一宿一飯の恩13
歩み足、二つ。
動かない。
正眼を、僅かに崩す。魔獣に嗤われた気がした。「一期一会の勝負に、小細工を弄するか」声はない。
下段。何年ぶりの構えだろう。
冬の朝、聞こえるはずのないほど遠い町の音を聞いた。目を開けて月を見た。月にかかる雲を見た。こんな月を、雲を俺は知らない。世界に俺が、溶けてしまう。あの朝の心持、その数段先に俺はいるのか。神よ、あなたがこれを与えたならば、今すぐに手放そう。これは、俺が心の底から求め、俺が苦しみの果てにこの手で掴むべきもの。簡単に与えるなんて、誰にも許しはしない。
来い。
与えられたなら、手放した。俺を喰らえ。
掴んだのなら、放さない。喰らうのは俺だ。
予備動作はない。牙。風より速い。顎。下段から跳ね上げた刃が、奴の頬を裂く。刃筋を立てろ。腱に骨に怯むな。押すのではない。引くのでもない。刃筋崩さずいればいい。
開き足、右前。
肘をたたみ、腿まで断ち斬る。
自ら跳んだ強さで、地面にぶち当たった。
致命傷だろうに、奴は立ち上がる。
よろけるな。ふらつくな。そうだ。お前はそう立つべきだ。
胸を張るように四つ足で地を踏みしめる。
名を知りたい。そして呼びたい。
友達になれないか。なれない訳がない。
そしてもう一度、戦いたい。
奴が、満足そうに笑った気がした。
「サクラ。奴の蚤や汚れを飛ばせないか?」
奴の骸を見つめながら言う。泣くのを堪える子供みたいな声だ。
「はい、これでいいわ。綺麗な狼ね」
「強かった。ダチになりたかったよ」
「友達でしょ。雄々しい最後の時に、お互いそんな目をしてた」
「なら嬉しいな。肉を拳一つくらい取る。ジェイクさん、街に持ち込む前の処理はどうすれば?」
「埋葬して塚を築くなら、武神殿が責任を持って引き受けるが」
「必要ないですよ。生きる事と死ぬ事の意味を、奴は知ってた」
毛皮に傷をつけないように、刀で肉を切り取る。
刀身を陽に翳して見る。曲がりも欠けもなく、汚れや曇りも無い。
地面に平行に差した鞘を抜き取る。刀身を納め、剣帯に斜めに縫い付けてある太い革に鞘を通せば、一本差しの三下が完成だ。
「大型の魔獣は、空間魔法の使い手がいれば内臓ごと持ち帰る」
俺を見つめるサクラに頷く。純白の大狼が音も無く消える。
「その切り取った肉も入れとくね」
「頼む。ジェイクさん、街に帰ったら、肉を一欠片と酒一杯だけ付き合いませんか?」
「なんと、某に一杯だけとは何のイジメか。せめて壷一つ」
拝むような仕草でおどける。
「ぱぁぱー」
「なんだ起きてたのか、ウイト」
「はい。カイト様が結界から出て、刀を抜いた時に起きました。ひと時も目を逸らさず、すべてを見ていましたよ」
「教育上、良いんだか悪いんだか」
「ぱぁぱっ!」
いつになく強い呼び方に、驚いてそばに寄り視線を合わせる。
「どした、ウイト?」
小さな手が伸びて、俺の頭を撫でた。
何度も、何度も。優しく撫でた。




