②
〈 12月6日 〉
件の夢を初めて見たのは、同僚の男と居酒屋に行き、ビル街に風が吹くみたいな自然さで告白を受けた日の夜だった。
告白というより、付き合いの申し出を受けた、というほうが簡素であのときらしい表現かもしれない。
男はウチの部署きっての堅物というか、恋愛なんて人生を蝕む毒物だ、みたいな思考をしていそうな人間に見えていた。だから察せていても彼は告白とかしてこないだろうと思っていたので、多少驚いたのを覚えている。
とにかく私はいい加減身を固めたほうがいい歳ということもあり告白を了承し、すっかり黒くなった空の下、アパートに帰宅した。
その夜が、あの奇妙な夢との最初の日だった。
いつぞや見た雪国のドキュメンタリーを彷彿とさせるような大吹雪が吹いていた。東京の十一月なのに、である。
加えて異常を覚えた瞬間が、もう一つあった。
夢の中だというのに寒さを覚えてカイロなどを求めたとき、空だったポケットにいつの間にか熱が籠っていたのだ。ポケットを探ってみれば、十分に温まったカイロが一つ。
信じられないままに頬に手を伸ばしてつねってみると、膜でも張っているかのように痛みが鈍かった。ほぼゼロに等しかったと思う。そんな方法で私はそこが夢の中だと確信したのだが、今思うとなんとも捻りのない確認方法だ。
あの夢は、いわゆる明晰夢というやつなのだろう。当人が夢を見ていると自覚できる夢。ある程度コントロールが効く感じの夢。
カチッ。ピューッ。
あ、お湯沸いた。
今日は珍しく早起きしてしまった。休日の朝五時起きなど、よほど勤勉な学生や高齢者でもない限りはしようとは思わない。
いつもなら、夢の中での時間はホールケーキを大事に貪るように味わい尽くすのだが、今日はウェ縄完成しちゃったよ事件なども相まって早起きしてしまった。
夢の中での時間は現実の時間とだいたい同じ流れ方をするのだ。一ヶ月も付き合えばそれくらいは分かろう。
つまり、既製品を引き裂いて縄にするというド面倒行為に及んだのは、現実のことは一旦忘れて夢の中でぐーたらしてやるぞー! という決意の表れでもあったわけである。今日は休日なのだから。
コーヒーを淹れると香ばしい湯気が立ち、眼鏡のレンズが白く曇って湿る。
世の人事部には申し訳ないが、人事は面倒事こそ多かれ、営業など他の業種に比べれば楽な部類に位置しているのではないかと思う。
売上ノルマ、地方転勤とはまるで無縁で、パソコンの上で指が踊っていれば一日が終わるのだから、派手に疲れることがない。
一応今は年末の最終調整真っ只中であるが、休日に仕事を持ち込まなければならないほど切羽詰まってもいないのだ。
そんなことを考えてる内、私は気付いた。
なんだか、疲れた社会人っぷりがすごい。
いつの間にか、自分の仕事の逃げ道だけを探すようになってしまった気がする。あの人と比べたらこんなに楽、だからまだまだ働けるでしょ?
いつの間にかただの退屈な人事部女の二十八歳になってしまった。だけど、別にどうでもいいな。
今はもう休日の人生で、平日のほうの人生は昨日バスの中に置いてきてしまったのだから。
そんな私であるが、最近はわりと毎日が楽しく思える。終わりよければすべて良し、的な意味合いであることは否定できないが。
この、終わり、とはイコールで死を意味する。一ヶ月前から、私の一日の終わりには必ず死があるのだ。
その死が、案外悪くなかったりする。
最初の夢、猛吹雪の日。私は興奮と混乱が入り交じり、混乱の割合がだいぶ高めの頭を引っ提げて街を巡っていた。
うわぁ、めっちゃ雪積もってる。電車とか止まんないのかな。あ、夢の中だし関係ないか。てか何この夢、すごいリアル。こんなんで脳休まるのかな。
どうせ夢ならと雪だるまなど作っている中で、ふと思った。
いつ覚めるの、これ。
その日は朝に歯医者の予定を入れていた。面倒事はなるたけさっさと済ませたい性分なので、そこそこ早い時間帯にしていたのだ。
で、いつ覚めるの?
待てど暮らせど夢が覚める素振りはなく、出口のようなものも見つからない。おやおや?
ちょっとまずいんじゃないかと思った私は、焦りに掻き立てられて少々乱暴に動き出した。
それがいけなかったのか、雪に覆われた地面によって私はそれは見事に転んだ。芸術点もそれなりにいただけるだろう転倒そのままに、私は雪だるまを押してしまう。
雪だるまの頭が落ちた。事前に(重そー)と思っていた雪製の頭が、私の脳天目掛けて落ちた。
多分だけれど、それによって首の骨が逝って私は死んだ。
目覚めると、机上のスマホが私の起床を待ってけたたましくアラームを鳴らし続けていた。歯医者は間に合わなかった。
その次の夜もまた夢を見て、案の定全然覚めず、勇気をもって身投げしたところ夢は覚めた。
そして私は気づいたのだった。
──この夢、死なないと終わらないんだ。
同時に、なんだか違和感を覚えた。
死んだあと、妙に晴れやかな気持ちだったのだ。
ブーッ、ブーッ。
ふと、ポケットの中のスマホがバイブした。
私は通知音というものが嫌いだ。所構わず声を上げ、あなたに伝えるべきことがありますよー、だからスマホを開いてー! と言われているような気がして癪に障るのだ。だから普段からマナーモードにするようにしている。
コーヒーが淹れ終わったのでカップを手に取り歩き、ソファの横のミニテーブルに置いた。
コーヒーを啜り、なんとなくテレビの電源を入れる。通信販売の番組も久しぶりなら中々見応えがあるな、と私は思った。
顔の濃いタレントがホットプレートについて熱弁している。
スマホを開けば、暗い壁紙の上に、白い通知と文章が浮かんでいた。
中野悠馬と、Aoiというアカウントからのメールだ。アカウント名がフルネーム。この男のこういう遊びのないところが、まさか告白してくるとはと私が思った要因でもあるのだ。
Aoiのほうは母なので黙殺していい。どうせ仕事の調子はどうだの良い人はいないかだの、自分が満足したいだけの質問しか来ていまい。
既読回避アプリのほうから、中野悠馬発のメールの内容を見る。
『おはようございます』
『明日のデートですが、駅前での集合に変更をお願いします』
『集合時間について変更はありません』
『(無料のお辞儀スタンプ)』
めんどくさい男だな。
仮にも恋人に対して最初に思うことがこれである。変更の内容自体に不満はない、ただ朝五時にメールを送ってくるんじゃない。しかもこのトーン、しっかり目が覚めてる感じではないか。
中野悠馬、朝五時起きするタイプの男。私の脳メモにまた一つ、どうでもいい項目が加わった。
私が五時起きするタイプだと思われると後々面倒そうなので、返信は間を空けることにしよう。休日だし、八時くらいに返信すればいいだろう。そう思いスマホの電源を切ろうとした私の目に、5:14という時間が映る。
その下に映る日付。
──あ、そっか。
そうだそうだ、引っかかっていたんだ、ずっと。
一応付き合っているとはいえこの忙しい時期にデートなんて、あの男らしくないと思っていたのだ。
明晰夢を見始めたのは、一ヶ月前。
あの男と付き合い始めてから見るようになった夢。
明日、一ヶ月記念日だわ。
はぁ、なるほど。あの人そういうの大事にするタイプなのか。
面倒だな。そういうの大事にしなさそうというか、いい意味で無関心そうだから付き合ったんだけど。
私にとって、明日のデートはただのお出かけみたいなものだ。ちょっと遠出して、知らない雑貨店などに入って、美味しいご飯を食べるためだけに行くのだ。
あの人もそういうタイプだと思っていたのだが、そういうイベントを反故にすることは嫌なタイプなのだろうか。
私にとってはただの休日なのに、向こうからしたら大事な記念日。違った価値を抱いての一日の共有。それはまるで、土足に家に上がられたみたいな感じがする。
──面倒だな。
うーん…………。
まぁ、いっか。
コーヒーをゴクゴク飲み干して、カップを置く。
暗くなるの、やめよ。
デートは明日だし、今日はなんの予定もないわけでただの休日であるし、朝っぱらからナーバスになるのは良くない。
そうと決まれば気分転換だ。
近くの遊歩道に出て、行ったことのない道を歩いてみようか。住宅街を歩くのは存外楽しいし、鉄棒と滑り台だけの簡素な公園も懐かしさを感じられて悪くない。
帰ってきたら、食パンにバターを乗っけて焼こう。あらかじめ格子状に切り込みを入れておくと、蜂蜜を掛けたときにたっぷり染み込んで美味しいのだ。秘蔵の冷凍バナナも食べようかな。
食べ終わって、洗濯機でも回してしまったら、もう一眠りつくのだ。
死んでリフレッシュである。




