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5話 グラスベンベリーの忠告


 最初の儀式での出来事は、私に深い教訓を刻んだ。


 ――魔女候補生ほど恐ろしいものはこの世に存在しない、と。

 

 あれから三年、私は彼女たちの一挙手一投足を観察し、親切に見える罠を回避しながら、なんとか修羅場をくぐり抜けてきた。

 いや、正確には何度か嵌められたこともある。けれど、それでも妥協点を見出して、最悪の失態だけは避けることができていた。


 身を守るためには、積極的に情報収集することが大切だ。受け身でいては、彼女たちが与えたい情報しか受け取れない。


 トワイノールとは、これまでも頻繁にお茶会を行っていた。

 同い年ということもあり、候補生たちの中では比較的話しやすい相手だった。もっとも、気を許せる相手という意味ではない。

 そんな彼女が、事前の約束もなく、次期領主の婚姻の儀の前日になって『お茶会を開きましょう』と言い出した時点で怪しいとは思っていた。

 怪しいとは思っていても、彼女が意味のないことをするとは思えないので無下に断るわけにもいかなかった。


 お茶会はいつも通り表面上は和やかに進み、お茶菓子や近況の話題を通して探り合う。


「えぇ、わたくしのお姉様が是非一度ニコラ様に会いたいと申しておりました」

「あら、奇遇ですね。わたくしもトワイノール様の御家族に会ってみたかったのです。確か、トワイノール様の御実家は軍部に出入りしているのでしょう?わたくしたちを守って下さる聖騎士の方々も軍部からの派遣ですから、一度お礼を申し上げたいと思っておりました」

「そうでしたか、では今度我が家にご招待いたしますね」


 彼女はそう言うと、侍女に命じて古ぼけた手帳を持ってこさせた。

 革張りの表紙は、ところどころ擦り切れている。

 けれど、乱雑に扱われた古さではなかった。

 何度も開かれ、そのたびに丁寧に閉じられてきたものの古さだった。


「ニコラ様は大切にしているものはございますか?」


 今までの流れとは関係のない話題に聞こえた。

 けれど、トワイノールが意味もなく話題を変えるとは思えない。


 素直に答えてしまっては墓穴を掘ることになりかねない。


「どうでしょう。以前から思っていましたが、トワイノール様は物持ちがよろしいのですね」


 私は質問を逸らす。

 彼女は以前から、あの手帳を持ち歩いていた。

 私が手帳の古さを指摘すると、彼女は一瞬苦笑いした。


「わたくしこう見えても、人から頂いた物は大事にする主義なのです」

「そちらも、どなたかからの贈り物ですか?」

「――えぇ、お父様から」


 トワイノールは手帳を開くと、中を確認して小さく笑った。


「大切な思い出が詰まっているのですね」


 珍しく完璧ではない崩れた笑みを浮かべたトワイノールを見て、中身が見てみたくなった。


「気になりますか――?」


 私の視線に気付いたのだろうか、彼女は手帳を胸元に寄せると、上目遣いで聞いてきた。


「いえ――、まあ、少しだけ……」

「ニコラ様にも関わることが、少しだけ」

「えっ……」


 まさか彼女が答えてくれるとは思わず、私の思考が一瞬停止する。


「これ以上は秘密です」


 張り付けた笑みが崩れたのを見て取ったのか、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

 まあそうだよな、とは思う。

 彼女たちが自分の弱みになりそうなものを、簡単に開示するとは思えない。


「忘れてはならないことは、このように書き留めておくようにしているのです。大切なお話を違えてはいけませんから」


 そう言いながらトワイノールは手帳に何かを書き込んでいた。先程の家に招待するという約束を書き込んだのだろうか。

 几帳面なトワイノールらしいと思った。


 彼女は最後にもう一度手帳の中身を確認すると、控えていた侍女に手帳を返した。


「先程の質問、わたくしから先に答えを述べるべきでしたね。わたくしが大切にしているものは、秩序です」

「秩序、ですか?」

「えぇ。約束も、おつとめも、平穏も。定められたものが正しく守られているからこそ、人は安心して振る舞えるものでしょう?」


 言っていることは分かる。

 確かに彼女らしい言葉であるとは思うが、なぜ今そんな話をするのかまでは分からなかった。


「わたくし、一度二コラ様とこうした話をしてみたいと思っていたのです」

「お恥ずかしながら、わたくしにはそのような立派なものはございませんが……」

「そうでしょうか。ニコラ様は、平穏をとても大切になさっているように見えますけれど」


 ごくり、と唾を呑み込んだ。

 トワイノールは目を細め、まるで私を分析するように見つめている。


「確かに、平穏は大切ですね」


 彼女の視線に耐え切れず、逃げるように言葉を紡いだ。


「ほら、やはりわたくしたち、とっても気が合うでしょう?」


 こちらの曖昧な同意を拾い上げ、楽しそうに笑うトワイノールは、やはり魔女候補生だ。


「最近、大聖堂の中で秩序が乱れているという噂を耳にしたのです」


 本題に入った。

 私はそう直感した。


「噂、ですか……」


 まったく身に覚えがない話だ。

 少なくとも、表面上ここ数年の大聖堂内は平穏そのものだった。

 けれど、私に関係ない話をするとも思えない。


「あくまでも噂です。わたくしも実際に目にしたわけではありません」

「トワイノール様がそのような悪意ある噂に流されるとも思いませんが……」


 何か、明確に掴んでいる証拠があるのかもしれない。しかも、それは私に関係している。

 まさか。


「わたくしの祭司補佐のことを仰っていますか?」

「まさか、ニコラ様の祭司補佐が秩序を乱すわけがないではありませんか」


 トワイノールは心外だとばかりに否定する。

 

 どうやら、話は私付きの祭司補佐に関わるらしい。

 だからこのタイミングで、わざわざお茶会を開いたのだろうか。


「むしろ、とても真っ直ぐな方だとお見受けします。与えられた役目を軽んじる方ではないのでしょう?」

「えぇ、まだ少し融通の利かないところはありますが、真面目な子です。間違っていると思ったことを、見なかったふりができないだけで」


 私がゆっくりとティーカップを置くと、控えていたトワイノールの侍女が、空いたカップへ静かに紅茶を注いだ。


 本来なら、その役目は私付きの祭司補佐が担うはずだった。

 けれど今日は、同席していない。


「まだ配属されたばかりですもの仕方ありませんわ。ニコラ様付きの祭司補佐は今回の儀式が初めてなのでしょう?」


 そうして、いつの間にか話題は、私付きの祭司補佐がこの場にいない理由へ移っていた。


「はい、参加を許された初めての祭祀が次期領主様の婚姻の儀ですもの。気合が入った様子で研修に向かっていました」

「大変ですよね。初めての祭祀が時間帯変更になってしまうなんて。あまりにも唐突で用意も大変だったのではなくて?」


 その発言に私は思わず目を閉じた。

 勢いのままに立ち上がりそうになる気持ちをなんとか宥め、深呼吸する。


 慌ててはいけない。取り乱せばどうなるかわからない。


「正直驚きました。祭祀の時間帯が変更になったということを聞いたのが初めてなもので」


 私がそう切り返すと、トワイノールは驚いたように目を丸くした。


「――もう祭祀の前日ですのに」


 焦る私の目の前で、彼女はまるで慈悲深い聖女のように優しげな表情を浮かべる。

 憂いを帯びたその微笑みは、一片の綻びもなく完璧だった。


「決してあなたが悪いわけではありません――、けれど、周囲が事情を考慮してくださるとは限らないでしょう?」


 彼女が言っているのは、三年前の洗礼の儀での出来事だろう。

 運が悪かった、知らなかったと言ったところで、周囲はそれを理解してくれない。

 嫌な思い出が脳裏を過ぎる。


 私は苦虫を嚙み潰したように歪みかけた表情を、この三年で身につけた笑顔の仮面で誤魔化した。


 そんな私の内心に気付いていたのか、トワイノールは意を決したように手を差し出した。


「今回こそ、ニコラ様を助けたいのです」


 今回こそ、というのは言い得て妙だ。

 あの時も、彼女が衣装を貸してくれたことが最後の決め手となり、正装を用意できなかった魔女候補生という評価に繋がった。


 ――あぁ、つまりそういうことか。


「幸い、今ならば最低限の体裁は整えられます」


 その声は、とても優しく柔らかい。――だからこそ、恐ろしい。

 直前ではないから、今度は紋章を消すこともできると言いたいのだろう。


 しかし、言葉を言葉通りに受け取ってはいけない。

 一見、親切に見える言葉にも、必ず裏の意図がある。


 私は、頭ではわかっているのに、反射的に動いてしまった手を、軽く握って押しとどめる。


 大切なことは、相手の意図がわかるまで、軽々しく頷かないことだ。

 会話の中でなるべく多くの情報を引き出し、目的を逆算する。


 素直にこの手を取れば助かる可能性が高い。けれど、それが本当に彼女の望みだろうか。

 かつてレーネマリアやヴィヴィアンナが、作為に気付いたことで私を魔女候補生として受け入れたように、何か気付かなければいけない裏の意図はないだろうか。


 無難かつ安全に、この場を切り抜ける方法はないだろうか。


 ――あぁ、地元に帰りたいなぁ。


 そんな現実逃避をしている間もトワイノールは、私をじっと見つめていた。


「トワイノール様。ご配慮、誠にありがとうございます。きっと些細な行き違いがあったのでしょうね。大聖堂の優秀な祭司たちが怠慢なはずがありませんもの」


 即答は避ける。

 彼女の意図を探るため、あえて話を逸らす。


「あら、そうですか?どれほど真面目な方でも、主に必要な情報を届けられなかったのであれば、補佐としての責は問われるものかと思いましたが……」


 胸の奥が、すっと冷えた。やはり、ただの助け舟ではない。


「このままでは、大舞台で魔女候補生に恥を掻かせるところだったのですから当然でしょう?」


 トワイノールは頬に手を当て、少し困ったように首を傾げる。

 差し出された助け舟の上に、いつの間にか別のものを載せられていた。


「いいえ、トワイノール様のお手を煩わせる必要はございません」


 保身を考えると切り捨ててしまうのが一番楽だろう。

 補佐が連絡を落とした。そう認めれば、私は助けてもらえる。

 けれど、それはあの娘を魔女候補生の争いの生贄に差し出すということだ。


 断れば、明日の祭祀で失態を晒す。

 問い詰めれば、トワイノールの顔を潰す。


 ――つまり、私が取れる選択肢は……。


「元々体調が優れませんので、明日の祭祀に参加するか迷っていると相談しておりました。今思えば、彼女も私の体調に配慮してくれていたのでしょう」


 トワイノールの目的は、まだハッキリとしない。


 けれど、彼女は『今ならば最低限の体裁は整えられる』と言った。

 体裁とは、欠席の体裁でも構わないだろう。

 私が本当は体調不良ではないということは、見ればわかる。

 ここは、トワイノールがその余地を残してくれていると受け取るしかない。


「……次期領主様の婚姻の儀式ですのに残念ですわ。では後ほど、お部屋へグラスベンベリーの花を届けさせます。どうかお大事になさってくださいね」


 満足そうな表情を見る限り、どうやらこの返答は及第点を得たらしい。


「体調が悪い中、お茶会に参加していただきありがとうございます。ですが今日はこれでお開きにしましょう」


 お茶会を切り上げ、侍女を伴い、優雅な所作で去っていくトワイノールを見送りながら、私は小さくため息を吐いた。


「グラスベンベリーね……」


 紫色の小さな花弁をつける花だ。

 かつて王族の姫が、病床の学友へ見舞いとして贈ったという逸話が残っている。


 ――もっとも、その実態は。


 学友は姫を裏切っていたらしい。

 それに気付いた姫が、自ら学友に毒を盛り、見舞いとして贈った花だったらしい。

 結果として、その花には『二度はない忠告』と、随分と物騒な花言葉だけが残った。


「だから魔女候補生は怖いんだって……」


 まったく。


 魔女なんて、目指すものじゃない。


続きは夕方に投稿します。

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