第4話 契約金に手を付ける
2016年11月のシーズンオフ。陽斗は食い入るようにインターネットバンキングの数字を見つめていた。150万ドルの契約金の1/3がやっっっと今回振り込まれたのだが…。
「え?……こんなもんか……。」
数字は想定より随分とスリムに見える。
金額にして50万ドル、しかし連邦税30%と州税5%、代理人手数料4%が容赦なく天引きされ、その数字は約30万ドル。これを半年ごとに3回受け取るため総額約90万ドル(おおよそ1億円近く)になる。
(宝くじみたいに非課税で満額貰えるわけじゃないんだな……。)
頭の中で社会の洗礼を反芻しながら、陽斗はふと嫌な予感に襲われた。
(……ざっくり計算してみよう。俺のアメリカ生活のリミットを知る必要があるな。)
陽斗はソファに座り直し、家計簿アプリを立ち上げ計算してみることにした。
「えーっと……?AAの地オクラホマ州で1年間生活すると仮定して……。」
ぶつくさ独り言を言いながら入力する。
【住居費用】
「いくらオクラホマがLAやアリゾナに比べて安いとはいえ、治安が良くて自室に酸素カプセル置けるようなハイグレードでセキュリティ万全の2LDKコンドミニアムが必要だな……まあ月額1,900ドル×12で年間22,800ドルだな。」
【人件費】
「アスリートにとって食事はそのままパフォーマンスに影響する。専属のハウスキーパー兼調理師さんは手放せない。時給換算で…週400ドル×50週として年間20,000ドル。」
【食材・サプリメント費】
「質のいい赤身肉やオーガニック野菜、高純度のプロテインと各種サプリ。週250ドル×50週で……年間12,500ドル。」
【交通費・雑費】
「高すぎる車のリースと保険代(陽斗はアリゾナ州でclass G免許を取得しています)、日用雑費、通信費に会計士さんへの報酬、その他たまにチームメイトと食事に行く交際費(マイナーリーガー同士だと年少でも高給取りが奢る場合が多い)なんかを引っくるめて……まあ年間20,000ドルといったところかな。」
「………なるほど……ざっくり75,300ドルか。」
「そして母さんに渡航費と当面の生活費として借りた分(5万ドル)も返すと……契約金の自由枠は85万ドル。」
85万ドル÷7万5000ドル=11.3年
日本では一般的に退職金に相当すると言われるのがこの契約金だ。しかし、この自分の肉体を磨き続けるアスリート仕様の生活レベルを落とさなければ11年程…20代後半には資金が完全に溶けてしまうのである。
「いや……そんなに甘くない……。」
アメリカの物価上昇率は日本の比ではない。医療費も高額だし、将来物価が高いサクラメントやラスベガスのマイナーチームにトレードでもされて家賃が跳ね上がれば……年間の経費は10万ドルを超えるかも知れない。
かなり悲観的に……いやリアルに現実的に考えた場合、ひょっとすると10年どころか……5年が限界かも知れないな…。
例えAAAに定着できたとして、月給はたったの2,150ドル(日本円で23万円程)程度。しかもマイナーリーガーはシーズン中のみの支給。即ち4〜9月の6ヶ月間しか給与が支払われない為、預金を切り崩す日々には変わらない。
マイナーリーグでいつまでも燻っていたら、すぐにこの黄金の切符も枯渇する。自分を取り巻く状況が、いかにシビアなカウントダウンに支えられているかを嫌というほど思い知らされてしまい、心臓が掴まれる感覚になる…。
「…何としても、最速でメジャーに定着するぞ!」
焦燥を断ち切るように声を出し、自分を鼓舞。プロで大金(年50万〜数100万ドル)稼ぐには40人枠に残り続けるしか無い。マイナーは育成機関であると同時に陽斗にとっては契約金が溶けていく砂時計みたいなものだ。
早速気合を入れたところで、ジムに向かおうとした陽斗だが…ここで深呼吸し心を落ち着かせる。
(………冷静になれ。焦りからのオーバーワーク。それが招く怪我こそが、最大かつ一番の破滅リスクだ。何のために俺自身と球団が投球制限や全力疾走に制限をかけているかよく考え直せ……!)
スマートフォンをテーブルに伏せて置き、陽斗はヨガマットの上で静かにストレッチを始めた。額面上の億万長者であるはずの16歳の怪物は、プロアスリートとしての意識高く持つよう、ヨガマットの上で心を落ち着かせていた。




