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海風の声17




「総員、神子様に敬礼っ!」


 見事な敬礼に、敬礼を返す。眼差しも立ち姿もいい。男も女も関係なく、軍人としての覚悟があるのだろう。


「まず、楽にしてくれ」

「休めっ!」

「これは、公式な視察ではない。意味がわかる奴はいるか?」


 一同を見渡す。口を開く者はいない。


「つまり、同郷人が毎日訓練ばかりで疲れているだろうから、宿舎の食堂を借りて酒と料理をたんまり用意したって事だ。俺はもう帰る。ああ、マレーヌ海軍の船乗り達にも、同じものを用意してきたからな。遠慮なく楽しめばいい。無礼講だ。好きにやってくれ」


 それだけ言って食堂を出ようとすると、揃った大声で礼を言われた。後ろ手で手を振る。

 赤い冬季軍服のコートをきっちりと着込んでから、扉を開けて雪道に出た。手袋まで赤だ。冬の初めにはあまりにも派手すぎて着るのをためらったが、こうも寒ければもう手放せない。士官用の礼装なので、耳当てがないのが不満だ。

 隣の宿舎の軒先でフウリを待つ。煙草が吸いたいのを我慢できなくなる前に、もこもこに着膨れたフウリが出てきた。鍛冶場は暑いので冬は嫌いではないが、外出となると話は違うらしい。


「待たせたかのう?」

「いや、今来たトコだ」

「そうか。では行くのじゃ」


 自然に腕を絡めてくる。身長差があるので、はたから見れば仲の良い兄妹だろう。これから向かう未成年お断りの場所には不向きな二人連れだ。


「ふふっ。やはり良いものじゃのう」

「喜んでくれたなら何よりだ。海軍の連中に引き止められなかったか?」

「一杯だけ付き合えと、さんざん言われたがのう。振り払ってきたのじゃ」


 船乗り達もかわいそうに。マレーヌの民のフウリへの親愛度は、俺から見ても最上級だ。誰もがこの愛らしい神子を慈しみ、あれこれと世話を焼く。その神子が春にはまた旅立つのだから、一杯といわず飲み明かしたいくらいだろうに。

 小雪の舞う夜道を歩くと、さくさくと音がする。翌朝まで降るには降るが、除雪が必要なほどには積もらないらしい。この雪も、じきに止むのだろう。


「ここじゃ」

「では姫様、どうぞ」


 扉を開けて、レディーファーストを気取ってみる。姫様はそれがお気に召したようで、花が咲くような笑顔を見せた。冷えた空気が迷惑にならないように、俺もすぐフウリに続く。


「いらっしゃいませ」

「じゃまをする。二人じゃ」

「お好きな席にどうぞ」


 カウンターだけの店にしては広すぎる間取り。他に客はいない。カウンターの真ん中にフウリが座る。俺は一つ入り口側だ。マレーヌにフウリを襲うバカがいるとも思えないが、油断をするつもりはない。

 初老のバーテンが微笑む。異世界にそんな呼称があるはずもないが、カウンターの中に立つのはまるで映画から抜け出てきたような渋いバーテンだ。


「酒は任せる。ツマミは軽いものじゃ」

「一種類にこだわらないのであれば、発泡葡萄酒からお出ししたいと思います」

「それで良い」


 葡萄酒の炭酸水割りではないのだろうか。地球のスパークリングワインと同じなら、容器の中で二次発酵させるか、容器に葡萄酒を入れてから炭酸ガスを注入して密封するはずだ。科学とは無縁のこの世界で、そんな事が可能だというのか。

 バーテンが取り出したのは、魔獣も屠れそうなナイフだった。研ぎ上げてはあるが、油を塗ってはいないらしい。輝きを見れば、それはわかる。

 小型の木樽に、そのナイフを打ち下ろした。炭酸の抜ける音が鳴る。

 いい腕だ。斜めにしっかり刃が通ったのに、木屑の欠片も飛ばない。もう一度、振り下ろす。V字に切り込みを入れられた樽から、洒落た木杯に酒が注がれた。


「どうぞ」


 二人で木杯を掲げ、口をつけた。香りの良さにまず気が行くが、なによりも酸味が素晴らしい。ドイツのパールワインに似ているが、それとは違うようだ。


「うまいな」

「うむ。発泡葡萄酒は、すべての作業に複雑で繊細な技術が必要での。これほどの物は滅多に飲めぬはずじゃ」


 小皿で木の実と小魚の燻製が出される。灰皿と蝋燭もだ。煙管を使いながら、フウリが本題を切り出すのを待つ。倦怠期の夫婦でもあるまいし、理由もなく高級な酒を飲みにきた訳でもないだろう。


「カイト、この男をどう見る?」

「店も自分の身なりも磨き上げて、うまい酒を出す。当たり前の心構えのようでいて、実際にそれを出来る人は少ない。人の心の動きを想像して、理想に近づけていくんだな。腕も頭もいいんだろう。戦える文官にしても、頭の切れる武官にしてもな」

「そうか。ザクスン、武神の神子がこうまで評したぞ?」

「・・・恐れ多い事でございます」

「イーハとマレーヌを一つにするとしてじゃ、今が一番大事な時期とは思わぬか」

「そうくるか。千年以上かかるぞ」

「何千年かけようと、成し遂げれねばならぬ」


 ザクスンと呼ばれたバーテンが距離を取ろうと動く。


「逃げるでない、ザクスン」

「わたくし如きが、聞いて良い話ではございますまい」

「そうもいかんのじゃ。政治所も軍も、能天気が過ぎる。千年の大計の一歩目に、そなたは欠かせぬ」

「浅学非才の身でございます、毛ほどもお役には立ちません」

「本音で話すのじゃ、ザクスン」

「偽らざる本音でございます」


 フウリにはわからない感情か。人の役に立てるなら、誰もが行動するべきだ。本気でそう思っているかもしれない。二千年を生きても、純粋な少女のままなのだ。


「フウリ。利口な奴は、世に出ない。それが世の理だ」

「なぜじゃ。知恵も力も、個人が墓まで持って行くのが当然だとでも言うつもりか?」

「受けた教育の分は、税を納めて生きてチャラ。後は自由だろ。恥を知る男に、あまり無理を言うもんじゃねえよ」

「何が恥じゃ。そんなものは魔獣の餌にくれてやれば良いのじゃ。だいたい、必要とされてそれに応えぬ方が恥ではないかっ」

「どんな世界にも、矛盾は満ちてんだ。それを見て見ぬ振りをするのが恥と思うなら、そいつは世に出るべきじゃねえ。そっとしといてやれ」

「矛盾なら正せば良いのじゃ!」

「へぇ。なら能天気な政治所と軍の上層部を追い出して、後釜がいねえまま大計とやらを進めるか?」

「そ、そんな必要はないのじゃ。ザクスンが導いていけば良い」

「考えない人間に、考える人間が話して伝わる訳がねえ。考える人間だから、考えない人間を導く? 考えない人間を、操り人形にしてか?」


 フウリが黙り込む。ただ、これに関してはきちんと説明しなければならない。なあなあで終わらせるには、酷く危険な話題だ。


「酒の味を、皆が同じく感じてはいねえ。それでも自分が一番うまいと思う酒だけを仕入れ、どんな舌かもわからねえ客を待つ。長い髪や整髪料を付けた人間に酒を出されても、不潔だと思わない人もいる。それでも髪が木杯に落ちる可能性を減らし、整髪料が手に付いて木杯に臭いが移らぬように、髪を短く整えて客前に立つ。万事が万事そんな風に考えて動く人間が今のマレーヌの政治所なり軍なりに行ったら、どれだけ我慢しなけりゃならねえんだ。毎日毎日、自分の考えを噛み砕いて話して聞かせるのか。誰も考えてくれない事を、たった一人で考えながら」


 立ち上がったフウリが二歩下がる。真剣な表情だ。


「それでも、頼まねばならぬ。この通りじゃ」


 土下座。神子の土下座などそうは見れまい。だが、ザクスンさんは慌てるでもない。


「イーハの三神殿による合議制は見事なものじゃ。我が国はそれに劣る。鍛冶神殿は政治には向かぬし、天秤神殿の大神官一人ではなにも出来ぬ。このままでは、イーハにばかり負担をかけてしまう。だがザクスンが主導すれば、我が国にもやれる事は多い。頼む。頼むのじゃ・・・」

「フウリ様に頼まれ事をされるのは、何度目ですかな」

「政治所を去らぬで欲しいと頼んだ。イーハに赴く前に、この国を預かってくれと頼んだ。これが、三度目じゃ」

「一つだけ、心に決めていた事がございます。・・・次にフウリ様に頼られたなら、例えそれがどんなに困難な事であろうと頷こうと」

「ではっ!」


 言葉の通り、ザクスンさんが深く頷いた。



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