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38 雪の舞う中を

関東の平野部では雪が積もることは年に何回もありません。

珍しく積もった今回はそんな時のお話しです。

 タイヤチェーン。

 タイヤチェーンとは、クルマやバイクで積雪路や凍結路を走行する際に、タイヤの外周に装着する滑り止め器具である。

 近年ではスタッドレスタイヤが普及したせいか、装着の手間がかかるチェーンを使う人は減っているように感じる。

 まあ、確かにスタッドレスタイヤは便利だ。

 いちいち雪の降る車外に出て、寒い中でチェーンを装着するのは面倒だし、私自身も雪山に遊びに行っていた頃は4WDのクルマにスタッドレスタイヤを()かせていた。

 ただ、それなりに高価な物だし、そもそもクルマの駆動方式によってはチェーンもスタッドレスも役に立たない場合もあるので、年に何度も雪の降ることがない、まして積もるようなことのほとんど無い関東の平野部では、趣味でスキーやスノーボードに行くのでもない限り、チェーンもスタッドレスもどちらも用意していないということが多々ある。

 私も病気をしてからは雪山に行く機会が減り、タイヤもクルマも替えてしまっていた。

 そんな訳で、玄関のドアを開けて目に飛び込んできた風景にはしばし固まった。

 雪。

 それもこの辺りでは交通機能がマヒするレベルの積雪だ。関東の平野部では数センチも雪が積もれば簡単に道路や鉄道は機能不全をきたしてしまう。

 私の家の目の前の道路には、現状で5~8センチほどの雪が積もっていた。しかもまだ降り続けている。

「このままだと10センチは積もるな…」

 玄関で新聞を片手に、私は(うな)るように(つぶや)いた。

 今日は月曜日だ。

 仕事は当然、休みではない。

 雪が積もっちゃったんで休みます、などと言ったところで通用はしない。

 私は自室にとって返し、すぐにカッパを着込んだ。

 事前に買っておいた『あるもの』を手に、家を出て駐輪場へ急ぐ。

 3台並んだ相棒の内の1番右側、スーパーカブ90のカバーを外した。

 先日、冗談半分で取り付けた温度計が0℃を指している。

「こりゃ、寒いや。雪が降ってもしょうがないな」

 苦笑し、手袋をした手で作業を始める。

 はしご状の金属部品。

 そう、タイヤチェーンだ。

 スーパーカブは全国で郵便や新聞の配達に使われているバイクであるだけに、こうした装備が存在する。なにしろ、北海道や日本海側の豪雪地帯でもスーパーカブは一年中働いているのだ。

 私が用意したのはリアタイヤ用のタイヤチェーン1本。

 こんなに降るのならフロントタイヤ用にもう1本用意しておけばよかったが、まあ駆動輪に装着すればとりあえず走れるだろう。

 それに、私のカブはスノータイヤではないがオフロードタイヤを()いているので、通常のタイヤよりは雪道を(つか)んでくれるはずだ。

 装着はとても簡単だった。

 センタースタンドをかけて浮かせたリアタイヤを回しながらチェーンをかけ、接続フックをかみ合わし、さらに(ゆる)まないようにスプリング製のテンションバンドを数本つけてやる。

 初めておこなう作業だったが、30分もかからずにキレイにタイヤチェーンを装着できた。

 一度家に戻って朝食を食べ、仕事へ行く支度をし、ヘルメットをかぶって家を出る。

「気をつけてね」

 心配そうな顔の妻に「大丈夫だよ」と笑顔で答えた私の頭の中は、すでにこれから走る雪道への期待で一杯だった。

 玄関のドアを閉める。

 時刻は午前6時10分。

 いつもの出勤時間よりも1時間近くも早い。

 走れるといっても、普段のスピードが出せる訳もなく、おそらくは半分以下、いや3分の1程度だろう。途中の道路状況も不明なのだから、時間に余裕を持って家を出るのは当然だ。

 けっして寄り道や遠回りをする為に早く家を出る訳ではない。

 …余裕があればフラフラと横道に入っていってしまうかもしれないが。

 依然として0℃の目盛りを指し続ける温度計の針を見ながらエンジンをかける。

 さすがにチョークを引かなければならなかったが、スーパーカブはセル一発で目を覚ました。

 しばらく暖機運転をし、ゆっくりと駐輪場からバイクを出す。

 早朝の路上は一面真っ白だった。

 見慣れた景色が雪に(おお)()くされた中でシートを(また)ぐ。

 シーソーペダルを1速に踏み込んで、ジンワリとアクセルを開いた。

 リアタイヤが新雪を踏みしめて車体を前に押し出していく。

 2速にシフトアップ。

 私よりも先に通ったクルマがつけた(わだち)を、教習所の一本橋のようにトレースしながら走ってみる。

 クルマのタイヤで踏み固められた(わだち)は、時間が経ったことで凍りつき、ところどころフロントタイヤが滑りそうになった。

 (わだち)からフロントタイヤをわずかに外し、手応えを確かめながら進む。

 いつもの通勤路だ。

 しかし、いつも通りに交差点を曲がると、そこには(わだち)の一本も無い、真っ白な道が田んぼの真ん中を真っ直ぐに伸びていた。

「おお、すげぇ。新雪だ」

 そのままゆっくりと、新雪が10cm近く積もったまっさらな道に突入する。

 目の前で舞う雪の勢いは変わらない。

 ヘルメットのシールドは湿気を多く(ふく)んだ雪が貼り付き、とっくに跳ね上げていた。

 白い。

 田んぼも、道も、視界一杯に広がる白い世界。

 そこに17インチのオフロードタイヤとタイヤチェーンで、一本の軌跡を刻みつけていく。

 柔らかな手ごたえがハンドルを通して凍える両手に伝わってきた。

 スピードメーターの針は20kmを指している。

 フロントタイヤが雪の中で暴れだそうとしているのを感じた。

 これ以上スピードは上げられない。

 しかし、バランスを失うほどではなかった。

 リアブレーキを軽く踏んでみると、きちんと制動がかかる。

 雪の中でもスーパーカブはちゃんと機能していた。ゆっくり走る分には問題ない。

 すれ違うクルマもいない、真っ白な世界にスーパーカブと私の1人と1台きり。

 静かに降り続ける雪が、タイヤチェーンが路面を噛む音とエンジンの鼓動だけを残して、音を包み込んでいく。

 トトトトト…、チャリチャリチャリ…、

 見渡す限り、この天候でバイクに乗ろうなどというのは私くらいだ。

 しかしそこに、純粋にバイクで世界と向き合っている楽しさがあった。

 氷点下の寒さ、視界一杯に舞い、地面を真っ白に覆い隠す雪。

 およそバイク向きではない気象条件だ。

 それでも相棒に(またが)った私の表情は(ゆる)んでしまう。

 滑り出そうとするバイクの挙動を感じとりながら、車体をコントロールする楽しさ。

 まだ誰も通っていないまっさらな道に、(わだち)を刻み込む嬉しさ。

 寒さにも、スロットルを開けられない不便さにも勝る、この気持ちは一体どういうことだろう。

 こんな時ですらバイクに乗れることが楽しい、嬉しいのだ。

 他人から見ればおかしいとしか思えないだろうが、これが私のバイクに対する気持ちなのだ。

 いつだってバイクに乗っていたい。

 誰も通ったことのない場所を走る冒険者でありたい。

 雪の舞うまっさらな早朝の白い世界を独り占めしながら、私たちは走る。

 トトトトト…

 チャリチャリチャリ…

 音すらも覆い隠すように積もる雪の中を、1人と1台が行く…

雪の中をバイクで走る。

もはや乗らない人から見たら変態です。

でも、すごく楽しいんですよ。

ワタシのような技術の無い者でもスーパーカブのように軽くて頑丈なバイクなら、充分に楽しめました。

本当にバイクって楽しい乗り物ですね。

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