5p.掃除夫の後悔
尋問を終えた翌日からしばらくの間、私には休みが与えられた。
要は外されたのだ。本来ならば、この案件に関わるのは警視正より上の立場の者と決められていた。それをねじ曲げて、警部である私を同席させたのは、私が持つ【祝福】の価値とオリバー先輩からの推薦があってこそ。
少女たちから真偽は不明だが、殺害方法を聞き出せた今、私は用済みというわけである。
久しぶりの長期休暇をどう過ごそうかと自室で寝転んで考えに耽っていると娘が勢いよく扉を空けて入り込んできた。娘——メアリーは六年制の寄宿学校へ通っているのだが、帰省するという話は聞いていない。今の時期は休校期間でもないし、家に帰されるほどの体調不良でもなさそうだ。
嫌な予感がしつつも、私は平静を装ってベッドから起き上がった。
「メアリー、ノックをしなさい」
「パパ! どういうことなの?!」
メアリーは制服姿のまま、大股で駆け寄ると叫ぶように声をあげる。
甲高い声が近距離で耳をつんざき、私は思わず唸った。メアリーは興奮すると声が普段よりも高く、大きくなる。聞き慣れた我が子の声とはいえ、近距離で叫ばれたら流石に耳が痛い。
「言葉を省くな。主語をいいなさい」
「聖女さまが殺されたって! 今、国中で噂されているのよ!!」
思わず、私は顔をしかめた。その案件はまだ新聞に取り沙汰されていないはずだ。あの場に居合わせた者か警察署内で規則を守らない馬鹿がいたのか。そのどちらも、か。
オリバー先輩を含む上層部が怒り狂う様を想像して、ため息をつくとメアリーは眉を持ち上げた。
「やっぱり、パパは知っているのね?!」
「パパはこれでも警察なんだ。愛する娘でも言えないよ」
そうなだめても素直に納得するような性格をしていない。頑固な妻によく似た気質を持つメアリーは私の腕を掴むと力一杯引っ張った。
「ほら、立って! 一緒に教会に行きましょう!」
「ママと行きなさい。パパは少し考え事をしたいんだ」
「ママも一緒に行くに決まっているじゃない。どうせ、パパったらまた色んなことを考え込むつもりでしょう? そんなことより、今は聖女さまにお会いしきゃ!」
アリスティアさまは教会には居られない、という言葉を飲み込んで私は重たい腰を持ち上げた。行くさきが協会でも、自室で流れる時を過ごすよりかは有意義に過ごせると考えて。
※
「……ひどいわ」
すぐ隣に控えた妻は、目の前の光景を見てぼそりと呟いた。
私も声に出さずとも心の中で同意した。白薔薇に囲まれた白亜の教会は、いつもならば静謐な佇まいで、信者を迎え入れていた。訪れる信者は皆、敬虔の念が深く、静かに祈りを捧げていたはずだ。
それが、今は多くの怒号に包まれていた。
アリスティアさまの死は本当かと疑問を口にする者、白騎士団は何をしていたんだと怒りを露わにする者、この国の行く末を憂い頬を濡らす者——。
押し寄せた者たちによって、白薔薇は踏み躙られ、隅々まで手入れが行き届いていた庭園はゴミに塗れて汚れてしまい、見る影もない。
「これじゃあ、中まで入れないわ」
メアリーが唇を尖らせて、不満そうに呟いた。
暴徒と化した信者から教会を守るために白騎士団によって、結界が張られているようだ。信者が放った炎や雷といった攻撃は教会から一定の距離で見えない壁に阻まれるかのようにして消えていた。
物理干渉を弾く結界が張られているということは、集う信者たちを掻き分けて、教会に入ることもできない。
「今日は一旦、帰ろう。ここにいては怪我をしてしまう」
けど、とメアリーは不服そうだ。妻も同様に宥めると嫌々ではあるが承諾してくれた。三人で帰路につこうとした時、荒れ果てた庭園の一角で黒い塊がもぞもぞと動いているのが見えた。
警部としての性というべきか。私は妻たちを見送った後、懐に忍ばせた拳銃と記章へ手を伸ばし、黒い塊へと近づいた。敵意はなさそうだが、用心に越したことはない。
「失礼。どうなされました?」
穏やかに声をかけると黒い塊は硬直した。すぐさま二対の目が私をとらえて、直後「あの時の」と言葉を紡ぐ。
「あなたは」
私は目を見開いた。薄汚れて、黒い塊に見えたのは一人の老人だった。
その顔には、見覚えがある。確か名はジョン・カーター。教会の掃除夫として働いていた男であり、アリスティアさまのご遺体の第一発見者。
満足に眠っていないのかジョンは皺が深く刻まれた目元に色濃い隈を作っていた。報告書では七十一歳と記載されていたが、あまりの老いっぷりに百歳近くも見える。
「アレクシス・バートです。今日は仕事が休みなので、教会へ訪れたのですが……」
未だ暴徒が集まる教会を見て、私は痛ましいものを見るかのように眉を下げた。
「すごい騒ぎですね。まだニュースにもなっていないのに」
「……ええ、アリスティアさまが亡くなった日のお昼頃から集まって、今ではこのような集団になりました」
ジョンは凪いだ目で教会を見据えた。
「朝も夜も、ずっと。アリスティアさまが亡くなられたことで怒りや不安でいっぱいなのでしょう」
「夜? ジョンさんはずっとここにいるんですか?」
「……ええ、寝ても覚めても、あの時の光景を思い出してしまうのです」
あの時というのは、おそらくアリスティアさまのご遺体を発見したことだろう。
「私がもっと早く起きていれば、アリスティアさまは殺されなくて済んだのでは、と。あの子たちがこのような犯罪行為に手を染めなかったのでは、と……。悔やんでも悔やみきれません」
「余計なお世話かと思いますが、それでも休まれたほうがいいのではないでしょうか。今のあなたはいつ倒れてもおかしくはありません」
「いいえ。これは罪滅ぼしです。アリスティアさまが愛したこの庭園を少しでも整えることが、私ができる唯一の罪滅ぼしなのです」
「罪滅ぼし、ですか……」
ええ、とジョンは頷く。
「それにここは私にとっても思い出深い、大切な庭園なのです」
昔を懐かしむようにジョンは両目を細めた。
「私は字も満足に書けません。学もなく、ずっと清掃業で働いてきました。その日暮らしの生活をずっと送り続けて、この歳になっても働き続けなければいけません」
私は言葉に詰まった。ガロン連合王国は貧富の差が激しく、それゆえに教育格差がひどい。満足に教育を受けられず、大人となった子どもは数多くいる。
そういった大人は満足に税金も支払うことができないので、社会保障を受けることができず、教会からの施しを受けながら高齢となっても働かなければならない。
「アリスティアさまやあの子たちはとても優しくて、私によく文字を教えてくださりました。老体にはキツい仕事を代わってくださり、手が空いた時には庭園の手入れも手伝ってくれたのです」
「ジョンさんから見て、あの五人はどんな子たちでしたか?」
「みんな、とてもいい子でしたよ。本当に。……あの子たちがアリスティアさまを殺害したと聞いたけれど、いまだ信じることができません」
「あの、できる範囲で構いません。当時のことを教えていただけませんか?」
「……それは、捜査の一環でしょうか?」
伺うような目を向けてくる。
「いいえ、個人的な興味です。五人と話しましたが、私もそんなことをするような子たちには思えなくて」
「それはそうでしょう。あの子たちがアリスティアさまを殺すなど、絶対にありえませんから」
ジョンは当時の記憶をなぞるように語り出した。
「あの日の出来事は、今も鮮明に思い出せます。おそらく、死ぬまで忘れることはないでしょう。……あの日、私はいつものように教会へ向かいました。教会内の清掃をして、次に庭園をします。庭園を掃除する頃になるとあの子たちも起き出して手伝ってくれます。教会内の掃除をしようと扉を開けた時、あの子たちは並んで、一心に祈りを捧げていました。まるで赦しを得るかのように。泣いて、泣き腫らした目で、静かに……。あの子たちはアリスティアさまが大好きでしたから、なにか、そうです。なにか、他に理由があるはずなんです……!」
すがるようにジョンは私の胸元を掴む。手についた土がシャツを汚すのを、どこか他人事のように思った。
「落ち着いてください」
「あの子たちは誰かに騙されたに決まっています! それか誰かに脅されたか……! あんないい子たちがアリスティアさまを殺すわけがありませんっ」
「そうは言われましても」
「聞きました。アリスティアさまの亡くなった原因はおそらく薬だと」
聖女であるお方に直接的な検視はできないため、腹部の傷やご本人の表情、周囲の状況から死因を推定した結果、薬物が第一候補に上がった。睡眠薬を飲ませ、意識を失った上で腹部を切り裂き、出血死を招いたという意見もでたがあれだけ大きな裂傷を負っても眠り続けるなど不可能だ。腕や足には押さえつけられたような痕跡すらなかったのだから。
致死量に至る薬物を何らかの手段で飲ませた、というのが上の見解である。
ただ、それは今回の件に関わった者でも一部の人間にしか伝えられていない。それを第一発見者とはいえ、ジョンが知っているのはおかしな話である。アリスティアさま殺害を外部に漏らしたように、死因すら漏らした馬鹿がいるのだろうか。
と、考えた末に今もなお怒りをぶつける暴徒の声が聞こえた。彼らはアリスティアさまが殺害されたことは知っていても、どういう状況だったか、死因はなんだったのかは口にしていない。
それをジョンが知っている。となると考えられるのは、ひとつ。
「あなたの【祝福】ですか?」
私の問いかけに気まずそうにジョンは顎をひく。
「私の力は超聴覚といって、使用している間は通常の三倍ほど聞こえがよくなります」
「さすがに盗み聞きはマナー違反ですよ。それを聞かれたら、あなたが罰を受けます」
この国では【祝福】の使用にはいくつかの制限がある。他者のプライバシーを害するような能力の使用や他者を傷付けるような能力の使用は禁止されている。もし破ったとなると禁固刑か罰金刑が言い渡される。
仕事で使用する際は能力使用許可証がなければ使えない。
「す、すみません」
「喋るからバレるのです。次から気を付けてくださいね」
「えっ、ええ。あの、警部さんですよね?」
「ええ、警部です。記章もあります」
証拠に記章を見せるとジョンは驚いた目を向けてきた。
「なんですか」
「いえ、なんていうか意外で。警察はみなさん、ルールに厳しいと思っていました」
「ルールは守らなければいけませんが、迷惑をかけないなら別にいいと思います」
私やジョンの能力は、本人が黙っていれさえすれば誰にも知られない。誰にも知られなければ、ルールを違反したとも知られない。だから、問題ない、という認識である。
素直に口にするとジョンは、ぽかんと口を開けた。
「警察にもいろいろいるんですね」
「そうですね。頭でっかちもいますし、優柔不断な奴もいますし、見た目を気にするやつもいます。私たちも人間ですからね。他の人間がいると、看過できないため、あなたに罰を与えなければいけませんが、今の話を聞いたのは、私とあなただけです。あと、これは内緒にしてほしいことなんですが、私は今休暇中でして。今回の件から外されたんですよ。そんな私が今件に関わるのは、あまりよろしくはないのです」
ジョンは驚きに目を剥いた。
私はとぼけたように肩を持ち上げてみせた。
「びっくりですよね。最初から最後まで携われると思ったのに、まさか途中で仕事を外されるとは。今回ここに来たのも娘がアリスティアさまにお会いしたいと駄々をこねまして」
なので、と今度はわざとらしく笑顔を浮かべた。
「休暇中に仕事、それも口外禁止の件に関して、関わろうとしたことが知られたら私も処罰を受けます。あなたも【祝福】を使った処罰を受けます。お互いのために内緒にしましょう」
「あなたは優しい人ですね」
「初めて言われました。いつもはもっと真面目にしろ、向上心を持て、眠るなと言われてますからね」
自分では真面目に仕事をしているつもりでも、周囲からの評判はあまりよろしくは無いのは自覚している。妻やオリバー先輩など気心知れる相手からはよく叱られて、身の振りを直せと言われているが、私は直すつもりはなかった。
優しいと言われてうれしい半分反面照れ臭い。冷静でいようと表情を引き締めたのだが、ジョンには見られたようでどこか安心したように笑った。
「真面目に、ですか。……その言葉を聞くと思い出します。バーバラさまとキャロルさまはよくおふざけが過ぎて、それをベアトリスさまが〝真面目にしなさい〟と注意してました。それでも二人が悪ふざけを続けると、クローディアさまが冷たい目で見て、シェリルさまが困ったように笑い、アリスティアさまが注意をしてやっと落ち着きたものです」
昔を懐かしむようにジョンは両目を細めた。
「六人は本当に仲がよろしかったのですね」
「ええ、あの子たちはいつも一緒にいました。聖女と敬い崇められようと、あの五人とともに過ごす時のアリスティアさまはいつも年相応に笑っておられました。あの五人もまたアリスティアさまと共に過ごす時間を大切になさっておいででした」
「……やはり、話を聞いている限り、ご友人であるあの五人がアリスティアさまを害するなんて思えません」
ジョンの様子を伺いながら私は【祝福】を発動させた。勤務時間外であり、能力使用許可証に記されている規定内容に違反する行為だが知られなければ問題ない。
「つかぬことをお伺いしますが、アリスティアさまは誰かに恨みを買ってはおりませんでしたか?」
まさか! とジョンは素早く否定した。
「あのお方に恨みを持つ者がいるだなんて。彼らを見てください」
そう言って、ジョンは教会を囲い込む信者を指差した。先ほどよりも人数は増えて、多彩な攻撃が教会を襲っている。通報を受けたであろう警察が何人か鎮圧のために【祝福】を使用しているが、多勢に無勢というべきかまったくといって効果はない。
それどころか警察の登場に信者の怒りはさらに燃え上がっている。このままでは、この場所にまで攻撃が届きそうだ。
「これはまた……。気持ちはわかるが少し度を超えていますね」
「彼らの行動を見たら、アリスティアさまがどれだけ愛されていたか一目でわかるはずです」
「それもそうですね。けど、そろそろ黒騎士団が出動しそうなほど、騒ぎが大きくなりましたね」
黒騎士団は〝守り〟を司どる白騎士団とは対をなす存在だ。戦闘に秀でた武闘派集団であり、警察では制御不可能な暴徒の鎮圧などに駆り出される。
面倒事に巻き込まれる前に、この場を離れたほうが賢明だ。私は素早く判断するとジョンに向き合った。
「彼らはこの場にいた全員を捕縛するでしょう。脅すような言い方になりますが、ジョンさんもこの場を離れたほうがよろしいかと。捕まれば、無罪であると証明されるまで拘束され続けますよ」
「いいえ。私はここに残ります。少しでも庭園にいたいのです」
ジョンは庭園を見つめ続けた。慈愛のこもった眼差しで。




