36.医療救護編 回復
「ごめんなさい……」
スノウは自分の考えに首を振り、セフィライズに謝る。彼には聞こえていないし、わかるはずもないのにその考えを、思い浮かべただけで申し訳なく感じたからだった。察しがついたセフィライズが、動かすだけでも辛い右腕をギルバートの体の上に置いた。
「使っていい」
戸惑うことなどないはずだ。彼が自分で傷つけた訳ではないし、彼らの傷を癒すにも、必要不可欠なもの。でも。ただその痛々しい傷跡が、言い表せない思いが、スノウの胸を締め付けた。彼を材料か何かのように扱っているように感じたのだ。ごめんなさい。その言葉を、もう一度繰り返して。
「我ら、癒しの神エイルの眷属、一角獣に身を捧げし一族の末裔なり、魔術の神イシズに祈りを捧げ、この者の穢れを癒す力を我に。今この時、我こそが世界の中心なり」
スノウの周りに可視化されたマナの光が集まる。その殆どはセフィライズの傷口から多量に流れる血液がマナに変換されたもの。暖かな灯火。スノウの術によって掌握され、癒しの力となって効力を成し、彼らの傷は癒やされていく。ギルバートの、あり得ない方向に曲がった腕は、元通りの形へ。セフィライズの傷だらけの右腕と一緒に、彼らのあらゆる怪我が、まるで最初から無かったかのように。
スノウがホッと胸をなで下ろした直後、目の前でセフィライズが崩れ倒れそうになる。体を支えるために咄嗟に地面に手をついて堪えていた。
「大丈夫ですか!」
一瞬、スノウは何が起きたかわからず、慌てて彼を支えようと肩に触れる。セフィライズは下を向いたま苦しそうに息をしていた。
「怪我は、治ったから……」
その言葉に、スノウは何が起きているのか理解した。大量に消費してしまったのだ。それは、血液なのかもしれないし、マナそのものなのかもしれない。しかしセフィライズから、そのどちらか、もしくは両方を奪ったことを。
「わ、わたし……」
「君が気にすることじゃない。私も、ギルを助けたかったから」
セフィライズは顔を上げる。その肌色はいつにも増して白く、血色が悪かった。今日一日で、彼が消費した何かの量が、限界に近づいたのだろう。壁からの流星群を防ぎ、瀕死の女性を助け、戦いながら血を流し。あの時も腕の傷を癒したのはスノウ自身のマナではなく、彼のものだったはず。
まただ、また。スノウは胸に手を当てる。痛い、奥の方が、ずきりと沁みた。
顔を上げたセフィライズは、怪我の治った右手をみぞおちのあたりに添える。背筋を伸ばし、しっかりと息を深く吸って、吐いた。
スノウは彼のこの行動を、何度か見た気がした。セフィライズの繰り返された呼吸は、次第に深くなる。そしてゆっくりと目を開けると、彼は何事もなかったかのような表情で微笑んだ。
「もう大丈夫、行こうか」
セフィライズはギルバートを馬に乗せようと背負いあげる。まるで先程までの辛そうな姿など嘘だったかのよう。
でもそれは、きっと。しかし、スノウにはどうすることもできない。消費したのは自分、了承したのも、自分。打算的な考えを持ったのも、自分。そっと目を閉じ、そして胸の奥から湧く痛みに、ただ、受け入れる他ない。
セフィライズはギルバートを馬に乗せ、回復した女性を背負い進む。街の西側に行けば、ギルバートの仲間たちと合流できるだろうと判断したからだ。しかし、足取りは重く、歩みは遅い。馬の手綱はスノウが引いた。彼に無理はさせないように、なるべく速さを合わせる。
声を、何かかけたいとスノウはそう思った。しかし、何も言えない。伝える言葉も、何も持っていない歯痒さが彼女の心に沁みた。
多くの時間をかけ街の西側へ到着する。想定通り、ギルバートの仲間達と共に沢山の人が怪我人を救護していた。壊れた家具などの残骸で焚き火を起こし、崩壊した建物の中から医療に使えるものを探している。手分けして簡易の寝床を作ったりと、動けるものは慌ただしく働いているのが見えた。
セフィライズが彼らからまだ遠い場所で足を止めた。スノウは、彼が何かをためらっていることに気がつく。珍しい彼の髪の色、目の色。貴重だと言われている白き大地の民。動くのに邪魔だからと、それらを隠すものは全て、レンブラントに預けてしまっている。
「セフィライズさん、大丈夫です。一緒に、行きましょう」
手に触れようかと思い、スノウはそれをやめた。馬を引き、一歩前に出て、振り返る。微笑んで、できるだけ、安心できる笑顔で。自分にできることは、これぐらいしかない。そう彼女は思った。
セフィライズは困ったように笑うと、少しだけ遠くを見た。何かを飲み込むように頷いて、スノウと共に歩き出した。
「セフィライズ様、良かったご無事で!」
ギルバートの仲間の一人がセフィライズに気がつくと、人の視線が集まった。物珍しいものを見る目。奇怪なものを見る目。ただ髪の色、目の色、肌の色が人と違うだけだというのに。ざわめきが聞こえた。
「ギルバートは馬の上に乗せているから。あと、この女性も」
背負っていた女性を、手助けに集まった数名の男性に託す。服はズタズタに裂けているのに、怪我ひとつない二人の姿に首をかしげる者もいた。
「あ、あんた、あんたあれ、あれだろ! 壁のところにいた、怪我を治す女!」
一人の男が大きな声をあげた。突然駆け寄ってくるとスノウの手を掴み引っ張る。その強い力に彼女は転びそうになった。セフィライズはスノウを掴む男の手を掴み引き剥がすと、男とスノウの間に割って立つ。




