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44.王国への帰路編 冬景色


「すごいですね、雪って」


 スノウは、嬉しそうに笑っていた。

 けれどセフィライズにとって、雪はもう見慣れた景色にすぎない。だからこそ、彼女のその反応が、ひどく初々しく映った。


「最初は、誰でもそうなる」


「セフィライズさんも、最初はそうだったんですか?」


  問いかけられて、セフィライズはようやく思い出した。初めてアリスアイレス王国を訪れた日のことを。

 あのとき、自分は六歳ほどだったはずだ。目にした雪は、故郷で見た白い大地に色こそ似ていたが、まったくの別物だった。指先はかじかみ、吐いた息は目の前で薄い霧となって漂う。ひどい空腹に、体が軋むように悲鳴を上げていた。

 あかぎれた指先をさすりながら、兄に手を引かれてアリスアイレス城へと向かった。助けを求めるためだった。当時、国王はまだ玉座にあり、民の前にもたびたび姿を見せていた。兄は自らの身分を明かし、保護を求める代わりに、アリスアイレスへの忠誠と協力を誓った。


 そんな記憶だった。


「どうだったか……」


 はぐらかすような返事をした。だがスノウには、その言葉と表情がどこか物悲しげに映った。

 アリスアイレス王国は“フレイヤの豊穣期”とも呼ばれる、温暖で穏やかな季節にあった。降り積もる雪は軽く、景色を薄く化粧する程度である。


  気がつけばスノウは、彼に言葉をかけることをためらわなくなっていた。そしてセフィライズもまた、穏やかな調子で応じてくれる。そもそも、セフィライズは元々、寡黙ではなかった。スノウが勝手に「近寄りがたい人」と思い込んでいただけなのだろう。





 アリスアイレス王国に入ってからの移動は、寒さのせいで思うように進まなかった。安全を優先し、日が沈む前には必ず休むことにしている。

 街道には、一定の間隔で休息用の小屋が整備されていた。今はフレイヤの豊穣期で気候もまだ穏やかだが、時に猛吹雪で一歩も進めなくなる季節、ヨトゥンの寒冷期が訪れる。

 その時期に旅人が吹雪に閉ざされたり、道中で立ち往生したりすることを見越して、こうした避難場所が街道に点々と設けられているのだ。


 遠く、どこまでも続く白の地平線。それを見つめるスノウの瞳が、次第に暗く沈んでいくのを、セフィライズは静かに見つめていた。

 初めて彼女と出会ったとき、その瞳には何にも穢されない、強い光が宿っていた。かつて自分の心を強く捉えた、あの希望そのもののような輝き。それが今では、ふとした瞬間に曇るどころか、常に深い影を落とし、日に日に暗さを増している。


「何か、不安なことでもある、だろうか」


 明日にはアリスアイレス王国へ到着するという、その日の夜だった。暗闇のなか、二つの月明かりに照らされた雪原は、まるで銀の絹糸を敷き詰めたかのように白く輝いている。その果てしない白さを見つめていた彼女に、セフィライズは問いかけた。スノウは一瞬驚いたように肩を揺らしたが、すぐに小さく首を振る。


「……あの、わたしで、本当に大丈夫かなと……」


 カイウス王子の病を治すこと――その重責を心配しているのだと答える彼女に、セフィライズは迷わず言葉を返した。


「君の能力なら、問題ない」


 しかし、彼女の瞳の陰りは消えなかった。再び遠い月と雪原に視線を戻したスノウの手が、かすかに震えている。寒さのせいだろうかと、セフィライズが毛布をそっと肩にかけてやると、彼女は沈んだ瞳のまま、力なく薄く微笑んだ。

 もう、あの出会った頃の輝きを見ることはできないのだろうか。ふいにそんな想いが胸をよぎり、セフィライズは自分で自分に少し驚いた。


「終われば、君は自由だから。安心してほしい」


 だが、その言葉を告げた瞬間、スノウの瞳は一段と深く、暗い絶望の底へと沈んでいった。

 セフィライズには、どうしてもわからなかった。自由になれると言ったのに、なぜ彼女はそんなに悲しそうな顔をするのだろう。




 



 翌朝、小雪が舞う雪道を進み、一行はようやくアリスアイレス王国へと到着した。遠目にも鮮やかな赤煉瓦の城壁は、空を突くように高くそびえ立っている。何人もの兵士たちが門の周囲を警備していたが、皆、吹きつける寒風に肩をすくめていた。

 質素な幌馬車を引き、わずかな人数を伴って戻ってきたセフィライズの姿を見て、門番たちは一斉に目を見張る。畏まった敬礼の声が次々と上がり、そのやりとりは、馬車の中で膝掛けにくるまっていたスノウの耳にも届いた。

 王国内へはまずセフィライズとレンブラントだけが戻り、部外者であるギルバートたちは、しばし詰所で待機を命じられることになった。

 詰所にいた数人の兵士たちが、スノウを物珍しげに見つめた。この世界で一般的な髪色は黒から濃い茶色で、明るい茶色でさえ珍しい部類に入る。そんななか、光を受けてきらめく彼女の金髪は、嫌でも目を引いた。

 伝承に語られる愛と豊穣の女神フレイヤ――その美しい女神は、金の髪と翠の瞳を持っていたとされる。スノウの色彩は、その姿に酷似していた。ゆえに、この世界においてそれは「女性として価値ある色」を意味している。

 その事実を、スノウ自身も嫌というほど理解していた。だからこそ、彼女はこれまで髪を伸ばしたことがほとんどない。幼い頃などは、母の手で丸刈り同然にされていたほどだ。

 さらに、彼女の透き通るような翠玉色の瞳も、この地では極めて異質だった。人々の瞳は黒か茶色がほとんどで、青みがかった色でさえ、どこか濁りを帯びているのが普通だからだ。

 兵士たちは、好奇隠さぬ小声でひそひそと言葉を交わし始めた。その囁きはスノウの耳にも届き、決して心地よいものではなかった。

 いたたまれなくなった彼女は、そっと詰所を抜け出した。城壁に沿って停められた幌馬車のそばまで歩き、その場にしゃがみ込むと、降り積もる冷たい雪を両手でそっとかき集めた。


 彼女はふと思う。

 確かに少し珍しい容姿をしている。だから見られるのも、まだ理解できる。では、彼はどうだったのだろう。

 スノウもまた、初めてセフィライズと対面したとき、思わず息をのんだ。その見た目だけで「きっとこういう人だ」と勝手に想像してしまったのだ。差別のつもりではなかった。ただ、あまりにも特別で、目が離せなかったから。

 こんな気持ちなのかな。

 雪の上に残る自分の足跡を見つめながら、スノウはそっと息を吐いた。


 ふと、幌馬車の側に目をやると、ギルバートがいつの間にか外に出て、馬車を背に景色を眺めていた。


「すごい景色だなぁ……」


 独り言のように漏れる声。スノウが振り返ると、ギルバートと視線が合った。


「スノウさんは、これからどうするの?」


「わかりません。セフィライズさんのお仕事が終わったら、自由って言われたんですけど」


 けれど、自由だからといって行き先があるわけでもない。何をすべきなのか、どうしたらいいのか。それこそ、スノウ自身が一番尋ねたい問いだった。


「じゃあさ、よかったら僕を訪ねてきてよ」


「え?」


「ほら、治癒術師ってすっごい貴重だからね。みんな欲しいんだよ。変なところで働くぐらいなら、僕と一緒にどうかな」


「えっと、はい……考えておきますね」


 ――したいことって、何だろう。

 ――やりたいことって、どこにあるんだろう。


 自由になったと言われても、行きたい場所があるわけではない。どこへだって行けると言われても、本当はずっと、あの場所にいたかった。

 故郷で暮らしていたかった。

 なのに今は、自由という名の選択を、半ば強引に突きつけられている。

 選びようのないものを前にして、選べと言われる。その理不尽さに触れたとき、スノウの胸に残ったのは、ただ逃げたくなる気持ちだけだった。











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小説家になろうで活動報告をたまにしています。

Twitter【@snowscapecross】ではイラストを描いて遊んでいます。

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