8話 魔女を演じる人形
「魔女殿。ご指示を――」
魔女になった直後、アルヴァンの冷たい瞳に射竦められ、喉の奥で、声にならない悲鳴が上がった。
「あ、あの――」
「早く、時間がありません」
反論も、否定の余地もない。アルヴァンの、いや、礼拝堂全体の視線が、私に集まっている。
「――新たな魔女として命じます」
何を命じれば良いのかわからない。
助けを求めるようにアルヴァンを見る。
だが、彼は何も言わなかった。自分で決めろということだろうか。
そんなことを言われても、私には緊急事態の対応などわからない。
逃げ道を探すように視線を彷徨わせる。やはり真っ先に視界に入ったのは目の前にいるアルヴァンだった。
一瞬、彼とドノバンとの執務室でのやり取りを思い出す。
「直ちに軍部と合流、その後、作戦を立てて都を守ってください」
言い切って、沈黙が流れた。
誰も何も言わない時間が、ずしりと肩に重くのしかかる。
「指揮は――、アルヴァン様に一任します」
今の一言が、ただのお願いではないことだけはわかる。
けれど、何の実績もない小娘が、このまま命令権を握ったままでいるよりは、皆も安心できるだろう。
どこからともなく息を吞むような音が聞こえてきた。
私は、間違えてしまったのだろうか。
直後、ずっと慇懃だったアルヴァンが膝を折った。
「御意――」
彼の反応を見て、私はようやく息をすることができた。
「ドノバン殿、残っている祭司の半数を軍部に向ける。残り半数は聖堂騎士と共に西区の制圧。大聖堂付近の安全を確保しろ。私は魔女殿と共に一度軍部に向かう」
「承知しました。皆様、これから配置を行います。十分後に大聖堂の門前に集合してください」
アルヴァン、ドノバンと指示が繋がり、礼拝堂の中から、瞬く間に人がいなくなる。
張り詰めていた空気がほどけ、ようやく肩の力が抜けた。
私の言葉で、人が動いた。私自身に何もできなくても、できる人に任せることならできるのかもしれない。
そう思おうとした。
アルヴァンだけは、私が動き出すのを待っていた。
彼は私と軍部へ向かうと言っていた。つまりはそういうことだ。
「アルヴァン様、魔女様は――」
「先代魔女殿は亡くなられた。魔女候補生たちもな。君に魔女の杖が与えられたということは、そういうことだ。わかっていただろう?」
改めて現実を突きつけられ、私は杖を握りしめた。
今朝まで、確かにそこにいた人たちだった。
怖くて、苦手で、それでも死んでいい人たちではなかった。
どうして彼女たちではなく、私が魔女になってしまったんだろう。
そう心の中で問いかけたところで、魔女の杖は答えを返してくれなかった。
「感傷に浸るのは後にしろ、今は都を守る方が先だ」
それ以上、言葉を挟む暇もなかった。
こちらに一瞥もくれずに歩き出したアルヴァンの背中を、私は追うことしか出来なかった。
都が燃えている。
遠くで建物が崩れ落ちる音がした。
窓の外には黒煙が立ち上り、逃げ惑う人々の姿が見える。
鼻を刺す焦げ臭さが馬車の中まで流れ込み、夜の都には悲鳴と怒号が響き渡っていた。
「魔女様、アルヴァン殿。まもなく軍部庁舎です」
ガタリと、馬車の止まる音がした。御者台の聖堂騎士が声を掛ける。
「魔女殿。降りなさい」
言葉とは裏腹に丁寧にエスコートされ、私は馬車を降りる。
軍部庁舎へ入ると、まもなく、数人の騎士が左右についた。
「アルヴァン殿。現在、軍部では軍部総長が行方不明となっております」
「そうか、指揮権は誰が引き継いでいる」
「軍部副総長のノーシェット卿です」
「了解した。其方らは、この後やって来る祭司の受け入れ準備をしてくれ。其方は、ノーシェット卿の元まで案内を頼む」
「はっ!」
アルヴァンたちの足は速かった。
私は置いていかれないよう必死に足を動かした。
軍部の状況も大聖堂と似たようなものだった。
顔をしかめる者。悲壮に顔を歪める者。各所で言い合いのような怒声が飛び、時々ドンっと大きな物音がする。
大聖堂と違うのは、それでも皆が秩序立って動いているということだろう。
――よかった。ここはまだ動いてる。
誰かが指示を出し、誰かがそれに従っている。
私である必要はない。
ずっと私を先導してくれるアルヴァン。緊急事態でも秩序立った動きのできる軍部。
それだけで、頼りなく見えた足場が、補強された気がした。
騎士に連れられ、アルヴァンに続いて扉をくぐると、大きな執務机に肘をついた男性が座っていた。
軍服越しにも、鍛え上げられた体躯が分かった。
獲物を捉えた時の戦士のような切れ長の瞳に射貫かれ、私は息を呑む。
「ノーシェット卿。祭祀部から魔女殿と主席祭司のアルヴァン殿がいらっしゃいました」
「あぁ、ご苦労」
騎士はそれだけ言うと、すぐに部屋を出て行った。
ノーシェット卿と呼ばれた男性は、アルヴァン、そして私を順々に確認すると、首を傾げた。
一瞬、気まずい沈黙が流れる。
「――っ」
アルヴァンに背中を叩かれた。私から挨拶をしなければならないということだろう。
「ノーシェット卿、お初にお目にかかります。新たに魔女に就任したニコラと申します。よろしくお願いいたします」
貼り付けた聖女の笑みで礼をする。
内心は、今にもこの眼光から逃げ出したかった。
しかし、挨拶をしてもノーシェット卿は、こちらを睨んだまま動かない。
眉間に深くしわを刻んだ剣幕に気圧され、息が詰まる。
まるで何かを呑み込んでいるような顔だった。
――やっぱり私が魔女として頼りないから。
沈黙が苦しい。
「ノーシェット卿。今回の指揮権は私に委ねられております。すぐにでも会議を始めましょう」
しかし、沈黙を破るようにアルヴァンが口を挟んだ。
「――あぁ、承知した」
彼の言葉を聞いたノーシェット卿は重々しく頷く。
ようやく視線から解放されたのを感じて、私は奥歯を強く噛みしめた。
ほどなくして、部屋の中に軍部の重鎮らしき人たちが集められた。
規律立ってはいるが、体格もよく、険しい表情をしている。
見た目だけ言えば、祭祀部の上層部よりも威圧的だ。
次々と集まり、会議の準備をしていく中で、私は何処に立っていればいいのかわからなかった。
準備する兵士の邪魔をしないように、右に避ける。軍部の重鎮の立ち位置を奪わないように後ろに下がる。
そんなことをしているうちに、いつの間にか、部屋の中央に据えられた大きなテーブルの正面に押し出されていた。
居心地が悪く自然に肩に力が入る、けれど、すぐにアルヴァンが私の隣に立った。それだけで少しだけ息がしやすくなった。
会議は重苦しい雰囲気のまま始まった。
「報告します。第一部隊は、副総長閣下の指示の下、翡翠区の防衛を始めています」
年若い兵士が、報告を読み上げ、壮年の大人たちが、眉間に深い皺を刻み、張り詰めた様子でテーブルに広げられた資料を睨んでいる。
私はまったく内容のわからない資料を、周囲の真似をして睨んでいた。
「あぁ、状況は」
「芳しくありません。倒すだけであれば可能ですが、相手は魔物ですから――」
すると視線が一斉に、アルヴァンに集まった。
自分に向けられているわけではないのに、殺気のこもった視線が自分の隣に集まるのを感じて、心臓の鼓動が早くなっていく。
「仕方ないだろう。祭司が居なければ魔物には勝てぬ。翡翠区の聖堂にいた祭司はどうなっている」
「先遣隊は翡翠区の聖堂まで到達しましたが、既に――」
誰かが忌々しそうに息を吐いた。
本当なら、そこで何かを思うべきだったのだろう。
祭司が死んだ。聖堂が壊れた。
どれも、魔女として聞き流していい言葉ではない。
けれど、私の頭は、それより先に「今どんな顔をすればいいのか」を探していた。
「……祭司は全員死亡。聖堂も半壊しております」
「生存者は?」
「確認されておりません」
さっきから報告の内容が頭に入ってこない。
それよりも、今はどうするのが、正解で、何をすればこの場で浮かないのかばかり考えている。
――意見を求められたらどうしよう。
彼らが何を言っていて、何を目的としているのかまったくわからない。
大丈夫だと思いたい。隣にアルヴァンがいればすべて何とかしてくれる。
私は魔女という肩書が必要だからここにいるだけ。
発言は求められていない。
立っているだけでいい。話の腰を折らないように周囲の反応に合わせていればいい。
息苦しい。首筋から変な汗が零れてくる。
浅い呼吸を繰り返しても全く呼吸が整わない。
「そうか」
「まずは各区の祭司を集めるべきかと思ったが、この分だと難しいかも知れぬな。ノーシェット卿、この後の作戦は如何にするか」
「幸い、大勢の祭司がこの後いらっしゃる。協力して近隣区画の制圧が先決でしょう」
「同感だ。まずは我々の足場を固めねば都が崩壊してしまう」
何を言ってるのか理解ができない。
祭司。魔物。都。聖堂。崩壊。
耳は単語を拾っても、その前後の文脈が繋がらない。
「副総長殿、アルヴァン殿。お待ちください。今は一刻も早く領主様を救出せねばなるまい。あの方が亡くなられてしまっては、それこそ領地が崩壊する」
「どこにいるかもわからない者を探して、戦力を摩耗させるわけにはいかぬ」
不意に力が抜け、足元がふらついた。
それでも机に腕をつき、必死に身体を支える。
例え、この場で何もできなくても、せめて、魔女として立ち続けなくてはいけない。
それが唯一私に求められていることだから。
「しかし、古代区には、領主様だけではなく、次期領主や領主一族の大半がいるのだぞ!我らの軍部総長もいる。婚姻の儀に参加した者たちを救わなければ、この先の領地が立ち行かなくなる。危険を冒しても行くべきだ」
セイゾンリョウシュグンブソウチョウコダイクセイアツ。
次々と飛び交う言葉は耳には入る。けれどもはや意味のある言葉に聞こえなくなった。音だけが頭の中を滑っていく。
視界の端が白くにじむ。
人の顔がわからない。
――気持ち悪い。
張り詰めた空気も、押しつぶされそうな重圧も、何もかもが気持ち悪い。
突如、胃の中から熱い何かが逆流してくるのを感じて、反射的に口元を抑えた。
代わりに支えを失った身体が崩れ落ち、その場にへたり込んでしまう。
「――はっ、はっ」
ダメだ。立ち上がらないと。
会議の邪魔をしてはいけない。
喉元までせりあがった何かを、必死に呑み込む。
両腕に全力を込めて、身体を持ち上げる。
何事もなかったように背筋を伸ばそうとして顔を上げる。――が。
「――ぁ」
誰も私を見ていなかった。
軍人たちは地図を見ていた。
アルヴァンは、副総長と意見をぶつけ合わせていた。
私が惨めにへたり込み、それでも必死に立ち上がったことに、気付いた者は一人もいない。
私は、立っていることすら求められていなかった。
初めから取り繕う必要など、なかったのだ。
――なら、私は何のために。
魔女を演じていた人形だけが、喧騒の中心に置き去りにされていた。
そこから先の記憶はない。




