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夢中  作者: ツノウサギ
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 〈 □月■日 〉




 ブーッ、ブーッ、とスマホは未だ鳴っている。だいたい八コール目だ。

 いい加減出ねばなるまいと、決意を固めた。


 弁当をいったん閉じて箸をしまうと、液晶に指を置いて、すいーっと左から右へ。


「はい梨歩」


 私が言うと、電話の向こうから母の気配がした。「あっ、やっと出たー」と、母は普段どおりの声で言った。甲高い、キンキンした声である。


「あんた今昼休みでしょ? すぐ出てちょうだいよ」

「昼休みだからってすぐ出れると思わないで」


 何よ、デスクワーク族のくせして。母は少し機嫌悪く言った。向こうで母が眉間に皺を刻んでいる様子がありありと浮かんでくる。


「あたしと違ってあんたはパソコンと向かい合ってるだけでしょお? こっちは立ち仕事で疲れてるのにわざわざかけてるんだから少しくらい」

「はいはい、ごめんなさい」


 母はスーパーのパートである。それ以前は専業主婦だった。

 彼女は大きく溜め息を零すと、まるで空気が変わったとでも思っているように、


「最近仕事はどうなの?」と話を切り出した。


「どうって」


 五十も半ばを差し掛かっておいて相変わらず子どもじみた会話をするものだ、と思う。母という女は、いくらでも答えのある問いが質問として成り立つと思っているのだ。


「まぁ、順調よ」


 私がそう言うと、母の声色が一段階上がった。


「そうでしょうそうでしょう? やっぱり人事部に入って良かったじゃないの、あたしの言ったとおり!」

「そうだね」


 私の就活のときに母がしきりに人事部を進めてきたのは、雇用の安定性とかが理由だったような気がするが、あんまり覚えてはいない。

 母は随分とでしゃばりで、高校・大学・仕事と人生の分岐点において必ず口を出してきた。まぁ、それが親というものなのか。


「お母さん、そろそろ切っていい?」


 グミを一粒つまみ、口に入れる。レモン味──当たりだ。


「えぇー、なんでよぉ」

「昼休みの間に調べちゃいたいことがあるの」

「へぇ、母との電話より大事な調べ物ですかー」


 むくれたように母が吐き捨てる。

 母のこういうところが苦手なのだ。自分可愛さでの行動を、まるで他人のためにやっているみたいに振る舞うところが。


「彼氏との旅行先を決めちゃいたいんだ。今度のGW中にどこか行こうって話になってて。私から提案したから、私が行き先決めないといけないの」


 ええ!? と母の絶叫がスピーカーから漏れ出る。漏れ出るというより噴き出している。うるさい。


「えっ、あんた彼氏なんていたの!?」

「うん」

「いつからいつから!? 言ってよお!」

「えっと、去年の冬からだね」

「あらあら、まあまあ」


 ため息をつくような母の口調は、どこか浮ついていた。推しのアイドルのコンサートチケットが当たったときのそれと似ている。

「そういうことならしょうがないわね。今度紹介しなさいよ!」と私に言ったのち、彼女のほうから電話が切れた。


 ずっと詰まっていた私の息が吐き出され、ビル街に吹き込んだ風と混ざり合う。どこからか桜の花びらが舞っていた。


 グミをまた一粒。適当に取り出したから青りんご味を引いてしまった。スマホから検索ツールを開くと検索履歴が目に入る。かつてのネガティブ感情をたっぷり詰めた履歴から、各地の観光名所を羅列したものへと変化している。

 まるで私の死の歴史の縮図のように思えて、つい頬が綻んでしまった。


 さっ、気を取り直そうじゃないか。『葉桜 名所』と検索である。次の死に場所を探すべく!




 〈 ◆月◇日 〉




 葉桜の匂いは案外甘いということを初めて知った。

 夏をちょっぴり含んだ風が柔らかに、私と中野くんの間を滑っていく。


「中野くんは桜餅の葉っぱ食べる派?」


 レジャーシートに二人して座りながら私は訊いた。パックから取り出した桜餅を葉っぱごと一口齧る。

「見てのとおり私は食べる派ですが」と言いつつ、内心ではこれ粒餡かよと吐き捨てた。


「そうですね……」


 中野くんはパックに手を伸ばして桜餅を一つ取り、おもむろに齧った。餅と、それを包んだ葉っぱに歯形が残る。


「今まで食べない派でしたけど、葉を一緒に食べるのも案外悪くないですね。また違った味がして」


 口角をわずかに上げ、まるで自然にそう言って中野くんは二口目に臨んだ。それを見て、自然になっちゃったかぁー、と残念に思う私がいた。かつての彼の、不器用に誠実な感じが面白かったのに。

 まあ、年末からデートはおろか旅行は何回もしたし、酒に呑まれてキスもしたし、ベッドを共にしたこともあるし……。うん、私が育てました。


 中野くんと私、二人して桜餅を平らげた。私は歯の裏に張り付いてしまった小豆の皮を流そうと、お茶を口に含む。


「中野くん、あっち見に行こー」

「ん」


 中野くんが桜餅の二個残ったパックを輪ゴムで留め、置いてあったリュックの中にしまった。彼は立ち上がるとナチュラルに私の手を取る。自然だぁ。

 昔は不器用で堅物で予想のつかない行動を取ってくれていたのに、随分と安上がりな男になったものだ、と思う。


 私のショルダーバッグと中野くんのリュックは、レジャーシートの上に鎮座したまま。


「リュックやら置きっぱなしで大丈夫かな」

「人もそれなりにいますし、盗られたりはしないでしょう」


 そっか、と私は空返事し、歩きながら葉桜を眺める。

 散り遅れた花と生い茂る若葉が、まるで桜餅みたいな色合いで風に揺れていた。


 その影で空中で花びらが触れ合うように一瞬に、唇が交わされた。




 〈 ◆月☆日 〉




 やはりあんこはこし餡に限る、と桜餅を食べながら思った。ちなみにこし餡の次に好きなのは白餡である。


 旅行先を舞台にした夢は旅行から数日空けて見るようにしている。理由は単純で、そのほうが記憶がほんのりぼやけて、土の臭さだとか毛虫だとかの悪印象を夢にまで持ってこないからだ。あ待って毛虫とか考えるな、うわぁ毛虫!!

 桜餅の葉っぱを剥がして毛虫をそっと封印。ん、桜餅おいしい。


 桜餅を呑み干し、レジャーシートにごろんと寝転がる。そのままゆっくり、空の青さや空にかかる葉桜やその匂いなんかに身を委ねる。

 花は嫌いじゃない。自分の名前が誕生花に由来しているということもあって、こどもの頃から割と関心は高かった。GWのデートで葉桜を見たいと言ったのも私のほうだ。


 ふと鼻に花弁が一雫落ちたのをきっかけに、鼻歌を口ずさみながら美容専門クリニックのCMを真似してごろごろ転がってみた。幸い地面は天然の芝生で覆われているので痛みはなく、青とピンクと緑が何度も入れ替わっていく視界に集中できる。

 次いで、花びらと葉がたっぷり積まれた山の中にダイブしてみた。

 最後に、木に登って上から葉桜を堪能する。


 いつの間にか、現実で「やりたいなぁ」と思ったことを消化するように夢の中を過ごすのが日課になってきている。いわゆる未練のない(・・・・・)状態のほうがすっきり死ねる気がするし、何より楽しい。


 ふと右のほうを見上げると、葉桜の隙間から西日が顔を覗かせている。もういい時間になってしまった。


 ちょっと名残惜しい気持ちはあるけど、そろそろ死ぬかな。


 もうGWは終わってしまったし、仕事もそこそこに溜まっているのだ。いつまでも休日気分ではいられない。

 木から飛び降りて、置きっぱなしだったバスケットから毒を数錠取り出して口に入れる。赤白のカプセルで包まれた如何にもなやつである。

 お茶でしっかり流し込んだら、レジャーシートの上で思いっきり寝転んだ。


 ゆっくりゆっくり霞んでいく視界と裏腹に、いつまでも葉桜の香りが花を咲かせていた。



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