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7話 継承の儀


 気付けば部屋を飛び出していた。


「ニコラ様」


 部屋の前で、アイネアに呼び止められる。

 振り返る余裕もなく、そのまま歩き出そうとしたら、左袖を掴まれた。


「今日はやめておきましょう。あくまで病欠なんですから」


 彼女らしい言葉だが、その声に力はない。

 消えかけの蝋燭の火のように頼りなく、隠しきれない不安が滲んでいた。


 私はそれを見て、喉の奥まで出かかった熱いものを呑み込んだ。


 私だって怖い。

 けれど、ここで私まで立ち止まれば、この子はもっと怯える。


「アイネア。物事には悠長に構えていてよいことと、そうではないことがあります。今は間違いなく後者です。御覧なさい」


 私はそう言って、彼女に周りを見るように促す。

 

 いつもなら廊下を行き交う祭司の姿がない。

 遠くから、怒号とも悲鳴ともつかない声が響いている。

 夕刻を過ぎた居住棟は、まるで息を潜めているようだった。


「――!」


 そこまで見えていなかったのか、アイネアは声を失った。


 普通ではない。

 間違いなく何かが起こっている。


 私は必死に跳ね回る鼓動を抑え、レーネマリアが浮かべていたような、聖女の笑みを取り繕う。


「安心なさって。大丈夫ですから」


 自分でも、何が大丈夫なのかわからない。

 それでも、不安で仕方がない時にこの笑みを向けられると、救われることも知っている。

 私がそうだったように。


 アイネアは、私の言葉を聞き、何度か息を吸って落ち着きを取り戻した。


「はい、わかりました」


 けれど、私の袖を掴んだままだった。


「執務棟へと参りましょう」

 

 執務棟に入った瞬間、居住棟の静けさとは真逆の喧騒に呑まれた。

 祭司や官僚たちが、忙しなく廊下を行き交っている。

 誰もが顔を強張らせ、書類を抱え、ある者は怒鳴り、ある者は壁際で青ざめた顔をしていた。


「報告はまだ上がらないのか?」

「わからないと言っているだろう!」


 袖を引っ張る力が強くなった気がする。

 

 歩幅だけは乱さないようにして、官僚たちの間をすり抜け、魔女の執務室へと向かう。

 あそこには、祭祀部の首脳陣が詰めているはずだ。


 廊下の隅でうずくまり、涙を流す者。拳を握り、苛立ちを隠さない者。

 官僚だけではない、ひしめき合う人々の群れをかき分けて進むうち、不意に左腕が軽くなった。


 アイネアが自分から手を離したのか、人波に押されて離れてしまったのか。

 振り返ろうとして、できなかった。

 遠くの執務室から、また怒号が響いてきた。


 魔女の執務室の扉は、開け放たれていた。

 紙束を持った官僚や祭司が、頻繁に出入りし、中では数名の男性たちが腕を組んで険しい顔をしていた。


 一瞬、足が止まった。

 本来なら、気軽に踏み込める場所ではない。


 だが、ここまできて、踏み込まない選択肢はなかった。


 私は胸に手を当て、息を整える。

 それから、開け放たれた扉をくぐった。


 首脳陣の中に、見慣れた男性の姿があった。魔女補佐官のドノバンだ。

 振り返った彼は訝しむように私を見た。


「ニコラ様。何故こちらに……」

「ドノバン様、一体何があったんですか?」


 彼の質問には答えず、私は、皆の注目が集まっている方へと視線を移した。

 先程からドノバンを含め、数名の祭司や官僚が、険しい顔をして壁に貼られた地図を睨んでいた。


 都の地図だとすぐにわかった。地図上にはいくつも書き込みや印が付いていて、頻繁に出入りしている者たちが、次々と新しいメモ書きを貼り付けていく。


 印は、一つや二つではなかった。

 西区、北区、南西区。私でも知っている地名の上に、赤い印が重なっている。

 けれど、貼られていく印の数が多すぎる


「……現在、都中に魔物が発生しているとの報告が入っています」

「魔物――?祭祀場で何かがあった、という話ではなく?」


 呆気に取られて聞き返す。


「祭祀場ですか。……何か、そう考える理由が?」

「いえ……、続けてください」


 これ以上、余計なことを言えば、なぜ病欠の私が祭祀場の異変を疑ったのか逆に詰問される気がした。


「少なくとも、最初の報告は西区からでした」


 そういってドノバンは、私に地図を見るように促した。


「魔物が複数体発生して西区の祭司だけでは手が回らない。救援を送って欲しいとのことでした。即座に聖堂騎士と祭司を五名ずつ、救援に送りました」


 彼の言葉通り、西区の印には、大きくバツ印が付けられている。


「しかし、それから間もなくして、北区、南西区、翡翠区、南翡翠区からも魔物発生の報告と救援依頼が届きました。その時になって、初めて我々も事態が都全体に及んでいると理解しました」


 ドノバンの説明に合わせて私も地図を追っていく。

 北区、南西区、翡翠区、南翡翠区……。

 いや、地図に書き込まれた印の数は、彼の言葉よりずっと多い。


 血の気が引いた。

 無意識のうちに、胸元の宝石に手が伸びる。


 一体、今、この都で何が起こっているのだろうか。


「もはや、我々の独断では対処しかねる状態です」

「独断では、とは……どういうことですか?」


 苦々しく眉をひそめたドノバンを見て、私の肩に力が入った。


「緊急事態だというのに、これだから旧態依然とした組織というのはもどかしい……」


 しかし、彼が私の問いに答えるより早く、壁際に立っていた若い男性が、低く吐き捨てた。

 整った顔立ちに似合わず、その目だけが氷のように冷えている。

 直後、彼の指先が机を強く叩いた。


 びくりと肩が震える。


「アルヴァン殿。主席祭司ともあろう方が、そのような物言いはお控えください」


 ドノバンが、静かに苦言を呈した。

 主席祭司と呼ばれた彼は、アルヴァンというらしい。


 噂で聞いたことがある。

 ここ数年で一気に頭角を現し、歴代最年少で主席祭司にまで上り詰めた若き天才。

 その名くらいは、私でも聞いたことがあった。


 なるほど、噂になるわけだ。

 この場の誰より若いのに、誰よりも遠慮なく場に切り込んでいる。


 魔女候補生という立場があっても、私には到底真似できないと思った。


「ともかく、すぐにでも魔女殿の裁可を仰がねばなるまい」

「いや、先にするべきは各地への救援だろう」

「だから無駄な人的消費を避けるためにも、軍部と合流をだな」


 直後、口火を切ったように、他の祭司や官僚たちがそれぞれの意見を口にし始めた。

 どれも正論のように感じるが、それぞれ重視していることが違い過ぎて意見がまとまっていない。


「ご覧の通りです。判断が割れています。魔女様の裁可がない以上、祭祀部として命令を一本化できません」

「本来ならば軍部との合流一択だろうに」


 ドノバンの言葉を遮るように、アルヴァンは言った。

 激しい苛立ちを指先だけに押し込め、声だけは冷たい氷の茨のような底冷えするものだった。


「そうかもしれません。ですが、魔女様の安否がわからない以上、意見が割れたまま勝手に動くわけにはいきません。最悪、祭祀部全体が瓦解します」

「わかっている」


 ドノバンの冷静な言葉に、アルヴァンは大きくため息を吐いた。


 けれど、私は『魔女の安否がわからない』という言葉を、何度か反芻した。


 動悸がした。

 胸元の宝石を握る手に強い力が籠る。


 結論はとっくに出ていた。

 だが、口に出す気にはなれなかった。

 

 口に出せば、もう止まれない気がした。

 私はもう、欠席しただけの魔女候補生ではいられなくなる。


 黙っていれば気付かれないかもしれない。

 そうすればきっと……、いやどうするつもりだ。

 

 わかっている。認めたくないだけだと。


「ドノバン様――、これを見てください」


 意を決して胸元の宝石を握り、魔女の杖に変形させた。


「ニコラ様――、それは……」


 ドノバンが息を呑む。いや、それだけではない。部屋中の注目が集まった。

 その刺すような視線に、私は思わず目を背けた。

 最初の儀式の日も、こんなふうに見られていた気がする。


 ゆっくりと視線を戻し、ドノバンの反応を窺う。

 しかし、彼が言葉を発するより早く、背後から腕が引かれた。

 

「私について来なさい」


 アルヴァンがそう言って視線で廊下を指した。


「あの、アルヴァン様?」

「質問は後でよい、良いから来るんだ」

 

 あまりに強い力で引かれ、足が勝手に前へ出た。

 反論する言葉を探している間に、私は廊下へ連れ出されていた。


「ドノバン殿、やるべきことはわかっているな?」

「――はい」


 扉の角を曲がる直前、アルヴァンはそれだけ伝えていた。


 連れて来られたのは、礼拝堂だった。

 執務棟の怒号が嘘のように、そこは静まり返っていた。

 静かすぎて、かえって遠くの喧騒が耳の奥に残る。


「少し待っていなさい」


 それだけ言うと、アルヴァンは手際よく場を整え始めた。

 祭壇。燭台。供物。絨毯。

 どれも簡素で、儀式と呼ぶにはあまりに急ごしらえだった。

 けれど、それが何のための準備なのか、分からないほど私は無知ではなかった


「あのアルヴァン様――」

「質問など必要あるか?君も本当はわかっているのだろう?」


 縋るような言葉も、アルヴァンは無慈悲に一蹴した。


 まもなく、ドノバンが複数の祭司や官僚を引き連れてやって来た。

 全員の顔色が悪く、それでも露骨な顔一つないのは彼らが優秀だからだろう。

 

 礼拝堂の扉が閉められた。重い音が、背中の後ろで響く。

 逃げ道が、一つ減った気がした。


「揃ったな。では、これより略式ではあるが、継承の儀を始める」


 礼拝堂にいる誰もが息を呑んだ。

 その意味を察せない者などこの場にはいない。


「ニコラ様。私に続いて宣誓してください」


 喧騒が遠くに聞こえた。

 心臓が激しく脈を打つ。

 空気が薄くて息が詰まりそうだ。


「わたくし、ニコラ・クラリスタは」

「わたくし、ニコラ・クラリスタは」


 冷たく鋭い視線が全身を貫いている。

 声が震える。手足が自分のものではないみたいだ。

 出来ることならば、このままへたり込んでしまいたい。

 やりたくない。逃げ出したい。


「秘奥の継承者として、大いなる務めを最大限遂行し」

「秘奥の継承者として、大いなる務めを最大限遂行し」


 この言葉を、本来なら誰が口にするはずだったのだろう。

 レーネマリアか。ヴィヴィアンナか。トワイノールか。

 誰でもよかった。少なくとも、私ではなかったはずだ。

 

「魔女の崇高なる意志と理念と奇跡を擁護することを誓います」

「魔女の崇高なる意志と理念と奇跡を擁護することを誓います」


 アルヴァンの杖から赤い炎が立ち上る。

 

「『我、真意を以って奉らん。

  掛けまくも畏き英霊。汝の御業をここに示し給え。

  其は失せし座を継ぐ者を探して欲す。

  糸は違えど、結び目繋ぎて縁。

  その糸は、絶えることなき道となりし。

  手繰り給え。歩み給え。

  その奇跡を以って偉業とす――天命清算 』」


 私は、その祝詞を知っていた。

 聖学校で教えられた、継承の祝詞だ。

 けれど、まさか自分のために唱えられる日が来るとは、一度だって思わなかった。


 直後、赤い炎が奇跡となって礼拝堂を照らし出す。


「今この瞬間より、ニコラ様がトリンマートンクの魔女です。建国の神々のご加護を」


 とってつけたような祈りの定型文が嫌に白々しく聞こえた。


 誰も拍手をしない。祝福の言葉もなかった。

 ただ、祭司たちが静かに膝を折った。


 その日、私は魔女になった。

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