第31話 その根拠とは
ベリンジャーが放った起死回生の一撃でリリアーノは降板。アストロズベンチとプルペンはパニック一歩手前の慌ただしい状態に。
お祭り騒ぎがひと段落し、一息ついていた陽斗のもとへ、ひょいと顔を出してきたのはダルウィーシュだった。彼は恐る恐る、何か神秘の力にすがるような表情で、小声で囁きかけてきた。
「なぁ、ハルト。お前ん家の祖先、ホンマに高名な京都の陰陽師なん……? お札とか護符みたいなのあるなら、俺にも一枚貰われへんかな……」
呪術にすがるような目の先輩を前にして、陽斗はふっと微かに目を逸らし、苦笑いを漏らした。
「…………まさか。完全に出鱈目に決まってるじゃないですか」
「えっ?」
「コディが眉間に皺を寄せてあまりにも追い詰められてたんで、柄にもなく馬鹿やっておちゃらけてみたら、コディも笑ってリラックスできるかと思ったんです」
「で、でも……お前、リリアーノが登板してくることから、決め球まで完璧に言い当てて……!」
「ああ、あれですか……」
陽斗は紙コップの水を一口含むと、手元のタブレット端末に視線を落とし、至極当然のことのように言った。
「じゃあ、ダルさんに問題です。今日のアストロズのロースターに、左投手は何人いるでしょう?」
「えっと……スターターのカイケルに……昨日も投げたリリアーノと……あれ? 2人だけ?」
「そうです。ダラス・カイケルとフランシスコ・リリアーノ、たったの2人です」
陽斗はデータアナリストの顔に戻り、淡々と説明を続けた。
「そのうちの一人であるカイケルは、3日前の第5戦で先発登板して打ち込まれています。疲労度と、打ち込まれたメンタル面のリスクを考えれば、今日リリーフとして彼を緊急登板させるという選択肢は、ほぼありません」
「……となると、もうリリアーノしかいません。しかもリリアーノは昨日の第6戦でもワンポイントで登板し、コディを見事に抑えている。あそこで対コディの切り札として彼を投入するのは、データに基づく必然的な采配と言えます」
「なるほどな……でも、スライダーが来るとなんで分かったんや?」
「昨日の打席ですよ。昨日もスライダーで空振り三振に打ち取られていましたよね。ただあの映像をよく解析すると……決して厳しいボールじゃない。ボール2個分、真ん中寄りの甘いホームランボールだったんです。ただ絶不調のコディだから、運よく三振になったに過ぎない。
しかしバッテリーは『インハイを突いてからアウトコースへのスライダーでまた打ち取れる』というデータバイアスを誤って学習してしまいました」
ダルウィーシュは目を見開いて、陽斗の話に聞き入る。
「……つまり、リラックスして冷静にフォームを保ったまま打席に立ち……昨日と全く同じ配球が来たら……」
「はい。さっきの強烈な同点弾という結果が、それを物語っています」
涼しい顔で戦況と敵の思考を完全に丸裸にしてのけた17歳の頭脳。ダルウィーシュは一瞬言葉を失い、恐怖すら感じて陽斗を見る。
「お前……そんなことまで全部計算して、アイツに……」
悪魔のようにすべてを俯瞰する怪物を前にして、後ずさりしそうになる先輩に向け、陽斗はふっと微かに息を漏らす。
「……フッ、まさか。そんなわけないでしょ。そこまで完璧に球種とコースを読めて打撃に繋げられるなら、俺はこのシリーズ、余裕で打率5割打ってますよ。いくつかの推論が運良く噛み合っただけです」
「は、はぁー……せやな。ビビらせて驚かすなや……。でも、お前も大概、意地悪な奴やな〜。なんぼ何でも、それなら昨日の第6戦、リリアーノとの対戦前にコディに何かアドバイスしたってもよかったやん! あいつもずっと打てへんくて苦しんどったんやで?」
ダルウィーシュが呆れたようにツッコミを入れると、陽斗はもう一口水を含み淡々と応えた。
「もちろん、昨日の打席の前にも言おうかと迷ったんです。でも、いくら客観的なデータを提示しても、結局バットを振るのはコディ自身です。だからこそ、あの場ではコディが絶不調なりにも自力でボールを捉え、自分の力で復調のきっかけを作ってくれるのが一番いいと思った。余計な先入観を与えずに、まずはコディを信じて、あえて俺からは何もアドバイスをしなかったんです」
「なるほどな。一理ある……あるんか……?。まあ、でも見守った結果は見事な空振り三振やったわけやな」
「まあ……結果は残念でしたが三振に倒れても、〝撒き餌〟は大切ってことです」
「……撒き餌?」
「昨日のあの終盤の7回裏、すでにチームは2点リードしていました。そしてなにより——7回表からは『俺がもうマウンドに立って投げていた』。勝つ確率は限りなく100%に近かったんです。ならば……来るべき今日という〝最も重大な場面で放たれる最高の一撃〟のために、『ベリンジャーはこのコースのスライダーには全く手が出ない』という偽のデータをアストロズのバッテリーに刷り込ませておく方が、よほど戦略的に有効でしょう? 打てば復調のきっかけになる。打てなくても相手の配球を単純化できる。どちらに転んでも得、ということです」
「………………………」
沈黙。
ドジャースベンチの片隅で、ダルウィーシュは言葉を失い、17歳のルーキーを戦慄の眼差しで見つめていた。
この男は、1点の重みが天と地を分かつワールドシリーズの激闘の裏で、仲間が自力で復調することを期待しつつ、失敗した際の盤面管理すら瞬時に完了させていたのだ。
己の投球の支配力に絶対の自信を持つがゆえに、絶不調の仲間の三振というマイナス要素すら敵を欺く〝撒き餌〟として扱い、大一番での同点劇の布石として平然と機能させてのけた。
「……ま、結果論ですよ。そんなのはどうでもいいんです。打ったコディを褒め称えましょう」
陽斗が涼しい顔で締めくくると、呆気に取られていたダルウィーシュはようやく我に返り、ふいに調子の良い笑みを浮かべて陽斗の肩をバシッと叩いた。
「いやぁー、お前ホンマ末恐ろしい奴やで! 才能はあるわ、計算高いわ、おまけにオカルトで除霊までこなせるんやからな! もうこれからのドジャースはお前がバッティングコーチもお祓いも全部仕切ったらええんちゃうか!? 次のバッターのバットにも『臨兵闘者なんたら〜』ってやっといたれや!」
これまでの悲壮感が嘘のように吹っ切れた、底抜けに明るい軽口を聞いて、陽斗はポーカーフェイスの裏でスッと冷ややかな感情を抱く。
(……自分の負けが消えた途端、急に饒舌になったな、この人は……切り替えが早くてある意味プロフェッショナルだ)
ほんの数十分前までの失意と絶望に沈む姿はどこへやら、5点差追いつき負けが消えたことでメンタルが完全に過回復している。関西人たる凄まじいまでの切り替えの早さ……陽斗は内心で静かに毒づいた。
それにしても……と陽斗はヘルメットを手に取りながら、ひそかに過去を振り返る。
(……そもそも俺は中学時代、同世代やスカウトたちからは『一切隙のない、近寄りがたいクールな怪物』として恐れられ、神格化すらされていたはずなんだが……。実態は単に極度の口下手だっただけとはいえ、それなりに威厳とカリスマ性を保っていた……と思う)
(それがどうだ。アメリカへ渡り、念願のメジャーへ昇格してからというもの……ダルウィーシュさんやマエケンさんという癖の強い先輩日本人に囲まれた結果、いつのまにか『ボソッと毒を吐く、生意気だがイジりがいのある、関西三兄弟の三男坊』みたいな扱いに収まってしまっている……)
孤高のベースボール・フェノムとしてのクールな自画像が、ロッカールームの裏側では関西の芸人体質な先輩たちによって容赦なくへし折られていることへの、ごく小さな嘆き。無自覚に仏頂面になっていたのだろう。
それに気付いたダルウィーシュが、下から顔を覗き込んできた。
「おっ、どうした陽斗。そんな小難しい顔して。また相手のピッチャーの心理でも計算してんのか?」
「…………」
陽斗は微かなため息と共に感情を消し、静かに首を横に振る。
「いえ、なんでもありません」
ちょうどその時、グラウンドから甲高い打球音と、スタジアムを包む大きなため息が重なって聞こえてきた。
ベリンジャーの同点弾で勢いに乗るドジャース打線は、動揺するアストロズ投手陣からさらに四球と安打で絶好機を作っていたが、相手の超ファインプレイにより、後続が打ち取られたのだった。一気の逆転こそならなかったものの、試合は5‐5の同点のまま、熱狂のうちに5回裏の攻撃が終了した。
「さ、逆転はなりませんでしたが切り替えて守備いきましょう。ダルさんは引き続き応援をお願いします。」
「おう! 任せとけ!」
いちいちこんなこと思っても時間の無駄だ、と内心で処理を終えた17歳の三男坊は、ヘルメットを置き、グラブをつけると、センターの守備につくため、飄々とした足取りでダグアウトの階段を上がっていった。




