第7話 スプリングトレーニング
2017年2月中旬
気温も19℃と温かいアリゾナ州グレンデール。
そこに佇む広大なキャンプ施設キャメルバック・ランチ。ロサンゼルス・ドジャースのスプリングトレーニングが幕を開けた。
ここから3月末まで、約1ヶ月半にわたる長く厳しい調整とふるい落としの期間に入る。すでに主力としてメジャーロースターの座が確約されているスター選手たちにとっては、怪我なく心身をシーズン開幕に向けてチューンナップする慣らし運転の時期……。
——だが、マイナー契約のいち招待選手である鳳陽斗にとって、ここは己のスペックを見せつけなければならない過酷なサバイバル・オーディション会場と化す。
メジャー実績皆無の飛び級ルーキーがここで静かに縮こまっていれば、今シーズンでのメジャー昇格は絶望的となるからだ。
初日は内容は先輩やコーチ、スタッフへの挨拶回りに始まり、各部位を綿密にチェックされるメディカルチェック、広大な施設の見学、首脳陣と今後の方針を周知させるミーティング。
そして最後に招待選手達は真新しいスター選手と同じ素材で出来た、ドジャースブルーのユニフォームを手渡される。陽斗の背番号は29。たまたま空き番号だったのを頂戴した格好だ。
グラウンドでのアピールがいよいよ解禁となる二日目のロッカールーム。とある先輩から、買い出しを頼まれる陽斗。
「ドーナツの買い出し頼むわ!詳細はお前の車に貼ってあるから頼んだぜ、ルーキー!」
「はぁ……仕方ないな。どこの国でもこう言うのは共通だな……。」
関係者専用の駐車場に戻った陽斗は、エリザさんから譲り受けた黒のSUVの前でピタリと足を止めた。
アリゾナの砂煙で少しくすんだ漆黒の車体は、チームカラーである青や白、赤、ベージュ色のテーピング用テープでぐるぐる巻きにされ、5歳児の芸術のようなラッピングカー状態に変貌していたのだ。
(何てことを……。)
深くため息をつく陽斗。
しかし、これはMLBにおける通過儀礼みたいなものだ。スプリングトレーニングに招待された若い奴らを温かく迎えてやろうという一種の気遣い。近い将来、メジャーに昇格してくるだろうという先輩方からのお墨付き……かは分からないが、必要な儀式と思うことにした。
フロントガラスのド真ん中に、紙に書かれたメッセージがガムテープでベタリと一枚貼り付けられている。
「Hey kid, grab us 4 dozen pink sugar donuts for the vets — fresh ones! 陽斗よろしく!」
(ヘイ坊主!先輩の為にピンク色で砂糖をまぶしたドーナツを4ダース買ってきてくれよ。焼きたての奴しか認めねぇぞ!陽斗よろしく!)
「陽斗よろしく……?」
ご丁寧に漢字とひらがなのハイブリッドで最後に付け足されている。
「ああ……マエケン(前園健太)さんか……これ……。」
「……………仕方ない…行こう。」
フロントガラスのテープを剥がそうとした時、あるものが目についた。
(…………うん?)
「ああっ、クソッ!!」
ふと数台先を見渡すと、同じようにテープでぐちゃぐちゃの古いピックアップトラックがあった。そこには驚きと悲しみとやるせなさがないまぜになったような顔をしたベリンジャーが佇んでいた。頭を抱える大男は、ちょうどこちらに気が付いたようで、早歩きの大股でこちらへ歩み寄ってきた。
「おい、ハルト!見てくれよ!この有様をッ…!」
「うわぁ…これはまた……ひどいですね。これ。」
陽斗が近寄って覗き込むと、思わず顔をしかめてしまうほどの惨状だった。外側がカラフルなテープでぐるぐる巻きにされているだけではない。なんと車内の助手席から天井に至るまで、信じられない量のポップコーンでパンパンに埋め尽くされているではないか。うかつにドアでも開けようものなら、香ばしい塩バター味の雪崩に飲み込まれてしまうだろう。
補足:バレーパーキング(スタッフが代わりに駐車するサービス)なので、先輩選手たちがイタズラをするから鍵を貸してと頼むと、球団スタッフもお祭り騒ぎに協力的なため、あっさりと鍵を渡してしまいます。
(……これに比べたら、俺の車はまだ可愛がり程度だったのか)
陽斗は自分の無傷の車内を思い返し、深く納得した。
現在、陽斗の年齢はアメリカの法律に照らし合わせれば飲酒も許されない未成年だ。ベテラン選手たちは招待選手たちを歓迎する洗礼を浴びせつつも、さすがに子供扱いをして大いに手加減をしてくれていたのだ。前園からのわざわざ手書きの日本語入りメッセージにすら、少しばかりの陽斗へのエールとも考えられそうだ。
一方で、すっかり大人のフィジカルを持った生え抜きスーパースター候補生のベリンジャーには容赦がなく、〝本格的にいじっていい対象〟として凄まじい熱量が注がれたのだろう。
「マジで最悪だぜ……今日中にどうやってこの大量のポップコーンを処理すればいいんだよ。これから走らせなきゃいけないのに……」
途方に暮れて泣きそうになっている6フィート3インチ(193cm)の大男に並び、陽斗はふと疑問を抱いた。
「お気の毒なところすいませんが……ベリンジャーさん、ところで先輩たちから何を買って来いって命令されてるんですか?」
「ああ、俺は大量のハンバーガーだ。せっかくオーダーを覚えたっていうのに、こんなんじゃ車を出すだけで小一時間かかっちまう!」
「……ですよね。」
陽斗は改めてベリンジャーのピックアップトラックと、外装の装飾こそアートスティックだが中は正常な自らの愛車を交互に見比べた。
そして小さく息を吐くと、ポップコーン車と化した気の毒な先輩に声をかけた。
「――それなら俺の車で、一緒に買い出しに行きませんか?」
その言葉を聞いてパッと表情を明るくしたベリンジャーは、まるで救世主を見るような眼差しでバンバンと陽斗の肩を叩いた。
「マジかよハルト! お前、最高にいい奴じゃんか!」
「とんでもなくストイックなトレーニングオタクで、16歳の割にちょっと暗い〝ベースボールマシン〟だって噂で聞いてたんだけど……全然そんな事ねえな!」
少々複雑な気持ちになる評価だったが、陽斗はどうもと視線を少し落とす。そして、浮かれる先輩ルーキーに向けて静かに進言する。
「あ、そうだベリンジャーさん。念のため、ハンバーガーは指定された数よりもさらに20個ほど追加しておいた方がいいんじゃないですか?」
「ん? どうしてだ?」
きょとんとするベリンジャーに対し、陽斗はどこか冷めた顔で答える。
「なんとなく……勘です。」
これまでのベテランたちの振る舞いを考えれば、この先どんな手で若手のお使いを翻弄してくるかなど容易に想像がつくというものだ。
陽斗はフッと鼻で笑うと、フロントガラスの中央に貼られたメッセージと視界を遮る部分のテープ、そして運転席側のドアのテーピングだけを最低限ベリベリと手荒に剥がし、スムーズに車に乗り込む。助手席にはベリンジャーが嬉々として収まった。
陽斗はスマホを取り出すと、すぐさま周辺のドーナツ屋を検索した。
そして車を発進させるまでの間に店舗へ片っ端から電話をかけ、ターゲットである〝ピンク色のシュガードーナツ〟の在庫を確認しては、手際よく取り置きをお願いしていく。
(……どうせ言われた数だけ律儀に買って戻ったところで、『これじゃコーチ陣やスタッフの分が足りないだろ! 全員に行き渡るようにもう一回買いに行ってこい!』とか理不尽な因縁をつけて、追加で走らせる気なんだろうな ……なら最初からもう4ダース追加してあげようじゃないか。)
マウンド上で打者と対峙している時さながらの冷静な思考回路。
普段の投球術のような強かさで危機を察知した陽斗は、先輩方の指定である4ダースの倍の8ダース…合計96個ものドーナツとハンバーガーを、自身の剛球さながら97mphの速度——ではなく法定速度をきっちり厳守し、安全第一で買いに走ったのだった。




