一宿一飯の恩24
弓懸はない。
一間、止める。
離し、放つ。
「お見事っ」
研いだタガネをそのまま鏃にしたような特注の矢を受けて、化け物じみた大きさの鼠が倒れた。
上半身が破裂したように血肉が飛び散っている。これならいい餌になるだろう。なにせ、ウイトより大きな鼠だ。
「三十三間離れてる?」
「目測で百五十メートルってトコだとは思うけどな、正確な距離はわかんね」
「そろそろ扇の魔獣が出て来ないかしら」
「それ魔獣じゃなくて妖怪な」
那須与一をやらせたいんだろうが、魔獣だけでも面倒なのに妖怪まで出て来てたまるか。
「それにしても、暑いわねぇ」
季節は夏。暑い盛りだ。
上着の胸元をパタパタさせて風を送るサクラから視線を逸らす。
俺達がこの世界に来て三ヶ月。サクラにもファルにも手を出してはいない。さすがに二十五にもなって自分で処理するのも哀しいので、我慢に我慢を重ねている。
「慎みを持て。はしたねえぞ」
「あらぁ、あらあらぁ。もしかして、欲情しちゃった?」
「まだまだ余裕の禁欲生活。谷間ぐれえで何とかなると思うんじゃねえよ」
「さすがはオシリスキーね。ファルに念話して紐パン届けてもらおうかしら」
「ウイトが熱中症んなるっての。頼むからやめれ。それより、もう少し下がるぞ」
「おっけー」
いーち、にーい、と気の抜ける声でサクラが歩数を数える。
「ジェイクとペルデさんは上手くやってんのかねえ」
「んー。議題にもよるけど、問題ないんじゃないかな。都市の存続に関わる重大な会議なら、私達にも声がかかるだろうし。何も言われてないから、多分大丈夫よ。ひゃーくっ」
「まあ、夜には顔出すらしいから、ここで心配してても意味ねえか」
「そうよ。っと、何か来た。うえっ、何これきもちわるっ」
「ついにモンスターっぽい魔獣が来たか?」
「ビミョー。熊っぽいけど、おじいちゃんっぽい。ついでに一匹しかいない。鼠の死体まで二百メートル」
意味わからん。
「はぐれの可能性があるのはわかったが、おじいちゃんぽいて何だよ。老いた熊の魔獣なのか?」
「違うの。一言で言うと、キモイ。んー、だらしない熊?」
「小さいのか?」
「んーん。でっかいわよ。ジェイクさんよりかなりでっかい」
「熊型。はぐれ。うちの熊よりでかい、か。逃げる準備しとくか」
「すっごい弱そうだよ?」
「弱そうな熊って何だよ。ナマケグマかマレーグマか?」
「わかんないって。どっちも名前すら聞いた事ない」
「顔が犬っぽくないか?体毛は長い短い?」
「言われてみれば、犬とかタヌキみたいな顔かも。毛は長くないわね」
「マレーグマかもな。それなら雑食だが、あまり人を襲ったりはしないか。てか、マレーグマがいるのは良くて亜熱帯じゃねえのか。こないだ梅雨来てたよな?」
「ここ、地球じゃないんだよ?」
「地球じゃないにしても、気候や自然現象は変わんねえだろ。ってあー、なるほど。人に獣耳。巨大野生動物。きっちり存在が確認されている神とその恩寵。普通に生活してっから忘れがちんなるが、元から異常な世界だったなあここ」
「でしょ。でも、魔獣が魔素を体内に取り込んで強く大きくなった動物だとしたら、人間の耳が変化したのも魔素の影響なのかな。熊、鼠まで五十メートル」
「翼のある人までいるが、寄り添う精霊がいねえと魔法は使えず、魔獣みてえに丈夫だって話も聞かねえから関係ねえんじゃね。しかしなんで、魔獣の姿は地球の動物に似てんだか。ホント、わかんねえ事だらけだ。知識の神とその印持ちはいねえのか?」
「聞いた事はないわね。ここでは印は魔獣を狩れる証拠、みたいな認識だから。鍛冶神の神子がいる国じゃ、鍛冶の印持ちがいてそれが名工である証拠になるのかな。熊、森から顔を出すわよ」
遠くに見える巨体。体長のわりに横幅が狭いため、背の高い細身のアンバランスな熊。マレーグマにしか見えない。
「魔マレーグマだな。どうする、狩るか?」
「ママレーグマ、言いにくいわよ。魔素を取り込んだ獣はどれ食べても美味しいらしいし、万が一他の調達者さんが襲われたら嫌よね。狩りましょ。って、鼠食べたら座り込んじゃったよママレーグマ!」
「間抜けな感じに座るんだよな。カップ酒とスルメ持たしてみたい」
「似合い過ぎて怖いわ。えっ。まだ匂いも音も流してないのにこっち気付いた。明らかに私達狙って走って来るよ!?」
「鼻が利くんだろ。風の槍で脳ミソ潰したれ」
「了解。足速いねえ。よし、サクラ行っきまーす」
四足で走る熊の目から血が飛ぶ。止まらない。ウザそうに頭を一度振り、さらにスピードを上げた。
「目は潰せたけどそれ以上魔法が通らない、ヤバイどうしよ!?」
「落ち着いて下がれ。俺が走る。接触前に岩出して激突させろ。弓を頼む」
「はいっ」
弓を投げ刀を抜いて、収納魔法で回収されたであろう弓も見ずに駆け出す。
近い。熊より大きな岩が突然現れる。
まるで交通事故のような音を聞きながら、岩の後ろへ斜めに駆け込む。
熊が吠える。
二本の足で立つ熊。二メートル超。
刀は二メートル先を斬る武器ではない。左足を踏ん張りながら、膝裏を狙う。
刃が入る。これなら、断ち斬れる。
風の音。うなじの毛が逆立つ。
飛べ。後ろ。出来なければ死だ。飛べ!
鼻先に、短い曲剣のような爪が迫る。
鋭い。風が衝撃波になり鼻を叩く。かわしきった。遅れて来た熊の体臭に顔を顰める。
(深さ一メートルの穴を掘って熊を落とすわ。意味がないならスルーして。別のフォローを考える。三数えて穴ね)
じりじりと熊との距離を取る。あの速さで爪が振られるなら、駆け抜けながら斬るしかない。
脇構え。慣れない構えに惑うな。斬る。斬れる。
(三、二、一、今ッ!)
地に沈む熊。
息を止め、走る。
薙ぐ。そのための脇構え。爪より速く。抜けた。
血流に押された首が高く舞う。
残心。死を覚悟した恐怖、それを撥ね退けた愉悦。その後に来る安堵。殺しを楽しむようにはなるなと自分に言い聞かせてから、ゆっくりと納刀する。
「大丈夫っ!?」
走って来たサクラがぺたぺたさわって怪我がないか確認する。こいつも足速いんだよなあ。
「大丈夫だから、尻を撫でんな尻を」
「怪我がないか確かめてるのよ!」
怪我の確認で尻の筋肉を揉む必要はない。
お前さん、気付いてないんだろうけど鼻息が荒くなってんですけど。ママレーグマかよ。
「ぐへへへへ・・・」




