海風の声35
イーハに到着してからは、怒涛の忙しさだった。
土産を持って挨拶に駆け回り、大神官の相談に乗って、マレーヌに伴って演習に参加させる軍人を選ぶ。そしてイスタルトとの交易。
ようやく落ち着いたのは、マレーヌに出発するだけの状態になってからだ。
「今回はキツかったな。やる事ありすぎだろ」
「ええ。あれほどまでに忙しいとは」
「お酒飲んだのはイーハに着いた日だけだったっす」
「ワーグが一番走り回ってたもんなあ。ほら、飲め飲め」
「おっとっと。ありがとうっす、兄様」
「稽古と仕事をしに里帰りしたようなもんだ」
明日に出港を控え、今日一日は全員が休暇を取っている。こうして朝から酒を飲むのも、ずいぶんと久しぶりだ。海戦演習がはじまる時間になれば、北斗号は戦闘態勢でイーハから漕ぎ出す。
「明日からはじまるっすね」
「索敵からの海戦演習か」
「相手は四艦。楽しみですね」
「ああ。北斗号の乗員のみで、どこまでやれるかな。陸軍の精鋭も見守る中で、マーロン艦長がどう指揮するか。楽しみだな」
「マーロンさんならやってくれるっす。兄貴が指揮した四艦との海図演習でも、勝率は五分っす」
「そこまでしてんのか。ローグさんも努力家だなあ」
「ローグ兄貴はただ槍や剣を振るより、考えて戦闘を組み立てるタイプっす」
「なるほどな」
そんな息子をポンと海軍にくれてやったのか。ノーグ将軍は、海軍をそれなりに重要視してるな。それはマレーヌ軍にとって、悪い事ではないはずだ。
「ジンギスカン、そろそろ食べられるよ」
「にくーっ!」
「はいはい。野菜も食べようね、ウイト」
「あーい」
「二人も食え。明日からは戦時炊飯だぞ。今のうちに食っとけ」
「ええ。ですが、あれはあれで嫌いではありませんよ」
「握り飯に味噌汁。肉と野菜は味付け、塩だけっすよ?」
「戦うためだけの食事という感じで、某は嫌いではないのだ」
「根っから軍人なんだなあ。武神殿の印持ちは」
よそわれたジンギスカンのタレは、香辛料たっぷりの贅沢な味だ。これが食事を楽しむための味なら、明日からの食事は確かに戦うための栄養補給だろう。
羊肉を噛み、蒸留酒を飲む。酔いつぶれてもいい。ジェイクにもワーグにも、今日は腹いっぱい飲んで貰う予定だ。
昼前にはワーグが、昼過ぎにはジェイクが潰れた。これを見越して今日はうちに泊まる予定だったので、それぞれの部屋に放り込む。
「ありがと。カイトも酔ってるでしょ。もう休む?」
「もうちっと飲む」
「はいはい。程々にするのよ」
マレーヌ西への遠征からこっち、気苦労も絶えなかった。壷の酒が濁るように、体には疲労が溜まっているのかもしれない。
明日からは海戦演習。それが終われば、マレーヌ陸軍を門外に出して魔獣を狩る。教導隊兼護衛に印持ちを六小隊帯同するが、それでも死者は出るかもしれない。そう思うと、まだ飲んでいたかった。
「・・・なんだ。そうか」
「どうしたの?」
「俺は、怖がってるらしい。笑えるな」
「陸軍の演習?」
「ああ。多分な」
「そう。でも大丈夫よ。グノーツさん推薦の印持ちから、三十六人を選び抜いたんでしょう。きっと何事もなく終わるわ」
「だといいな。そしたら天秤神の国だ」
「先は長いの。だからもう休みましょう。ウイトもファルとお昼寝してるわ。ほら、フウリがソワソワしてるじゃない。寝室に行きましょう」
「ソワソワなどしておらぬ。ただ、今日くらいカイトにはゆっくり休んで欲しいのじゃ」
俺は、恵まれている。なら苦しみは甘んじて受けろ。それが嫌なら、すべてを捨てて庵でも結べばいい。
「そうだな。寝るか」
「それが良いのじゃ。歩けるのかの?」
「当たり前だ。まだ飲めるぞ」
そう言ったと思ったら、ベッドの中だった。ファルの声がする。
「まさか、朝なのか?」
「ええ。もう出発する時間ですよ。カイト様の準備が出来次第、家を出ますからね」
「わかった。すぐ行く」
「お願いしますね」
のろのろ立ち上がって箪笥を開けると、今日着る軍服だけが入っていた。他は空間魔法の中だろう。軍服を着込み脇差しと大刀を腰に差すと、ようやくスッキリした気分になった。
「すまねえ。待たせた!」
「やっときた。はいこれ、おむすび。お茶で流し込んで。食べたら行くよ」
「ああ。まるで夜更かしした中学生だな」
ジェイクとワーグが笑っている。中学生の意味を知ってんのかよ。
「中学生ってのはな・・・」
「いいから早く食うのじゃ!」
「オカンがいっぱいいて困るな」
「何か言いましたか?」
「嫁が美人で困る」
「そうじゃろうそうじゃろう。さあ、行くのじゃ」
玄関を出ると、大神官と馬車が待っていた。見送りだろうか、人垣も見える。
大神官達に挨拶して馬車に乗っただけで、嵐のような歓声に包まれた。馬車が行く先々でそれだ。気を良くした三人が手を振ったりしたなら、歓声は更に大きくなる。
北斗号と、埠頭に整列する軍人達が見えた。
「死ぬんじゃねえぞ、お前ら」
「死なせないわよ」
「聞こえてたんか。恥ずかしいだろうが」
北斗号のマスト。旗が風に揺れている。イーハの旗だ。白地に染め抜いた三神殿の紋章。
ガラにもなく、神に祈った。




