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※この作品は自殺及びそれに準ずる描写を含みます。苦手な方はここで読むのを止めていただきますよう、お願い申し上げます。
〈 12月5日 〉
視点が一つ増えるだけで人生はここまで豊かになるのかと、私はバスを待ちながらにほどほど感心していた。
夜の冷えた空気が刺すように頬に吹きつける。
暖色の光を放つ屋内へと吸い込まれそうになるが、もうすぐ家なのだから、もうすぐ眠れるのだから、と自分に言い聞かせ、なんとか己の脚の手綱を握った。
使い古したマフラーに顔を埋め、なんとなくスマホの検索ツールのアイコンをタップする。ポケットに突っ込んだ手を出さないよう、キーボードを片手モードに変えた。
特に調べるものも決まっておらず、開かれたキーボードを邪魔に思いながら検索履歴を辿る。
ふと、下の方に位置していた『人生 つまらない 対処法』という検索履歴が目に入った。なんだか懐かしく思ってタップすると、見覚えのある、取ってつけたような決まり文句がつらつらと出てきては並べられていく。
休息を取ろう。
新しいことをはじめてみよう。
一人にならないようにしよう。
これまで私はそれを見る度に「それでどうともならないから調べてんだボケ」と心の中で吐き捨てたのだが、数日経った頃にまた調べてしまうというなんとも面倒くさい女っぷりを発揮していた。
きっと私は飢えていたのだ。言葉に、新しい刺激に。
でも最近になって、私に新しい楽しみができた。
毎晩訪れる楽しみだ。
道路の向かい側、夜の街頭に照らされて猫背な影がいくつか見える。その影は手に大きな袋を抱えていて、そこからなにか飛び出させながら、駅の中から歩いてきていた。
袋から飛び出しているのは、恐らくキャラプリントの抱き枕か。視力は高いと自負しているが、暗さゆえになんのキャラかはわからない。
現実にないものに価値を見出して、生産性のない時間を愛する人々。
彼らのような人に対して抱いていた印象に変わりはない。
ただ、かつて唾棄していた彼らに、今は愛情にも似た共感を覚えるようになった。
同じだ。行動が違うだけで、おんなじ根っこを共有しているのだ。
私も彼らもやっていることは、別な人生の謳歌に他ならない。
満員電車に身体が潰されそうになる時間。パソコンのキーボードに指を踊らす時間。上司から安産型の尻だと評価を受ける時間。
そういった時間と、家でゆるゆると過ごしている時間が、同じ人生として地続きになっていていいはずがないのだ。だから私は、職場から出てバスに乗った瞬間からもう一つの人生に移行する。
彼らも同じことをしているだけだ。
それに気付いてからは、嫌いだった人がまるで仲間みたいに思えた。
いつの間にか、猫背な背中が遠くなっていた。丸い背中やお腹と相まって、豆粒みたい、と私は思った。
手でも振りたいような気持ちだったが、周りの人の目という監視カメラの下にあるので、することはない。
ふと、甘辛い匂いがした。
近くの牛丼チェーンから香ってきているそれが食欲をくすぐるが、遠くにバスのシルエットが見えたので意識から逸らす。
今日の夕飯はコンビニの牛丼にしようと思った。
バスが来て、乗り込む。
座席に靴のまま立つ子どもと、それを放置してスマホにかぶりつく母親。
二つある席の片方に紙袋を置き、自分は眠りこけるサラリーマン。
つり革に体重を預けると、視界になにかが引っかかる。
「ん?」
お眠りのサラリーマンに視線をやると、紙袋からなにかハミ出ていた。あれは……ウェディングドレスのカタログだろうか。
うん、良いかも。
今日はあれで死のう。
私はスマホのキーボードに指を踊らせ、ウェディングドレスの画像を検索にかけた。
失敗だったかもしれない。
ウェディングドレスを裂いて細くしながら、私は沸々とそれを感じていた。
誰だ、ウェディングドレスを撚って縄を作ってみようなどと考えたやつは。
私だ。
他ならぬ私が発案者であり実行者なのだから、誰に怒りをぶつけることもできないのが気に障る。
ウェディングドレスはすんなり裂けない。当然といえば当然だ。胸元の複雑な装飾は爪に引っかかるし、そもそも長くて裂くのが面倒である。案外丈夫なのも、破れた布団カバーなどとはわけが違うのだ。
せめて単純な構造であれば──。
私は、あのサラリーマンがいかにも定番のデザインといった感じのカタログを持っていたことを呪った。ウェディングドレスのイメージをするべく検索に掛け、リアルな重さを知ってしまった自分も呪った。
曖昧なイメージのままでいろよ。
だがしかし、ウェディングドレス、一般的に晴れ着とされるものを自らの手で台無しにするというのは、中々ストレス発散になる。それは発見であった。
現実なら購入・レンタルにかかったお金や製作者の顔がチラついたりして踏み切りにくいが、この場なら気にならない。存分に晴れ着を穢せる。
そうこうしている内に、まあまあな本数の紐が出来てきた。
さてと、どうやって縄にするんだったっけ。
確か、二本の紐を時計回りに捻って、そのあとまとめて反時計回りに巻き付ける、だったような気がする。締めくくりに「右に撚って、左に巻く」とまとめられていた。バスに揺られているとき調べておいたことだ。
AIモードによる回答だったので一抹の不安が残るが、まあ大丈夫だろう。
デスクワークを主な仕事にしている私にとって、一心不乱になにかを作る行為はかなり新鮮なものがあった。
縄、というあまり作ろうと思わないものだったのも大きい。単純作業の繰り返し、中々悪くないではないか。
まだ短く、拳から肘くらいの長さのウェディングドレス縄──長ったらしい。ウェ縄。ウェ縄をネックレスのようにして、首に押し当てる。
首筋をなぞる、とろんとした感触が心地良い。
「よし」
一人のときは口数の減る私であるが、今ばかりは満足感から声が洩れ出る。もしこれの肌触りが悪ければ、今回の目的は達成出来なかったのだから。
ただまあ、夢の中なのだから、多少イメージ通りになるのも当然か。
──そうだ、これをどこに吊ろうか。
材料のことばっかり考えていて、そっちに気が回らなかった。
どうしようか。普通の部屋とかだとつまらないというか、風情がない。せっかく特別な材料で作ったのだから、どうせなら特別な場所にしたいものだ。
サクッと思いつくのは結婚式場……いや、それは思考回路が単純すぎるだろう。しかし、全く無関係な場所というのも考えるのが難しい。
発想を求め、私は再びウェディングドレスを深々と観察した。
純白の生地がAラインのシルエットを形作っており、脚を隠す部分はまるで波のように捻れていて──。
あ、そうだ。
ふと、水の中から気泡が浮かぶように思いつきをした。
それは中々いい考えに思えた。ほどよくずらしつつ、それでいてロマンチックだ。なにより現実ではしようとも思わない。
うふふ、とでも言ってしまいそうな機嫌になり、私は再びウェ縄に手を伸ばした。身体を左右に振りながら、単純作業を繰り返す。
右に撚ーる、左に巻ーく。撚って捻って巻ーいて。うふふ。
はっやく、作り終わればいいのになー。
あ。
妙に重みを増した両手、その上から伸びるウェ縄の端を見つけるべく視線を泳がす。
端から端、さっきの数倍に伸びたウェ縄。私が思い描いた完成予想図。
完成しとる──。
思い描くな。
ここじゃあ、イメージしたまんまになるのだから。
私の怒りもむなしく、ウェ縄は元の長さには戻らなかった(戻ったら戻ったでムカついていただろうが)。
いいのだ。だいたいデスクワーク族の末裔にものづくりは向いていなかったのだ。気にしてなんかない。気にしてなんかないのだ。
スニーカーが石の地面を踏んでは歩く。
目に飛び込んで眩しい夕日の方向を見てみれば、オレンジに染まる海面が広がっていた。
思いついたのは、恋の鐘がある海岸である。二人で鳴らしたら恋が永遠になるだとか謳われていた気がする。
砂浜から少し引いた場所に高く建てられた道に、くすんだ茶色の石が敷かれている。石の隙間は白く潰されていた。
そこから飛び出した半円の上に、シルバーに輝く鐘が一つ。白い柵を隔てた先に、煌々光る斜陽。
潮騒と磯の匂いが、私に海の感じを思い出させる。
うむ、世の若者が「映え〜」と言いそうなロマンティックゾーンだ。
ところで、あのスポットは本当にこんなだったろうか。
そも、ここにあるものは私のイメージが全てである。
本来最寄り駅から電車で一時間以上かかるここも、(歩いてりゃ着くでしょ)という私のイメージに影響されて十数分で着いた。ウェディングドレスも、私が見た画像の中で一番気に入ったデザインのが出てきた。(裂きにくそー)と思ってしまったがために裂きにくかった。
これは咄嗟の思いつきによる行動なので、事前調べもなんもしていない。私のうろ覚えな像をそのまま引っ張り出してきたこの場には、言いようもない違和感が充満していた。
……ま、いっか。
むしろ現物そのままのほうが方々に申し訳ないし、配慮とも言えるだろう。配慮である。
さて、やるか。
私はまず、ウェ縄を鐘を支えている柱の下の方にしっかり結びつけた。続いて片方の端を持って柱をよじ登る。頂きまで辿り着くと、鐘が吊るされている棒にウェ縄をかけた。
棒に腰掛けるとウェ縄を首に回しかけ、うなじの辺りで結ぶ。ちょっと絞まるくらいきつく結んだが、不快感は少ない。
肌触りの良さゆえだ。
今回ウェ縄を作ろうと思った所以は、以前絞首で死んだときにある。
あの時は普通に首を吊って死んだのだが、如何せん縄のイメージが良くなかった。硬くザラついたものだったのだ。吊る直前も、首に食い込んで不快だったのを覚えている。
純粋に絞首の感覚を味わえなかった。それが心残りだったのだ。
急に落っこちると苦しいを超えて痛そうなので、懸垂のようにして棒にぶら下がる。鐘が邪魔である。
夕日に水平線が輝いていた。
眩しいな、と思いながら、私は手を離した。




