37.医療救護編 無理強い
「頼むよ! こっちにも怪我人がたくさんいるんだ、あんたなら!」
「悪いが、彼女は疲れている。魔術はそう容易く使えるものじゃない」
セフィライズは男の要求に戸惑うスノウを背にし、守るようにして少し手を広げた。
「なんでだよ、まだ生きてる、死にそうな奴もいるんだ!」
スノウはその言葉に困惑する。だがひとりでは無理なのだ。ガーゴイルの爪に引き裂かれた瀕死の女性を癒す時、スノウ自身のマナを大量に消費してしまった。ほとんどが、セフィライズのおかげ。彼の、特殊な生まれのおかげ。
−−−−わかっているのか、その力を見せびらかすという意味を…
セフィライズから発せられた言葉の意味を、スノウは今になってやっと理解した。「セフィライズさんと一緒ですよね?」なんてわかったような口をきいてしまったことを後悔する。
本当はわかっていたのに、十分に、今までも、たくさんたくさん。経験していたはずなのに。いい表せない気持ちで、スノウは表情を曇らせた。
「あんた、白き大地の民だろ。俺は見たぞ、あそこで。あんたから大量のマナが溢れるのを。それとこの女を使えば、助けられるだろう!」
男はスノウの前に立ちはだかるセフィライズに矛先を向けた。頼むよ、腕に縋ろうとする。多くのものがそのやりとりを見て、状況を理解していた。確かに、彼の血液があれば、可能かもしれない。しかし今の彼に、成し遂げられるだけのものが、残っているだろうか。
もちろん、全員を救うのでなければ可能かもしれない。しかし、彼はどうなるのか。多くの人が助かれば、セフィライズが辛い思いをしても、死にそうになっても。いや、仮に死んでしまっても。それは、正しいことなのだろうか。白き大地の民は、生きた道具なのか。
「それは、私が自分を傷つけて血を流せということか。それとも、君が私を傷つけるという意味か」
セフィライズは感情の籠らない声で、すがる男を冷たく見下ろした。
「怪我なんて、治るだろ! ちょっと、じゃないか!」
「なら、そちらの怪我もそのうち治るだろう」
彼のため息、そして淡々とした物言い。それを見ていた多くのものが、苛立ちを覚えた。助けられるなら、傷が治せるなら、ちょっとぐらいいいじゃないか。そのような声が広がる。不快感や敵意のようなものとが、セフィライズとスノウに向けられた。
「悪いが、彼女はもうほとんどマナが残っていない。誰ひとり助けられないだろう」
スノウが彼の言葉を遮ろうと腕に触れる。しかしセフィライズは、それを制して話を続けた。
「私が協力すれば可能かもしれないが、それをする気はない」
彼は言葉を選ぶ。スノウは、彼の発した言葉の、本当の意図を理解した。
全ては自分のせい。闇雲に癒しの術を見せびらかしてしまったから。その意味も、覚悟も。わかっていた、できていたはずなのに。スノウは、何もできず、何も話せず、セフィライズの後ろで俯いた。
本当は、今にも横になりたいはず。本当は、立っているのも辛いはず。本当は、本当は。ごめんなさい。ごめんなさい。スノウはセフィライズの手を、今度は掴み、そして強く握りしめた。
「おい、やめろよおっさん! この人はアリスアイレス王国の中でも位の高い人なんだぜ!」
「そうだ、他国の人にこんなお願いをすること自体、間違ってるだろ」
ギルバートの仲間達が声をあげた。ほら、散って散ってと、セフィライズに懇願した男を引き剥がし、野次馬のように自然と集まった人を追い払う。男は恨めしそうにセフィライズを睨みつけながら去っていた。
「ギルバートさんを助けてくださり、ありがとうございます」
ギルバート達と野営をした時、共に焚き火を囲んだ仲間のひとりが頭を下げる。
「レンブラントさんなら、この先をもう少し行ったところで救護活動の手伝いに参加してくれています。行ってください」
「ありがとう。行こう、スノウ」
スノウに握られた手を握り返し、セフィライズは歩き出そうとした。しかし、彼女は動けなかった。俯いたまま。「ごめんなさい」と、そう言葉を詰まらせながら言った。
セフィライズはスノウに向き合い、肩に手を置く。そして誰にも聞こえないように、聞かれないように。彼女の耳元に近づいて、そっと。
「慣れているから。問題ないよ」
耳の奥に残るような、優しい声だった。スノウが顔を上げると、苦笑いをするセフィライズがそこに立っている。
わたしは何をしているのだろう。
自分ひとりでは、誰も助けることなどできないのに。
彼に助けてもらって、守ってもらって。
奪って、辛い思いをさせて。
何をしているのだろう。
何を、しているのだろう。




