29.死の狂濤編 タナトス
セフィライズの白い肌に、烈火のような鮮やかな赤が、次第に黒みを帯びながら滴り落ちる。
スノウは、その光景を見て口元を抑え眉を寄せる。どうして、何故。彼女には全く理解ができなかった。
しかし、その理由をすぐに理解する事となる。
セフィライズから流れ出る血液はゆっくりと瞬く間に淡く輝く光の粒子、マナへと変換されていったのだ。それらがセフィライズの手に集まっていく。次第に彼が魔術によって生成した障壁は強く大きくなり、光の流星群の悉くを弾き返した。
長く揺れていた地面が次第に平常へと収まっていき、壁もまたいつもの揺蕩う光を内包した状態へと戻っていく。『死の狂濤』が終わったことを確認すると、セフィライズは手を下ろし魔術を終了させた。血の流れる右手を強く押さえる。
セフィライズが馬車の上から見下ろすそれは、悲惨な光景だった。前方は破壊された馬車と暴れる馬、散乱する荷物しかない。そこに、人の姿は無かった。子供が泣く声が、どこからか聞こえてくる。これが後方だったからまだ助かった、とセフィライズは心底思った。
馬車の上から飛び降りると、スノウが駆け寄ってくる。
「外に出ていたのか……」
セフィライズは腕の痛みに少し顔をしかめながら言った。スノウはすかさず彼に治癒術を施そうと手を伸ばす。が、彼はそれを制止した。『死の狂濤』を防いだセフィライズの方を、呆然とではあるが生き残った者達から視線を向けられていたからだ。もし今、治癒術を使ったりなどすれば、スノウの姿は彼らの目に焼き付いてしまう。もしかしたら、変な噂が広まってしまうかもしれない。そうなったら、彼女はどうなるだろうか。
アリスアイレス王国での仕事が終われば自由。どこにでも一人で行ける、暮らしていける状況になるのだ。そうなった時、その噂は彼女の人生をいい意味でも悪い意味でも揺るがしてしまうかもしれない。
「ありがとうございます、助かりました。でも……ギルって、呼ばれるとは思ってませんでしたけどね」
立ち上がったギルバートがセフィライズに歩み寄る。含みのある笑みで話しかけた。何か言いたげだったが、あえて何も言わない。セフィライズもまた、少しバツの悪そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
レンブラントが治療の道具を馬車から取り出してくる。セフィライズが腕を出すと、レンブラントは慣れた手つきで止血し、包帯を巻いた。スノウはまだ諦めきれず、何度かセフィライズに打診するも決して首を縦には振らなかった。
「さて、どうしましょうか。多分この様子じゃ、前方は壊滅。門を開ける魔術師なんていますか」
「私が開けるよ」
「え、っと……お一人で、ですか?」
ギルバートは驚いた。ある程度の大きさの門を開くには、魔導人工物があったとしても、数人の魔術師が必要となるのだから。一人で、なんて無謀すぎる発言だった。
「しかし、一旦宿場町に戻りましょう。だいぶ荷馬車もやられました。整えた方がよろしいかと思われます」
レンブラントが周囲を見渡しながら言ったその時、再び地面が揺れだした。それは継続的ではない。何かが大地を叩きつけるかのように間隔をあけて襲ってくる。先程の『死の狂濤』が終わったばかりだというのに、周囲にいた人々に不安が広がり、恐怖の声が上がった。セフィライズもギルバートも、何事かわからずに当たりを見渡す。再び壁を見上げるも、普段通り揺蕩う光を内包して波打つのみだ。ではどこからこの衝撃波のような揺れが来るのか。
その時、壁からズッ……と黒い大きな何かが出てきた。壁からのっそりと出てくる巨人のようなそれは、黒い粒子が寄り集まってできているようにも見える。這い出したばかりでは人型をしていたが、すぐに崩れ落ちるようにして大地に広がると、それらが物凄い早さでこちらに向かってきた。
見たこともないそれらに、セフィライズは身構え、スノウに馬車に戻るように指示し、列をなす馬車の間を抜けて走った。ギルバートもまた仲間達に声を掛け合い、剣を抜いて追従する。遠すぎて見えない、しかしその複数の何かが進む音が近づいてくる。
「見たことがない。あれは……」
「あれが噂のタナトスの群れなんじゃないですか」
それらはまっすぐにこちらに向かってくると思いきや、急に進路を変えた。目前まで近づいたそれらの見た目は、まるで身体中に真っ黒なヘドロを纏った醜悪な人間、のようにも見える。タナトスの群れの真ん中に、それらの三倍もあろう、手足が長く頭が異常に小さい、人間のような見た目の生き物がいた。最初壁から現れた巨人を縮めたような、黒い粒子の塊のようなそれ。何故か、頭部と左腕の部分ははっきりとした人らしい姿なのだが、他が黒い粒子にまみれているのだ。確かに見える頭部にある口は、まるで裂けているかのように大きい。目は陥没した中にギラリと光るものがあるようだ。
それらの行進は止まることもなく、変えた進路の先は……。
「僕らの、町に向かっている……!」
そう、ギルバートの故郷。宿場町コカリコまで一直線にに向かっている。ギルバートは慌てて自分達の馬車の方へ走るり、馬を切り離して跨る。仲間達に黒いタナトスの群が町に何かが向かっていることを伝えた。ギルバートはこの場の人達を助けるため、残る仲間と一緒に行く仲間に分けるよう指示を出す。
「私もいこう」
戻ってきたセフィライズがギルバートに声をかける。レンブラントに馬を自由にするように指示を出し、邪魔になる長いマントを脱いだ。フードも何もついていない。スノウの服と似たアリスアイレスの一般的な制服。
レンブラントが簡易ではあるが、数本のスローイングナイフを装備した腰ベルトを持ってくると、セフィライズは手早く取り付けた。
「わたしも……!」
「君は、残るんだ」
セフィライズは、馬車に戻りレンブラントと一緒に待機するようにと指示を出す。しかしスノウは不服そうな顔をし、強い声で「いいえ、わたしも行きます!」と答えた。
「連れて行く気はない、壁からはできるだけ離れて。ギルバートの仲間達が世話をしてくれるだろうから」
「……嫌です」
「君は、」
「嫌です!」
はっきりと拒否され、セフィライズは狼狽した。
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