22.宿場町コカリコまで編 移動
最初の目的地は、アリスアイレス王国との壁境界付近にある宿場町、コンゴッソだ。
『死の狂濤』とも呼ばれる壁の荒れる現象が起きる事がある。それを目撃し、生き残った者は少ない。壁の欠片のようなものが降り注ぎ、生き物を全て消しさると言われている。その頻度は近年増え、移動や交流を控える傾向にあった。
あの時に乗った馬車とは違い、あまり揺れない。スノウはセフィライズから手渡されたひざ掛けを受け取りながら、そう思った。寒冷地に入れば窓が閉まるように作られているその馬車の中には、見たこともない瓶が数個飾られている。丸い玉のようなその中には魔鉱石がひとつ入っていた。馬車の揺れに涼しげな音を鳴らしている。
馬車の周囲ではギルバート達が指笛で合図を取り合いながら野獣や魔物を退治していた。泥の塊のような生物、鋭い嘴で滑空してくる鳥、毛を逆立て悪臭を放ちながら牙をたてる狼。マナの枯渇と共に次第に増えだした奇怪な生き物達だ。
スノウは好奇心から少し身を乗り出し気味に窓から外を見ていた。風が彼女の髪を乱れさせ、片手で押さえつける。
あれはなんですか? これはなんですか? と、子供のように聞くこともできず、馬車にある瓶も、外に見える生き物も、目の前に座っているセフィライズのことすら聞くことも、彼女にはできない。
スノウはだいぶ見慣れた彼のことを、勝手に白き大地の民だと決めつけている。が、しかし本人からそうだ、とは一言も聞いていないことに気がつくと、その瞬間には、声を出していた。
「あの……」
しかし、言葉を続けるのを躊躇った。「あなたは白き大地の人ですか?」なんて気軽には聞けるような性格ではない。妙な間をあけてしまい、口をもごもごとさせたスノウは、最後に頭を下げて小さな声ですみませんと呟いた。
「わたくしがお答えいたしましょうか、スノウ様」
馬車を操る役目を担っているレンブラントが振り返らずに声をかけてくれた。しかしスノウは再び申し訳なさそうに目をつぶり、首を振る。
「……これは、夜に光を灯す。これは暖かさを保つ、これは魔除けになる」
セフィライズが低い声でぽつりとつぶやくように言った。スノウが顔を上げると、彼はまっすぐ彼女の目を見つめている。銀色の冷たく感じる光彩は、どこまでも吸い込まれる程深く感じた。
彼の説明によると、これも酒場で使われてたものと同じ、魔導人工物と呼ばれるアイテムだという。
アリスアイレス王国側に入ると一気に冷え込むため、馬車内を暖かく保つもの。直接野獣や魔物からの攻撃を受けないように、忌避効果のあるもの。日か暮れてから明かりを灯すもの。と、込められた魔術によって、魔導人工物の効力は変わってくる。
巷によく出回っているのは、最初に発明したリヒテンベルク魔導帝国が作ったものだ。魔術を活かした製品を作る事に昔からたけていた国で、今もなお多くマナを必要とする工業を発達させている。
日が沈む前に、彼らは野営する場所を探した。夜間は特に野獣や魔物が活発になるため、魔物除けの液体や魔術で守護術をかける。他に火をおこしたり、テントを立てたり、食事の準備をしたりと、ギルバート達が仕切りながら準備が整っていった。
全ての準備が終わるまで、スノウはただ馬車の中で待つだけ。故郷を追われるまで、自分の事は自分でするのが当たり前の彼女にとって、なんだが落ち着かない。
「……降りたいのか?」
「いえ、あの……何もしなくていいのかなって」
「君は国賓扱いだ。何もしなくていい」
そうは言われても、何もしないで彼らが必死に働いているのを待つというのも、気が引けるものだ。そうこうしているうちに、馬車の側面を叩く音が聞こえ、扉が開いた。
「食事とテントの設営が完了しました」
レンブラントは馬車を降りるように促す。焚き火の周りには簡易ながら敷物と食卓が置かれていた。
スノウがその上に座ると、すぐにレンブラントが食事を持ってきてくれる。ウサギ肉と鶏肉の丸焼きをスライスしたものに、ベリーで作られたソースが添えられたものと、豆のスープ。コンゴッソの宿、朝食で食べたフェンクスというミルク粥には、ルバーブのコンポートが添えられている。
ルバーブとは太く赤い茎の先、くしゃくしゃの緑の葉がついた野菜だ。葉の部分は食べず、茎の部分を使うのだが、独特な香りと強烈な酸味がある。スイーツの他、料理に一般的に使われるものだ。
スノウはますます申し訳なくなるばかりで、体をあっちに向けたりこっちに向けたり、どうも落ち着かない。
ギルバート達は別の場所で、小さな火の周りを取り囲むように集まっていた。既に食事を始め、口を動かしながら何か仕事をしているものもいる。
「我らの神エイルと多くの命の糧に、感謝致します」
スノウは両手を絡ませ祈りを捧げる。もう誰も、食事の前の祈りなどしないような時代。セフィライズはその様子を物珍しそうに見る。
「神様は、もういない」
「いいえ、わたしはいると思います。だからわたしは今ここにいるんです」
導かれたからこそ、ここにいる。本当にそう思っているスノウは、心の底から感謝の気持ちを示していた。その純粋な瞳に感化されたのか、セフィライズも真似るように短く両手を合わせ「感謝致します」と目を閉じながら言った。
いくら守護術を施したとはいえ、夜に見張りは必要だ。ギルバート達が交代で見張りを行う中、設営されたテントの中でスノウは寝付けずにいた。外の音はとても静かで、焚き火が燃え落ちる音と、どこからか聞こえてくる獣の鳴き声、虫の羽音がよく聞こえた。
「交代だ、今度は僕の番だよ」
ギルバートが火の番をしていた仲間に声をかける。しばらくして外の方を見張っていた他の仲間3人も交代をして戻ってきた。ギルバートが寝る前にと彼らに暖かい飲み物を準備して渡す。
その時、スノウの近くで物音がした。誰かがテントから出ていったようだ。ギルバートが慌てた声で「どうされましたか?」と言うのが聞こえたので、それがすぐにセフィライズかレンブラントであることはわかった。
「私も、もらってもいいだろうか」
セフィライズがギルバートにそう声をかけると。「かしこまりました」とすぐに飲み物を温め始めた。セフィライズが何気なく彼らの輪の中に座るものだから、さっき戻ったばかりの仲間達が距離を少しあけて座りなおす。心理的な問題だ。アリスアイレスほどの大国で、それなりの立場のある人間が近くにいるという状態に、自然と体が動いてしまったのだ。彼らはギルバートの方へ目を泳がせて、どうしようかなんて訴えかけているように見える。