一宿一飯の恩36
夏空の下を、一人で歩く。
朝ファルがとても起きられる状態ではなかったので、代わりにサクラがウイトと神殿の書庫に行っている。フウリは鍛冶場まで、俺とウイトが送って行った。
家にいるとファルが気を使って寝られないからと、朝食後すぐサクラに追い出された。加減したのに煽ったのはファルなのだから、俺は悪くない。ちょっとしか、悪くない。
中央広場を過ぎてそれなりの時間歩いたが、目的地が見つからない。ほんの思いつきで目指した目的地だが、こうも見つからないと意地になってくる。
「こんにちは、神子様。こんな場所で立ち止まってどうしたのです?」
振り返ると、調達者の顔役であるグノーツさんだった。剣は佩いているが、槍は持っていない。休日なのだろう。注意して見れば、服も布の生地だ。
「こんにちは、グノーツさん。いやあ、暇になったので川辺で涼もうかと思いましたが、川が見つけられなくて。東門寄りと聞いたんですけどね」
「なるほど。川なら丁度この辺りの地下を流れてますよ。次の角を北か南に向かえば、地表を流れる川が見られます」
地下かよ。この辺りの下水はどうしてんだ。考えるのも怖い。
「ありがとうございます。せっかくなんで、北に折れて川まで行ってみます」
「よろしければ、ご一緒させてもらえませんか? 独り者なので、休日は暇で暇で」
独身とは、連れ合いを亡くしたのか。精霊が男を選ぶ基準は知らないが、見た感じグノーツさんは売れ残る事などなさそうだ。
「付き合ってくれるなら是非。グノーツさん、酒はやるんですか?」
「やりますが、この時間からですか。失礼ながら、神子様はもっとお堅い方だと思ってましたよ」
「野郎二人が、川まで出かけて涼もうってんです。武神だって、酒壷ぶら下げて行きますよ」
「まったくですなあ。なら、この季節は川原に屋台が出ております。酒もツマミも出しますから、行きましょうか」
屈託なく笑うグノーツさんと、並んで歩き出す。
「ところで、神子様って呼び方だけは、勘弁してもらえませんか。屋台で飲むのに、周りから珍獣扱いされたら、せっかくの酒が不味くなります」
「でしたらジェイクにならって、カイト殿と呼ばせていただきますか」
「もう一声。敬語もなしにしませんか?」
「譲れませんねえ。なに、敬語くらいなら目立ちませんよ」
たいした距離も歩かず、水の匂いが風に乗ってきた。それだけで、少し暑さが和らいだ気がする。
川原はそれなりだが、川幅は思っていたよりもない。ぽつぽつと屋台が見えるが、どの屋台の席にも客がいる。娯楽のないこの世界では、川原で涼みながら飲み食いをする事が夏の風物詩なのかもしれない。
「川原に下りましょう。昔馴染みが調達者を引退して、屋台を出しています。仕入れている酒も悪くありませんが、なんといってもツマミが旨いので」
「楽しみです」
酒もツマミも、旨い方がいいに決まっている。
案内されたのは、テーブルが五卓と比較的大きな屋台だ。迷う事無く、一つだけやけに離れたテーブルに向かう。
「このテーブルです。この木製の器が剣入れですよ。川原に打ち込んだ杭と繋がってますから、剣を五振り入れても倒れません」
言いながらグノーツさんが剣を入れたのは、細身のゴミ箱のような木の箱だ。俺もそれに刀を入れ、席に着く。やはり少しだけ涼しい。
テーブルの真ん中に木製のメニューらしき物があるが、あいにく俺は文字が読めない。本が読みたくて覚えようとはしたが、表音文字のみだったのでやめた。ローマ字で書かれた本を読みたいと思うほど活字に飢えたら、その時に覚えたらいいだけの事だ。
「グノーツじゃないか。朝っぱらから酒とは、いいご身分だねえ」
「ラナ、せめて挨拶してから憎まれ口を叩け。酒は何にしますか、カイト殿」
これはまた、凄みのある美人さんだ。極妻美人だな。鮮やかな長く青い髪が片目を隠しているが、料理人ではなく飲み屋の女なら、それも魅力の一つになるのだろう。
「まだ陽が高いので、ビールを。ツマミはグノーツさんに任せます」
「神子様にさん付けで呼ばせるとか、印持ちの風上にも置けない男だねえ、あんたは」
十秒で神子ってバレたぞ、おい。
「お前も挨拶くらいしてから言うんだな。ビールも好みを言えば、それに近いものを出しますよ。ラナは、無駄に空間魔法が使えますからな」
「言ってくれるねえ。無駄についてるその口を縫い合わせてやろうか」
「縫われたら酒も飲めんじゃないか。売り上げが減るぞ?」
「ふん。調達なんてちんけな仕事で、あたしの店が支えられると思うんじゃないよ。せめて城主にでもなってから出直してきな」
すんません。あんたらがじゃれてるから、好みを言う間もないんですけど。
「いいからカイト殿の好みを聞いて、早く持って来い。ツマミはいつものを二人前だ」
「で、神子様はどんなビールをお望みで?」
「神子様と呼ぶのやめてもらうのと敬語もなし。酒は酸味が少なく苦味の強いビールを。ああ、変に風味付けしていないのをお願いします」
注文を聞いて驚いた素振りを見せたラナさんが、ゆっくりと笑顔を作る。
「わかったよ、カイトちゃん。ちょっとだけ待ってておくれ」
「ラナ、お前・・・」
「うるさい黙れ。カイトちゃんが飲みたいって言ってんだ。あんたが口出しするんじゃないよ」
カイトちゃんでいいとは言ってないんだがなあ。お、ようやく酒を取りに行った。
「すみません、カイト殿。口の悪い奴でして。お許しください」
「いえいえ。それより、注文がまずかったですかね」
「・・・あの注文にぴったりな酒があります。死んだラナの旦那が、それしか飲まなかった酒。俺もその場で妻を亡くしましてね。あれから八年、ラナもその酒は口にしていないはずです」
沈黙を破るようにラナさんと若い女の店員が、ビールの壷と大盆に載せたツマミ、火の点いた蝋燭と灰皿を運んできた。
「おまち。グノーツが頼むツマミはこんな簡単なもんだけど、大丈夫かい?」
「ええ。ありがとうございます」
「壷を飲みきったら呼んでおくれ。じゃあ、ごゆっくり」
最初の一杯を酌して、ラナさんが戻っていく。
「武神様の加護に」
ジェイク以外の人間がそう言うのをはじめて聞いた。木杯を少し掲げて、俺もビールに口をつける。苦い。それが、旨い。
グノーツさんは、この苦さだけを噛み締めているのだろうか。
「苦い。・・・でも、それが旨い」
目を閉じたままそう呟くグノーツさんを見ながら、煙草に火を点ける。
「俺は一杯飲んだら帰りますから、ラナさんにも飲んでもらってください」
「ラナは、これを飲むでしょうか・・・」
「旨いから飲めと、俺となら飲めるだろうと、言ってやればいいんですよ」
木杯の中を見つめる目が、瞬きもしない。この人は、ジェイクより眼球が動かないのか。よく小刻みに眼球が動く男がいるが、本能的にそんな男は信用できないと決めつけている。地球ではわからなかったが、これが武人の目なのかも知れない。
「ラナの旦那が魔獣に食われた時、身代わりになろうと走りましたが、間に合いませんでした。妻はラナを庇って、食われました」
返事が欲しいのではないと思う。それでも、口を開きかけている自分がいる。
「俺の故郷には、精霊がいねえんです」
煙を吐くと、視線が合った。
「女が抱いて欲しいと泣く前に、抱いてやるのが男だ。ガキの頃に、そう教わりましたよ」
返事を聞かずに、席を立つ。
笑顔のラナさんに勘定を払い、グノーツさんが呼んでいると告げた。
帰ったら、ファルの隣にもぐりこんで昼寝でもしようか。




