2.城内での日々編 学問
スノウは一人、ベッドの上で目を覚ました。窓の外では猛吹雪が荒れ狂っているのだろう。部屋の中は朝だというのに薄暗かった。
彼女に与えられたのは、女性従者用の部屋だった。広さは最低限しかなく、窓が一つと、ベッド、机、それに衣服を掛けるための小さな収納があるだけだ。風呂とトイレは共用。食事は食堂で取る。さらに通常の仕事に加え、掃除当番なども割り振られていた。
スノウは起き上がり、髪を整えながら窓の外へ目を向けた。城へ向かう人影が見える。だが、猛吹雪のせいで、その姿は真っ白な景色の中を動く黒い影のようにしか見えなかった。スノウはそっと窓に触れる。冷え切ったガラスはひどく冷たく、このまま張り付いてしまいそうだった。
朝の時間を知らせる鐘の音が響く。スノウはいつもの道具が入った鞄を斜めがけに持って部屋から出た。
「あら、おはようスノウ。今日も行くの?」
「おはようございますリリベルさん」
スノウに声をかけてくれたのは、隣の部屋の住人リリベルだ。栗色の髪とぱっちり二重、ぷっくりした唇のかわいらしい女性だった。
「ふーん、大変ね。所属、あれだっけ。あの……」
リリベルが口ごもる。言い出しにくそうにしているのは、スノウがセフィライズの直属だからだろう。
「でも、あれから一度もお会いしてないんですよ」
スノウは、自分でも驚くほど切ない声を漏らしてしまった。リリベルが不思議そうに首をかしげる。
スノウがこの城で働き始めてから、すでに一枝(五二日)が経っていた。その間に知ったのは、セフィライズが従者や兵士たちから敬遠されているという事実だった。
彼の直属になったと話すたびに返ってくるのは、怖そうだとか、冷たそうだとか、話しかけづらいだとか。できれば関わりたくない、という言葉ばかりだ。
だが、スノウの知るセフィライズは違う。
どこか遠くを見つめている人だった。まるで雪のように。そこにいるのに、ふと風が吹けば舞い上がり、そのまま消えてしまいそうなほど儚い。切なくて、目を離せなくなるような人だった。
しかし、その雰囲気が、周囲には怖さや冷たさとして映るのかもしれない。
「まぁ、頑張ってね!」
リリベルに背中を押され、スノウは頭を下げて挨拶をし歩き出した。
もともとスノウは、カルナン連邦の砂漠地帯を渡り歩く小さな移動民族の出身だ。そのため、読み書きや算術といった初歩的なことから学ばなければならないほど、基礎が不足していた。それと並行して、歴史や文化、礼儀作法、一般常識も教え込まれる。時にはアリスアイレス王国内随一の大学へ赴き、講義を受けることもあった。だが基本は城内での個人指導だ。特に薬学や医学については、重点的に学ばされていた。
「スノウ様」
「はい!!」
スノウは座っていた椅子から勢いよく立ち上がった。目の前には今日の歴史の授業を受け持ってくれているレンブラント。
「お疲れでございますか」
「いえ、その……すみません」
ただ、ぼーっとしてしまっていた。直前まで考えていた事が、夢のようにふわっと消えてしまったが、ひんやりとした感覚がなぜか心の中に残った。
「では、続きを行いますがよろしいでしょうか」
「はい、お願いします」
歴史を学んだほうがいいと言ったのはセフィライズだった。その言葉通り、スノウは今、神話から現代までの歴史を学んでいる。
世界樹がまだあった時代。豊富なマナにより繁栄を極めていたとされている。突如として広がったマナの穢れ。世界樹が元から持つ洗浄の力を上回り、その勢いは大樹の命を脅かした。癒しの神エイルは、その命をかけ穢れを浄化する。しかし再び猛威を振るった穢れはついに世界樹を枯らしてしまったのだった。
魔術の神イシズは冥界の神ウィリに力添えを貰いながら、新たに広がった穢れを封じ≪白き使徒≫≪世界の中心≫≪王の写本≫という三つの神器を作ったと伝えられている。
≪王の写本≫は世界を記録し、≪世界の中心は世界樹の代わりとしてマナを吐き出し、≪白き使徒≫は世界に残る穢れを祓う存在として生み出された。だが、この三つの神器の中で、存在が確認されているのは≪白き使徒≫、白き大地の民と彼らが秘宝として所蔵していた≪王の写本≫のみ。
「二十年前、アリスアイレス王国よりはるか西にある大国、リヒテンベルク魔導帝国が白き大地へと進軍しました。理由は」
「≪世界の中心≫……」
「そうです。白き大地の長が、伝説上のそれを手に入れたが為に狙われ、そして白き大地は蹂躙されました」
ふっと、スノウの脳裏に浮かぶのはセフィライズの姿だ。突然の攻撃、母国を終われどうやって、このアリスアイレス王国に来たのだろう。
「あの、本当に……その……あったのでしょうか。≪世界の中心≫は……」
「あった、とされております。しかしそうですね、これは余談ではございますが」
レンブラントは少し迷った表情を見せ、一呼吸置いた。
「セフィライズ様もシセルズ様も、その所在は知らないとおっしゃってられますね」
本当は、なかったのではいだろうか。噂が大きくなった末の、存在しないものの為に起きた戦争なのではないだろうか。伝説上のもの、この世界に存在しているかも怪しい神器≪世界の中心≫
もし、もしもその、存在しないものの為に、起きた争いだとしたら。
スノウは胸元に手をあてた。きっと沢山の白き大地の民が殺されただろう。そして今も、彼らは世界から迫害され続けている。
日が暮れたのかどうかもわからない吹雪を横目で見ながら、午後授業を終えてスノウは一息ついた。この後は、割り振られた掃除係の仕事をする。
――――今日も、会えなかったなぁ
スノウは、城内でセフィライズとすれ違えるのではないかと淡い期待を抱いていた。
しかし、その望みがすぐに幻想だと知ることになる。アリスアイレスは軍事大国であり、身分に加えて厳格な階級制度が敷かれていた。一定以上の階級章を持たなければ立ち入れない区画が存在するのだ。
いくら直属とはいえ、セフィライズから具体的な任務を与えられているわけではない。今の彼女にできるのは、指示された通りに勉強を続けることだけだった。それがどのくらい続くのかもわからない。そしてその先、自分がどんな仕事に従事するのか。その未来さえ、スノウにはまだ見えていなかった。
全ての雑務を終えて狭い自室へ戻る頃には、スノウはすっかり疲れ切っていた。それでも読み書きや算術の反復練習だけは欠かすまいと、彼女はデスクに向かう。
一通りの課題を終えると、スノウはようやく椅子にもたれ、固まった体をゆっくりと伸ばした。
「えっと、明日の予定は……」
ドアの隙間から入れられる予定表は週単位。そして今日は新しい予定表がくる日。床から拾い上げたそれを広げながら椅子に座った。
「……護身術?」
今まで一度も受けたことのない授業の名前だった。




