13 夕立の向こう側
バイクに乗っていると、急な雨に降られることはよくありますよね。
今回はそんな時に経験したエピソードです。
朝カーテンを開けると、青い空にモクモクと積み重なるように真っ白な入道雲が浮かんでいた。
8月。
夏、真っ盛りだ。
テレビの天気予報で気象予報士の女性が心配そうな顔をしながら、『夕方の急な雨に注意が必要です』と説明している。
私は家を出る時にもう一度空を見上げ、駐輪場からバイクを引き出した。
朝の時点で雨が降っていなければ、バイクに乗るのが私のルールだ。
いつもと同じように、スーパーシェルパに跨って通勤路を職場へと走る。
田んぼの真ん中を通る道は交通量も少なく、青空を眺めながら走るのがとても気持ち良い。
相棒と私は、30分もしないうちに職場に到着した。
いつもと同じように自分のデスクにつき、1日の仕事をいつもと変わらないルーチンで黙々と右から左へと消化していく。
夕方、仕事を終えてそろそろ帰るかなとデスク周りを片付け始めたところで、窓の外の空模様が目に入った。
朝はあんなにも青い空に鮮やかだった真っ白な雲が、いつの間にか空の色を塗り潰すような黒く重たい色に変わり、低く垂れ込んできている。
「降ってきそうだな…‥」
呟きながら、ヘルメットを片手に職場を出た。
歩き始めて5歩も進まないうちに、頬にポツリときて空を見上げる。
「はあぁ、降ってきちゃったか…‥」
溜息をつきながら、急いで駐輪場まで行き、屋根の下に入る。
途端にポツリがタタタに変わり、ザアーという派手な連続音に変化した。
アクリル製の駐輪場の屋根が、強烈な雨にドラムロールを奏で始めている。
「こりゃあ、しばらく止みそうにないな」
私は空を見上げながらもう一度大きな溜息をついた。
スーパーシェルパのリアBOXからレインウェアを取り出し、手早く着込む。
雨天用の装備を全て着け終るとヘルメットを被り、バイクのスタートボタンを押した。
雨の音にエンジン音が重なる。
「行きますか…」
呟いて雨の中に出た。
あっという間にヘルメットのシールドが雨粒に覆われる。
レインウェアのあちこちを雨がノックしていた。
「これでちょっとは涼しくなってくれるといいんだけどなぁ」
ヘルメットの中で誰に向けてでもない言葉を呟いて、雨のカーテンの向こうへ目を凝らす。
視界が悪い。
梅雨時の霧雨とは違う、バケツをひっくり返したようなどしゃ降りの豪雨だ。
さすがに運転にも神経を使う。
濡れたアスファルトの路面にブロックパターンのオフロードタイヤでは、簡単に足下をすくわれてしまうのだ。
私はいつもの数倍慎重に、車体をあまり傾けず、スーパーシェルパの広角なハンドル切れ角を生かして交差点を曲がっていく。
ブレーキもいつもと同じようにかける訳にはいかない。
ガツンとかければブレーキは簡単にロックし、タイヤはあらぬ方向に滑り始める。そうなったら、私の技量ではそのまま転倒するしかない。
制動距離も長くなる。減速は早めに始めなければならない。
すれ違う大型車が盛大に水飛沫を撥ね飛ばし、一瞬で視界を奪われる。
慌てないこと。
それを自分に言い聞かせてバイクの操作を続けた。
前車との車間は広くとっておいたから追突はしない。
『急』がつく操作を避け、視界の回復を待つ。
視界を塞がれたのはものの1、2秒だ。
戻った視界をすぐさま確認し、操作を補正する。
大丈夫。
慌てなければ対応できる。
私は強烈な雨の中、普段なら30分もかからない通勤路を40分ほどかけるスピードで慎重に走った。
だんだん我が家が近づいてくる。
と、雨が弱くなった。
背後から傾きながらも力強い夕陽が射し込んでくる。
私はチラリとミラーに目をやってから、広くなっている路肩をみつけてバイクを停めた。
眩しいくらいのオレンジ色の太陽が、西の空の雲間からこちらを照らしている。
雨に濡れた田んぼや道路が斜めからの光を受け、景色どころか空気までもが金色に染まっていく。
「スゴいな…」
私は雨粒をビッシリとまとったリアBOXを開け、カメラを取り出す。
まだ弱い雨が残る中、レインウェアにヘルメットをかぶった格好のままで、シャッターを切った。
金色に染まる夕方の景色と、その身にまとった無数の雨粒を輝かせる相棒。
雨の中を走る苦労はすっかりどこかにいってしまっていた。
ふうと息を吐いてカメラを下ろす。
眩しい夕陽に目を細めつつ、背後を振り返ってまた息を飲み込んだ。
「虹だ…」
進行方向、自宅がある北東の方角から南に向かって大きな七色の橋が伸びていた。
私は下ろしたカメラをまた構え直し、夢中でシャッターを切った。
相棒のヘッドライトの抜こう側、空に向かって伸びる橋。
あそこをバイクで走ることは出来ないが、心の底に溜まっていた何かが橋の向こうへ行ってしまったかのように、不意に軽くなる。
私はカメラをしまってバイクに跨り、ギアを1速に踏み込んだ。
クラッチを繋いで走り出す。
さあ、我が家に帰ろう。
あの虹に向かって走り出そう。
きっと、もうすぐ雨も上がる。
夕立の雲の切れ間から顔を出した夕陽は驚くほどの輝きでした。
そして虹の唐突さにもビックリ。
こういうことがあるからバイク乗りはやめられませんね。




