第8章 トラウマ
龍のいる神社の鳥居まで来た。あとはこの石段を登り、龍にこの御神刀を渡せば龍の依頼も終わる。
石段を登る。上の鳥居の下に立つ。龍の姿は見えない。どこかに行ってしまったのだろうか。本殿まで歩き、手に持っている革鞄を賽銭箱の傍に置く。これで、手に持っているのは、ビニル傘と袋に入った御神刀だけだ。それにしても、龍はどこに行ってしまっただろう。
「りゅうー!」
龍を呼んでみる。返事はない。どこにいるのだろう。本殿の中をのぞいてみるが、腐って抜けた床が見えるだけで、龍の姿はない。裏手にいるのだろうか。本殿の裏手へと行ってみる。裏手には慰霊碑の大きな石とバラック小屋が見える。龍の姿はいた。慰霊碑の傍に立ち、ぼんやりとしている。
「龍。」
「・・・。」
呼びかけてみるが返事はない。どうしたのだろう。
「龍!」
語気も強く呼びかける。
「あ。竜彦。」
龍は呆けた表情のまま、こちらを見る。
「龍、どうしたの。何か様子が変だけど。」
龍はぼんやりとした様子で僕を見つめる。
「ごめん。竜彦。こういう強い雨の日は何だかぼんやりしちゃうんだ。頭がはっきりしなくて。」
「大丈夫?」
「大丈夫だよ。竜彦。それで、どうしたの? その長い包みは?」
龍が顔をすっきりとさせたのかそう聞いてきた。
「これ? これは。御神刀だよ。龍。龍の探していたものだよ。」
朱色の布の袋に包まれた御神刀を龍の方へ差し出す。
「それが・・・。」
龍がほうっとした表情になる。長い間探していたものが目の前にあるんだ。ほっとしたのかもしれない。
「龍?」
「ううん。大丈夫だよ。竜彦。開けてもらえる?」
龍がそう言ってくる。僕は、御神刀を袋から出した。白鞘に収められた御神刀が露になる。僕は、御神刀を袋から出すと、袋をズボンのポケットにねじ込んだ。
「龍。大丈夫?」
龍の表情が少し青ざめているようにも見える。怖いのだろうか。
「竜彦。ごめん。ちょっと待って。怖いの。何でか分からないけど私怖いの。それに寒い。」
龍が両手で自分を抱きしめるようにする。そんなに怖いのだろうか。
「仕舞った方がいい? 龍。」
「ううん。いいよ。竜彦。そのままでいい。ちょっと待ってて。」
龍に聞くが、龍はそう言った。
龍が落ち着いてくるのを待つ。
「ううん。ありがとう竜彦。もういいよ。御神刀を見せて。」
龍はまだ両腕で身体を包み込んだまま、そう言った。顔はまだ少し青ざめているようにも見える。
「龍。まだ落ち着いてないんじゃ。顔色が悪いよ。」
僕は龍を心配してそう言う。
「ううん。いいの。竜彦。もういいの。だから、竜彦が御神刀を抜いて。」
龍は僕の心配をよそにそう言った。
「龍。」
でも、僕は龍が心配だった。
「いいから。竜彦。お願い。」
それでも。龍はそう言った。そこまで、言うなら仕方ない。
僕は、傘を地面に置いた。雨に濡れてしまうが仕方ない。右手で御神刀の柄の部分を持ち、左手で鞘を握る。ゆっくりと柄を滑らせるようにして御神刀の刀身を出す。明るく銀色に輝く刀身は見るものを引き込みそうな綺麗さだ。そして、僕は鞘から、全ての刀身を抜き出した。刃渡りは大体1メートルほどあるかないかぐらいの刀だ。本物の刀を見るのはこれが初めてだから、少し、興奮してくる。
「・・・竜彦。」
切っ先に少しだけ触れてみる。
「痛っ!」
切っ先に触れた箇所から血玉が出てきていた。本物の真剣だ。
「嫌! 嫌! 怖いよ! 助けて! ごめんなさい! ごめんなさい!」
龍が急に叫び出す。僕は呆気に取られたが、すぐにはっとして、龍に呼びかける。
「龍! 大丈夫!」
「ひっ! 嫌! 嫌っ!」
龍はヒステリーを起こしたように両手で自分の身体を強く抱きしめている。視線が定まらず、あちらこちらを見回している。龍を落ち着かせようと思い、龍に近づこうと1歩踏み出す。僕の足音を聞いたのか、龍と僕の視線が合った。
「来ないで! 私に近づかないで! 怖いよ! 助けて!」
龍は僕を見るなり、そう言って、本殿の表の方へと抜けていってしまった。
「龍!」
僕は御神刀を放り出し、龍を追いかけた。御神刀が泥の中にぽちゃんと落ちる音が聞こえたがそんな事はどうでもいい。龍の方が今は大事だ。
本殿の表の方へと出ると、龍がいた。賽銭箱の傍に腰掛けて、膝を抱えて、泣いていた。
「龍。」
僕は龍を怖がらせないためにゆっくりと龍に近づいた。
「ひっく・・・。怖いよ・・・。どうして・・・。何で・・・。」
龍は泣きながら、ポツリポツリと呟いていた。父に殺された時の事を思い出してしまったのだろうか。それとも、純粋に怖かったのだろうか。どちらかは分からない。でも、今の僕に出来ることはあるはずだ。龍のそばまで近づき、龍の隣に座る。
「龍。もう大丈夫だよ。」
龍に優しく、そう語り掛ける。そして、小さい子をあやすように龍の頭を撫でてあげた。龍の頭がある辺りを手のひらでゆっくりと撫でてあげる。龍に触れている感覚は感じられない。感じられるのは冷たさだけ。凍りつきそうな冷たさが龍を撫でる手のひらを通して全身に伝わる。
「竜彦? 竜彦。怖いよ。私、怖いよ。寒いよ。嫌だよ。」
泣きじゃくりながら、龍は僕の方を見て、そう言った。
「大丈夫だから、もう大丈夫だから、龍。」
僕は優しく龍にそう言い。龍の頭を撫でてあげた。
龍は泣き続けるばかりで、しばらく落ち着きを取り戻しそうになかった。僕は、龍が落ち着くまでの間、根気よく龍の頭を撫でて、傍に座ってあげた。
「ひっく・・・。ひくっ・・・。うっく・・・。」
龍が落ち着いてきたのか、泣く声も収まり、しゃくりあげるだけになってきた。
「龍。落ち着いた?」
龍に聞いてみる。もう龍を撫でている手の感覚がない。もうそろそろ限界だ。
「竜彦・・・。ひくっ・・・。怖かった・・・よ。」
龍はしゃくりあげながら、涙でくしゃくしゃになった顔でそう言った。
「何を見たの?」
龍が御神刀を見て、何を思いだしたのだろう。
「お父様だった。何でだろう。私、お父様の顔なんて見たことないはずなのに、ひくっ、お父様だって分かったの。そのお父様が刀を持っていて、すまぬ、すまぬって謝っていたの。それで、お父様が刀を振り上げて・・・。」
龍はそこまで言うと、身体をぶるりと震わせた。
「お父さんに殺された時の事を思い出したんだね。」
僕は静かにそう言った。龍は軽くこくんと頷いた。
「何で、私、殺されたの・・・。どうして? 怖かったよ。えぐっ。うえええ。」
龍はそう言ってまた泣き出してしまった。実の父親に殺された時の記憶だけ思い出してしまって、理由が分からないから余計に恐怖が増してしまっているんだろう。
「龍。聞いて欲しいんだ。」
「えっぐっ。ひくっ。どうしたの。竜彦。」
龍は落ち着かない様子で僕を見てくる。龍には事実を伝えなければいけない。
「龍は生贄にされたんだよ。ここを水害から守る為の。」
「生贄? ひくっ。」
「そう。昔はこのあたり一帯が洪水に襲われて、たくさんの死者が出たんだ。それが龍神様のお怒りだとして、それを治めるために龍神様に生贄を差し出す事になったんだ。」
青山さんの話を思い出しながら、龍に話していく。
「それが、私?」
龍が察しもよくそう聞いてきた。
「そう。龍は龍神様への供え物にされたんだ。」
「何で。ひくっ。私でないと駄目だったの。」
龍が涙声でそう聞いてくる。
「龍が、龍神様を祀る神社の巫女だったから。」
青山さんのように饒舌には話せないけど、龍に1つ1つ説明していく。
「だから、龍が供え物として選ばれたんだ。そして、供え物を龍神様に送り届ける役目は神主が負う事になる。」
「うくっ。だから、お父様が私を・・・?」
龍が悲痛な面持ちで聞いてくる。
「うん。実の娘を自分の手で・・・。」
僕は静かにそう言った。
「お父様・・・。」
龍が寂しそうにぽつりとそう呟いた。
「龍のお父さんはその後、ここに龍を祀った。そして、自分のした事をずっと忘れないようにした。」
「え。」
龍が意外そうな顔をする。
「本殿の裏にある慰霊碑。あそこに彫られている文、読んだ事はある?」
僕は龍に聞いてみた。
「うん。龍神様に供えられし娘の慰みの為、ここにこの社を建立す。この社が我の罪の象徴なり。明治2年6月15日って彫られていたよ。それが?」
龍はきっと何度も碑文を読んだのだろう。そして、意味が分からなかったんだろう。
「龍。その碑文の意味をよく考えてみて。」
「え。」
龍がちょっと分からないという顔をする。
「この社が我の罪の象徴なりっていうのは龍のお父さんの言葉なんだ。この辺り一帯に住む人たちの命と生活を守る為とはいえ、自分の手で自分の娘を死なせてしまったんだ。だから、龍のお父さんは碑文にそう刻んで、自分のした事を悔いたんだよ。本意ではなかったけども仕方なかったって。それに、この社を築いて、龍の事を忘れないようにしたんだよ。」
僕は龍にそう言って教えてあげた。
「お父様・・・。」
龍が再度寂しそうにそう呟いた。落ち着く時間も必要だろう。僕は龍が落ち着くまで、しばらくの間待った。
「竜彦。御神刀を持ってきてくれる?」
突然、龍がそう言った。声は少し震えている。
「え。」
「もう1度、きちんと向き合いたいの。お父様の為にも。」
龍はそう言った。
「・・・分かった。」
僕はそう答えると、神社の裏手へと回った。裏手には、先ほど、僕が放り投げた抜き身の御神刀と白鞘が転がっていた。御神刀と白鞘は泥にまみれていた。僕は拾い上げると、泥を軽く払いのけた。抜き身の刀身に付いた泥は持っていたハンカチでふき取り、元通り、白鞘に収めた。
そして、本殿の表へと、御神刀を手に戻った。龍が不安な面持ちで待っていた。
「龍。持ってきたよ。」
龍に御神刀を見せる。
「うん。竜彦。こっちに持ってきて。」
龍に言われるままに龍の目の前に御神刀を両手で差し出す。龍は僕が差し出した御神刀にゆっくりとおずおずと手を伸ばす。怖いのか、その手は僅かに震えている。
「龍。怖いの?」
「うん。でも、竜彦がいるから。」
龍はそう言うと、そっと御神刀に触れた。瞬間、龍の身体がびくっと震える。そして、龍は目を閉じた。気絶しているわけではないみたいだ。身体がかすかに震えている。
龍はしばらく、そうして、御神刀に触れた後、手を離した。そして、目を開けた。
「竜彦。いいかな。」
龍が僕を呼ぶ。僕は龍に呼ばれるがままに龍の隣に座り、御神刀を置いた。
「いいよ。龍。」
僕は優しく、龍にそう言った。
「えぐっ・・・。竜彦!」
龍が僕に抱きついてきて、嗚咽を交えながら大声で泣く。怖かったのだろう。僕は、龍に触れられた箇所から身体が凍っていくような感覚に耐えながら、龍の頭を優しく撫でてあげた。
「怖かったよ! 寒かったよ!」
龍が大声で泣く。僕は黙って龍の頭を撫でてあげる。
「がんばったね・・・。」
僕は一言だけ龍にそう言ってあげた。
龍はいつまでも泣き続けた。大声で泣き、大粒の涙を流していた。僕は自分の意識が続く限り、龍の頭を優しく優しく撫でてあげた。




