7p.先代聖女の覚悟
「まあ、それでわたくしを訪ねてきたのですね。ジェイラスも困った人だこと。いくら警部さんとはいえ、わたくしの居場所をそう簡単に他人に教えるだなんて……」
ふくよかな体型を修道服に押し込んだ女性は、カップに注がれた紅茶を眺めながら穏やかな口調で言葉を紡ぐ。小鳥がさえずるような可憐な声音をしていた。
「あなたもご存知の通り、わたくしは隠居生活を送る身よ」
女性はカップから、私に視線を向けると小さく微笑んだ。両目を細めたことで、皮膚に刻み込まれた皺が深くなる。笑っているのに、その内にくすぶる怒りを察して私は「すみません」とすぐさま頭を下げた。
女性の名前はダイアナ・ジェラルディーンさま。四年前まで、聖女として多くの民を救ったお方だ。初老に差し掛かり、【祝福】の力が弱まったため、アリスティアさまにその椅子を譲り、今は修道女としてカイラさまに仕えていた。
引退した聖女は慣例に則り、王都から離れたミアマト山の麓で生涯を過ごすことが義務付けられている。
それは今まで築き上げた功績から、今代の聖女より民衆の支持を集めないためだ。過去に先代が尊ばれて、今代が蔑ろにされた事例が相次いだためと言われている。
とはいえ、田舎に追いやられても元聖女であるお方を国は蔑ろにはできない。
その証拠に湖のほとりに建てられた木造の一軒家は、隠居生活を送るというわりには豪奢な内装をしていた。通されたのは応接間として使用している一室だけだが、ここだけでも複数人の来客を招き入れることが可能な広さをしていた。床を覆う絨毯は、おそらくイルドレントのものだろう。彼の国は産業改革から百年が経ち、工業化が進んだ今も織物に関しては機械織りに頼らず、伝統である手織りの技術を大切にしている。職人がひとつひとつ丁寧に糸を紡ぎ、染めて、編み込んだ毛織物は、玄関先に敷く小さなサイズでさえ私の月給一ヶ月分はゆうに飛んでいく。この部屋、全体を覆うサイズともなれば一年分はかかるだろう。
壁に飾られている絵画はどれも自然がモチーフとなっているらしい。天を穿つ山脈が描かれたものや、広大な花畑で駆け回る少女を描いたもの、夜空を照らす星々を描いたものまで多岐にわたる。カイラさまの彫像と十字架が飾られたキャビネットは、私が腰掛ける椅子や机と同様に使い込まれて深い飴色に変色している。この国の象徴花であるイグランジュの透かし彫りが施された扉は両開きで、支える脚は猫の手のように丸くなっており、可愛らしい。
目利きはそこまで得意ではないが、素人から見てもこの部屋に置いてあるものは全て高価な品物であると伺える。
また、姿は見えないが人の気配もする。
ダイアナさまが自ら家事をするとは考えにくく、力は弱まったとはいえ、癒しの【祝福】を狙う不届きものは多数いるはずだ。なので、使用人と護衛官である可能性が高い。
元聖女であるお方が余生を過ごす家など、おそらく二度と訪れる機会はない。もう少し、細部まで観察をして、残しておきたいがこれ以上の観察はダイアナさまに不信感を抱かれる可能性が高いため、我慢をする。
「ダイアナさまにお聞きしたいことがあり、ジェイラス騎士団長に無理を言ったんです」
「あら、わたくしに聞きたいこと? それはどんなことかしら」
「アリスティアさまが亡くなられた件はご存知ですか?」
微かに、眉が跳ねた。カップを持つ手が揺れ動く。動揺を悟られないようにするためか、ダイアナさまはカップを置くと髪を耳にかけ直した。
その動きはあまりにも不自然で。生き物が自分を落ち着かせる際によく行うものだ。
ダイアナさまは何かを知っている。知っていて、それを私に知られたくないのだろう。
私はダイアナさまの行動に気がつかないフリをしながら、【祝福】を発動させた。
「もちろんよ。その話を聞いた時は驚いてしまったわ」
声は普通だ。
「まさか、アリスティアが死んでしまうだなんて……」
声は悲壮な響きを帯びているが、特に違和感はない。
「それで、わたくしに聞きたいことというのはアリスティアのことかしら?」
「はい。私はアリスティアさまを殺害したとされる容疑者五人の尋問を担当しました」
尋問、という単語にダイアナさまは両目を大きく見開いた。
私は慌てて首を振る。
「尋問といっても、お話を聞く程度ですよ」
そう付け加えるとダイアナさまは安堵に胸を撫で下ろした。
確かに尋問と言われたら世間では、暴力や暴言に任せて情報を聞き出そうとするイメージしかないだろう。
「今回の件で不可思議な点がいくつかあり、ぜひともダイアナさまのお力をお借りしたいと思いまして」
「まぁ、それは何かしら。わたくしでわかることなら、協力いたしますわ」
「それは助かります。クローディアさまたちが告白した殺害方法と私共が推測したアリスティアさまの死因が異なっていたのは、ご存知ですか?」
わざとクローディアさまの名前を出せば、ダイアナさまは微かにまつげを伏せた。何かを考えるような、仕草だ。
「ええ、知っているわ。わたくしにも報告がきたのだけれど、あの子たちは全員、別々の方法で殺害したと告白したそうね。一人も方法が被っていなかったとか」
「その通りです。それなのに、国は彼女たちの死刑を取り行いました。それもまるで一秒でも早く、この件を解決済みにしたいのか異例ともいえる早さで」
「……確かに、異例ね。けれど、それは仕方のないことではなくて?」
「仕方がないとはどういうことでしょうか」
「聖女とは何か。何をもって聖女と見なすか、あなたは考えたことがあるかしら?」
いいえ、と素直に首を振る。
「考えたことはありません。教会が大勢の中から適正者を見つけて、王家が承認した少女を〝聖女さま〟と認識し、そう呼んでおります。おそらく、私以外の者も同じ認識でしょう」
「あら、正直者ね。……こんなことを〝元〟である私が言うべきではないのだけれど、聖女とはカイラさまのご意志を継ぎ、このガロンの民の希望として、道標としてその生涯を犠牲にしなければいけないの」
ダイアナさまは、教本の言葉をなぞるようにしゃべり出す。感情を乗せない平坦な声音は、人間のものとは思えない。まるで意思のない機械と対話をしている気分になる。
「私は〝聖女〟に選ばれたけれど、実際は紛い物よ」
【祝福】を介して届くその声は、真実であることを教えてくれた。
けれど、紛い物とはどういう意味で言ったのか理解ができない。私が物心つくころから聖女としてダイアナさまは多くの慈善活動に参加していた。その所有する【祝福】の力は、歴代でも強力な部類と言われている。骨折や内臓破裂といった大怪我ですら、たちまち治してしまわれるのだから。戦地へ赴き多くの怪我人を救い、支援活動に精をだすお姿を幼い頃から見聞きした身としては、ダイアナさまは聖女としてふさわしいお方だと胸を張って言える。
「聖女という職務は、カイラさまの偉業を後世に伝えるためのもの。カイラさまのように多くの傷付いた人間を所属する国や身分、人種を問わず救い、死すら覆してしまうような娘こそが聖女にふさわしいのよ」
バーバラさまも同じようなことを言っていた。
これは仮定だが、私たち一般市民と聖職者では、カイラさまへの認識はかなり異なる可能性がある。私は小さい時から、両親や恩師に聖女に選ばれた人間は、神から愛された特別な人間だと言い聞かされてきた。
聖女さまが下す判断は全て正しい。聖女さまの行動は全て正しい。その言葉は、行動は、決して間違えてはいないのだと。
何をもってダイアナさまが自らを〝紛い物〟と称したのか、私には判断ができない。適切な言葉が浮かばず、押し黙っているとダイアナさまは相好を崩した。
「アリスティアは、本物の聖女だったわ」
小さく、ダイアナさまはため息をはく。
「聖女としての心構え、【祝福】の強さ、優しさ、……どれをとってもあの子は完璧だった。〝聖女〟という称号は、あの子こそふさわしいものだった」
まるで昔を懐かしむように。
同時に昔を悲しむように、ダイアナさまは眉尻を下げた。
「国が、四人の処刑を早めたのは、ガロン国民および周辺国へ混乱を伝えないようにと配慮した結果よ。カイラさまの生まれ変わりとも言えるアリスティアが殺されたのだもの。仕方のない処置よ」
声に違和感はない。ダイアナさまは本心から仕方がないと思っている。
ならば、と私は本題にはいることにした。
「クローディアさまが処刑を免れたのはなぜですか?」
ダイアナさまの手が止まる。先ほどよりも両面が見開き、唇がわななく。少しして、カップを持ち上げると一口を口に含んだ。味わうというよりも、やはり自分を落ち着かせるべく行っているように見えた。
「……あの子は、アリスティアを殺してはいないわ」
時間を置かれて発せられた声は〝真実〟を表している。
「それはおかしいですね。クローディアさまは〝アリスティアさまを殺害したのは自分だ〟と確かに言っていました」
「ええ、そうね。けれど、あの子はこうも言ったはずよ。〝アリスティアを土に埋めた〟と、ね」
「けれど、殺害したという発言に嘘偽りはありませんでした。それに、それで無罪になるのならば、ベアトリスさまはどうして死罪となったのでしょうか。口を塞ぎ、体を抑えて、腹部を裂いたと証言した他の三名はわかります。しかし、ベアトリスさまは〝首を絞めた〟と告白し、それは明らかに実際の殺害方法とは異なっております」
アリスティアさまが着用なされていたウエディングドレスは、鎖骨が見えるデザインだったため首周りの皮膚の変色は視認できた。ロープなど使用した際に残る索状痕や手で首を絞めた際に残る扼痕は見当たらず、血流が滞ったことで起きる溢血点やチアノーゼなどが確認されなかったことから縊死ではないと判断されている。
痕が残らなかった前例はあるが、それは加害者被害者ともに子供の場合のみ。加害者の腕の力が弱くても、幼児の細く柔らかい首なら簡単に締まってしまう。
今回の件は、成人同士だ。薬で眠らされていたとしてもアリスティアさまの首を、痕を残さずに締め上げるのは困難のはずだ。
「あなたは、途中でお暇を言い渡されたから聞いていないのね。その後にベアトリスが告白したそうよ。体を押さえつけるのを手伝った、と。信用ならないのならば、後で調べてみなさい」
それは初耳だ。私が外されてから二回目の尋問を行ったなど。
第一、嘘偽りを判断する【祝福】を持つのは署内で私のみである。外部の人間を同席させたのかもしれないが、疑り深いオリバー先輩がそれを許すとは到底、考えれない。
私の動揺を悟ったのか、ダイアナさまはすっと両目を細めた。
「もう一度、言います。クローディアは、アリスティアを殺してはいないわ。あの子は確かに気難しい子ではあるけれど、心優しい子であることは、叔母である私がちゃんと分かっているもの。……それで、あなたはなにがしたいのかしら? クローディアもあの子たちのように処刑台に乗せたいの?」
「いいえ。ただ、知りたいだけです」
「嫌な好奇心ね。それだけで、こんなにも不躾な言動を繰り返すだなんて」
「よく言われます」
ダイアナさまは深く息を吐く。自然な動作だが、呆れか、動揺を隠すためかは判断できない。
「質問はそろそろ終わりでいいかしら? わたくしはこう見えて忙しいのよ。アリスティアの代わりになる子を見つけなければならないから」
「まだお亡くなりになって日も経っていないのに、選別ですか?」
「当たり前でしょう? 聖女とは国の道標だもの。例え、紛い物であろうとも行く先を示し、導く者をわたくしたちは作らなければならないわ」
「紛い物ではなく、本物が現れるのを待つのでは駄目なんですか?」
「駄目よ」
「それはなぜ」
「カイラさまのご意志に反することはできないわ。国がまた混乱し、多くの民が傷付くような事態は避けなければならない。それが、わたくしたちの義務ですから」
「……カイラさまは、【祝福】を使うことに否定的だったと聞きました」
「まあ、それは誰からかしら。……言いそうといえば、ベアトリスかしら? あの子は物事を達観して見るから、時折、驚くような推察をしていたわ」
正しくは、バーバラさまだが否定はしない。しない方がいい、と判断した。
「その話は半分が本当で、半分が嘘よ。カイラさまは確かにお力を使いたがらなかったわ。当時はね、今のように治癒を使う対象を決めていなかったの。カイラさまは、伝承通り、どんな相手の怪我も治していたわ。その結果、〝どうせ治してくれる〟と民は思い込み、怪我をすることも、怪我を負わせることへの罪悪感も薄れていった」
「カイラさまがお若くして、亡くなったのもそれが原因ですか?」
「ええ、そうよ。【祝福】という力は万能ではないわ。使えば、疲労感に襲われる者、一時的に聴覚や視力などの五感を失う者、長い眠りに付く者と様々なのはご存知かしら?」
知っている。なので、この国では子どもに【祝福】が発現したら、まず先にどのようなリスクがあるかを調べることになっている。大半が親からの遺伝のため、同じ系統の【祝福】を持つ親が監督するか、そうでなければ教会に赴き白騎士団に依頼をするか。
そのリスクの内容によって、日常生活が満足に送れないと判断された場合は、力を制限するために〝制約〟をかけてもらわなければならない。
「私たち、癒しの力を持つ者は〝寿命〟を削るのよ」
いかにも当然であるかのように、ダイアナさまが続けるので私は驚いた。使用すると寿命を削る【祝福】など、聞いたことがない。
「これは、聖女となった者だけに教えられることなの。教会に集められた癒しの力を持つ少女たちは、リスクの説明をせず、〝制約〟をかけて帰す決まりになっているわ。使えば使うだけ、命を縮めると言われたら混乱し、恐怖に怯えるのは目に見えているわ。聖女選抜は代替わりの時だけに行われると思っている人は多いけど、教会は秘密裏に毎年、癒しの力を持つ者を探しているのよ」
「それを私に話していいのですか?」
「ふふっ、本当は駄目よ。けれど、あなたは誰にも言えないから別にいいと判断したわ」
誰にも言えない、とは穏やかな言葉ではない。
手遅れかもしれないが、これ以上は追求せず今すぐにでも引き返したほうがいいだろう。先代聖女であるダイアナさまが持つ権威は、私が思うより強力なのだから。
けれど、そう頭では分かっているのに私はこの場を動けなかった。もっと話を聞いてみたい。アリスティアさまが亡くなった理由を、少女たちが殺害を告白した理由を、国と教会が隠蔽しようとする理由を知りたかった。
そんな私の心を見透かしたように、ダイアナさまは口角を持ち上げた。最初の動揺が嘘のようだ。
「実はね。わたくしの力はまだ衰えていないの」
まるで秘密を打ち明ける少女のように、ダイアナさまは柔らかく微笑んだ。
「わたくしが引退すること決めたのは、アリスティアを見つけたから。あの子を聖女にするためには、先代であるわたくしは邪魔なだけ。だから、大々的に引退し、聖女選抜を行うと告知したのよ」
「邪魔だなんて。ダイアナさまは誰よりも国のために働いていらしたのに」
「あなたのような信徒を出さないためでもあるわ」
思わず、口をつぐむとダイアナさまは更に笑みを深くした。
「感謝するわ。あなたのおかげでやっと決心がつきました」
「決心、ですか?」
「ええ。国を守ることに、わたくしは残りの人生を犠牲にすると。——……さあ、お話は終わりよ。日が暮れる前にご家族の元に帰りなさい」
そう言うと、私の返事を待たずにダイアナさまは扉の奥へ声をかけた。現れた屈強な男たちは私の元へ来ると、声に出さず威圧的な空気で出ていくように命じる。
「本日はありがとうございました。貴重なお時間を割いていただいたことで、有意義な話を聞くことができました」
「ええ、それは良かったわ」
帰路につこうとした私の背中に「ねえ」と声が投げかけられた。
「ひとつ、忠告をしてあげましょう。いつか、あなたはその好奇心に、身を滅ぼされるわ」




