第8話 ブルペンでの熱投
雲一つない真っ青な空を仰ぐようにして車を走らせた陽斗は、スマホのナビに従い、取り置きをお願いした近隣のドーナツ屋3軒を梯子した。
結果として後部座席には、目を覆いたくなるほどド派手な蛍光ピンク色のシュガードーナツばかりが詰め込まれた箱の山が誇張抜きで8ダース分、実に96個のドーナツが積み上げられていた。
クラブハウスラウンジの巨大な中央テーブルに、大量のドーナツ箱と、機転を利かせて追加したハンバーガーの袋をどさりと置き放つと、ロッカールームは瞬く間に爆笑の渦に包まれた。
「HAHAHA! お前ら、マジかよ! 本当に全部ピンクのドーナツばかり買ってきやがった!」
「おいルーキー、こいつは少しやりすぎだろ!」
「全員で食っても余るぞ! 胸焼けしそうだな!」
手を叩いて盛り上がるベテラン選手たちを前に、陽斗はほんの少しうんざりした表情で答えた。
「スタッフや先輩方への手厚いおもてなしへの感謝の証ですよ。それに、これで『コーチやスタッフの分が足りないからもう一度行ってこい』とは言わせませんからね!」
ベリンジャーもハンバーガーを先輩方に配りながら同意の意味でうんうんと頷く。追加したハンバーガーも見事に余ることなく全員の腹へと収まっていった。
その様子をニヤつきながら眺めていた前園も、
「陽斗はそういう事言っちゃう所が可愛くないんよな〜。(もう一回買いに行かされると聞いて)慌てる顔が見たいのに〜落ち着きすぎやろ〜。」
と口では小言を言いながらも、その笑顔からは明らかに気に入った様子が見て取れた。こうして〝生意気でストイックなベースボールマシン〟というレッテルは少し和らぎ、愛される図太いルーキーとしての評価を獲得することに成功したのだった。
***
キャメルバック・ランチでのキャンプ4日目——
その日の午前中から始まったフィールドでのグラウンドワーク。
陽斗はキャンプ特有の浮かれた雰囲気や周囲の喧騒に飲み込まれることなく、ひたすら自己のコンディショニングに集中していた。
特にメディアの動きに対しては敏感で、中卒で渡米し2年目には招待選手に選ばれた〝16歳のマイナー契約選手〟を一目見ようと、無断で柵越しに接触してきたり、身の上話を探りたがったりする日本のゴシップメディアや、ネット記事メインの勝手な取材には愛想笑いで誤魔化し、球団広報の盾を使って取材に応じない態勢を貫いた。
ただ、ドジャースを日頃からカバーしているロサンゼルスの地元テレビ局のカメラマンが、礼儀正しくカメラを向けてきた時だけは立ち止まり、対応する事になっていた。
「調子はどうだい、ハルト?」
「良い環境と、最高の選手たちに囲まれて光栄に思っています。先輩方から少しでも学べる所は学び、首脳陣の期待に応え、一日でも早くドジャースファンに僕のマウンド上のパフォーマンスを見せられるよう、ただアジャストしていくだけです。」
どこか台本、セリフじみた感じはあるが、プロとして過不足ない完璧なコメントを残したのだった。
全体ウォーミングアップとキャッチボール。
キャッチボールの相手は前園さんが率先して引き受けてくれていた。メジャーで先発ローテーションを勤め上げる雲の上の存在。キャッチボールだけでも学べる事はたくさんある。
パァン!!!
アリゾナの青空に、心地よい破裂音が交差した。手首から離れた白球が垂れることなく、前園のグラブに一直線に吸い込まれていく。
「うぉ……エグい伸び。いっつも思うけどホンマに16歳?バケモンみたいな手首の強さとバネヤバいやろ〜。」
と、球を受けた前園がいつものようにやや呆れたように息を漏らしたが、陽斗はただ静かに足の運びとリリースポイントを確認し続けていた。
昼食休憩を挟み、今日は陽斗初めてのブルペンセッション。投手陣がひしめき合い、グラブの皮革の匂いが充満する場所だ。
当初、ブルペン捕手があてがわれる予定だったが、クラブハウスでのドーナツ騒動の一件で陽斗に興味を持ったのか、メジャーの最前線でレギュラーを張る正捕手が、俺がこいつの球を受けてやると自らミットとプロテクターを携えて鎮座してくれたのだ。
ブルペンの外からは、ロバーツ監督も腕組みをしながらニコニコとした様子で興味深げに16歳の投球を覗き込んでいた。周囲も一旦手を止めて陽斗に注目。カーショウやヒル、柳の姿もある。
「さあ来いキッド。力む必要はないから、軽くフォーシームの軌道を見せてくれ。」
まずは捕手を中腰で立たせたまま、フォーシームだけで10球——
陽斗は静かに深く息を吐き、足場の土をならす。
セットアップに入ると同時に、16歳とは思えないほど表情の奥底に棲むオーラが一変する。無駄のないモーションから腕がムチのようにしなる。
———スパァアアン!!
快音が連続して響き渡った。投じた直後に球速が減速するどころか、手元で浮き上がるような強烈なスピンが込められた球の軌道。その規格外の仕上がりにブルペン全体の空気が引き締まり、視界の端の先輩投手たちの目つきが本気のものへと変わっていく。
それほどまでに、AA、AAAを経験してなくともこの場に招待された理由を言葉なく語るに足るフォーシームだった。
と、ここで不意に声が上がった。
「Okay, hold on. あと20球、全部フォーシームファストボールで投げ込むんだ。」
周囲が驚きを見せる中、ロバーツ監督がおもむろに近くにあったヘルメットを被り、足に簡易のプロテクターを巻き左打席側に立ったのだ。指揮官でありながらも現役時代のアグレッシブさを彷彿とさせる計らい。周りの選手から冷やかしと歓声が上がる。
捕手が座り、キャッチャーミットが外低めにピタリと固定される。
——ズドォンッ!!
「ナイースボールッ!!」
陽斗はロバーツ監督に物怖じすること無くアウトローからインハイへの出し入れ。
指定された残りの20球、すべてが一切変化球を交えないフォーシームだったが、左打席に立った指揮官は最後には無意識のうちに驚きの苦笑を浮かべることしかできなかった。一切の力みなく放たれるボールの力強さと抜群のコントロール。首脳陣や周囲から惜しみない称賛の拍手を受けた。
マウンドを降りて一息つく陽斗は、ふと背後の弾道測定器のデジタル数値を一瞥する。
(今の7割の出力で94.7mph(約152km/h)……。まだ体が仕上がり切っていない中ではかなりいい感触だ……)
(この調子で行けばカクタス・リーグのExtended Game(オープン戦)でいい仕上がりで挑める。それに……もしかすると…あのチーム相手に投げられるかも知れない……。)
開幕に向けたふるい落としのサバイバルレースは、まだ第一コーナーを回ったにすぎない。今の時期はまだフルスロットルにする必要は無い。
この乾いたアリゾナの空の下で徐々に出力と身体の強度を上げ、来るオープン戦に照準を合わせ、完璧に最初のピークを調整する。陽斗の瞳にはすでに、春先の喧騒を飛び越えた先、過酷なメジャーの長いレギュラーシーズンの景色しか映っていなかった。




