、しばらくはずっと、護身術と書かれていた。スノウは少しだけ、机にかじりついてた時に戻りたいと思ってしまった。
豊かな天窓から注ぐ自然光に照らされた謁見の間。赤いベルベットの生地に金糸でアリスアイレス王国の特徴的な幾何学模様が浮かぶ垂れ幕が、華やかな色を白い壁面に反射させていた。神々しく照らされた王座には、代理として第一王子であるカイウスが座っている。周囲の赤にも負けない程の、王族の証である深紅の赤毛。しっかりとポマードで髪を上にあげ、赤い石の髪飾りが揺れていた。
まだ若い王子に貴族達はひれ伏しながら、それぞれの業務報告を行っている。それをカイウスは少しの質問を挟みながら聞いていた。その真剣なやりとりのすぐ横に、セフィライズもまた王子と同じように正装を身にまとい、髪を整えた状態で立っている。会話を聞きながら、どこか心ここにあらずといった表情を浮かべていた。
カイウスの執事であるレンブラントが進行役である。彼はいくつかの議題を先ほどから説明し、書面を読み上げていた
「コカリコの町周辺で起きた死の狂騰は、最近では見られない程大きなものでした。先発させた支援部隊から、一部の物資を追加で送って欲しいとの連絡が届いております」
「あれはたしか、セフィライズ様がご同行された時に起きた件でしたね」
貴族の一人から話を振られたのにも関わらず、いまだぼんやりとした様子のセフィライズに気が付いて、カイウスが軽く咳払いをした。気が付いた彼は、頭を下げながら静かな声で返事をする。
「……はい」
「支援はセフィライズ様からのご要望でした。追加の物資に関してのご相談をさせて頂きたいのですが」
声を張り上げる貴族の後ろで、膝をつき頭を垂れながら、二人の男がこそこそと小さな声で何か言い合っている。口元は嫌な笑みを浮かべ、まるで嘲笑するかのように。小さく、小さく。
――――白き大地の民だから、死の狂騰を呼んだのではないか
――――やはり呪われている
それに気が付いたレンブラントが、眉間に皺をよせたその時だった。
「何か言いたいことがあるなら、はっきりと述べてもらおうか」
玉座でわざとらしく肘をつき、荒めに足を組み替えながらカイウスは大きな声で言った。セフィライズがこの地位について長くたつというのに、未だに白き大地の民という異質さが気に食わない連中が多すぎる事が、彼には気に入らなかった。
カイウス王子の威圧に、身震いをして小さくなった二人に変わって、文官のツァーダが頭を上げた。
「失礼ながら、死の狂騰に関しての情報共有が少ない状態です。見聞きしたのでしたらぜひ当時の状態をご説明頂きたいと思っております」
「何か予兆などあれば、避ける事もできるかもしれませんし」
セフィライズがあまり人前で何かを話すのが得意ではないとわかっているかのように、次々と説明を求める同調の声が増える。カイウスが何か口を開こうとした、その時だった。
「……あれは、予兆などあるものでは、ありませんでした」
セフィライズは死の狂騰で起きた目の前の惨劇を思い出しながら言った。一瞬にして人が消えたあの様は、戦場で兵士の死体の山がうずたかく積まれるよりも虚無が広がる、そんな光景だった。子供の泣き声が、今でも思い出される。
そのセフィライズの言葉が、まさにその光景を彷彿とさせるほどの声色だったせいか、先ほどまで少し騒いでた者達は一瞬にして静かになった。
「セフィライズ、その話を無理にする事はない」
カイウスはセフィライズの続けようとする言葉を遮った。
アリスアイレス王国の氷狼として各国でも雷鳴を轟かせ、冷徹無慈悲で獣や人でさえも容赦なく葬る。何も感じない、人間離れした種族であると、その見た目も助長させている。
しかし、カイウスは彼を側近にする前からわかっていた。
どこか、傷ついた表情をしている。いつも、目の前の死や、どうすることもできな物事に。本当は、とても。
「いえ……話は、させて頂こうと思っておりました」
「なら裏で私が聞こう。今はよせ」
「かしこまりました」
「物資に関しては、セフィライズに報告書を上げてもらおうか。手配から何までの以下のやりとりはまかせる。いいな?」
いいな? に関しては、セフィライズではなく他の者達に対しても、これ以上聞くなという意味を込めて放たれた言葉だった。全員がそれを理解し、深く頭を下げなおしている。
「仰せのままに」
セフィライズもまた、カイウスの隣で深々と頭を下げた。




