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中卒の二刀流少年はMLBで無双する——最速MLB挑戦  作者: 北極海


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第32話 幸運のアクシデント

 ワールドシリーズ第7戦、息詰まる死闘は5対5の同点のまま、試合後半へ突入した。


 カーショウは淡々と自らのタスクを遂行し、6回表のアストロズの攻撃を無失点に切り抜けた。そして6回裏、ドジャースの攻撃。

 ネクストバッターズサークルでは、陽斗がウェイトリングのついたバットをゆっくりと振り、打席への準備を進める。この回からマウンドに上がったアストロズの剛腕チャーリー・モートンが、9番の代打イーシアーをアウトに打ち取り、1アウト、ランナーなしとなった場面。


 ドジャー・スタジアムのスピーカーから重低音のオルガンが響き渡った。

 アナウンサーが、あえて観客の歓声をじらすようにゆっくりとマイクに息を吹き込む。


「Ladies and gentlemen... back at the plate...」


 紳士淑女の皆さま……再びバッターボックスに入るのは……


「...ALREADY with TWO home runs tonight!!」


 ……今夜すでに、2本のホームランを放っているこの男!!


「YOUR center fielder... Number 29... HA-RU-TOOOOO...... OHTORI!!」


 我らのセンターフィールダー…… 背番号29…… ハルトーーーー…… オオトリィィ!!


 割れんばかりの声援と手拍子の中、背番号29、鳳陽斗《おおとりはると》が静かにバッターボックスへと足を踏み入れた。


 この日立て続けに2本のアーチを放っている陽斗の登場に、ドジャー・スタジアム全体が3打席連発を期待し、異様な熱気に包まれていた。


 しかし、その熱気に反してアストロズバッテリーの様子が明らかにおかしい。

 捕手のマッキャンが執拗にベンチを気にし、何度もモートンと長めのサイン交換を繰り返している。打たれるわけにはいかないという危機感が、不穏な殺気へと変わっていく。


 そして——その初球。

 放たれた97マイル(156.1km/h)のフォーシームが、打者の顔面の高さを狙ったかのような凄まじいすっぽ抜けとなり、真っ直ぐに陽斗の頭部へ向かってきた。


 ――!!


 陽斗は驚異的な反射神経で後ろへ身をのけ反らせるも、足元のバランスを崩し、ドスンッと激しく尻餅をついた。ボールは凄まじい風切り音とともに通過していく。


「BOOOOOO!!!!!」


 完全に殺しにきたかのようなその一球に、スタジアムが揺れるほどの特大のブーイングが吹き荒れた。


 ベンチにいたプイグやヘルナンデスたちチームメイトが「テメェらいい加減にしろ!!また狙ったのか!!」と一斉に怒声を上げ、今にも手すりを飛び越えて乱闘へと向かいそうになる。

 だが、陽斗は即座に片手を真っ直ぐに伸ばして自軍ベンチに向け、『出てくるな』と強く制止のサインを出した。

 怒りで逆上すれば相手の思うツボだ。

 陽斗は無言のまま土を払い、再び打席に立つ。モートンは帽子の鍔《つば》を触ってしらばっくれているが、陽斗の目はそれが偶然ではないと、はっきり見抜いている。


 その後も際どいインコースへ、危険な球が執拗に投げ込まれた。

 ボール球が先行しても内角を攻め続けられ、迎えた4球目。ついに完全にコースを外れた95マイルの剛球が、容赦なく陽斗の背中を『ゴンッ!!』と鈍い音を立てて直撃。


 再びの死球。

 場内の怒りは限界を超えようとしていたが、陽斗自身はバットとエルボーガード、レッグガードを至極冷静にバットボーイへ手渡すと、ファーストへ小走りで向かう。


 一死一塁。


(……ここだ。ここで仕掛ける)


 ここで陽斗は続く打者の初球、モーションを盗み完璧なタイミングで盗塁を仕掛けた。

 警戒が薄かったアストロズバッテリー。慌てた捕手から投じられた送球は高く逸れ、ベースカバーに入った遊撃手のカルロス・コレアが、無理な体勢でジャンプする。

 同時に、ベース右側(外野側)へと猛烈なスピードでスライディングを仕掛けた陽斗が交錯《こうさく》した。伸ばした左手はベースを触り、悠々セーフ判定を勝ち取る。

 だが、その直後だった。

 空中で体勢を崩して着地した大型遊撃手コレアが後ろ向きに倒れ込み、コレアの左肘がベースに伸ばされていた陽斗の左手の上に、もろに落下する。全体重が乗りかかる、大激突となってしまった。


「――っぐ!!!」


 ベースを掴んだまま、思わず呻き声を上げてその場にうずくまる。陽斗の顔が、はっきりと苦悶の表情を浮かべる。走塁用プロテクター越しとはいえ、まともにのしかかられた左手の甲と手首へのダメージは深刻だった。


「タイム! タイム!」


 痛みにうずくまる陽斗の姿を見て、二塁審判が即座に両手を掲げてタイムを告げた。直後、三塁側ダグアウトからトレーナーとロバーツ監督が青ざめた顔で二塁ベースへと猛ダッシュで駆け寄ってくる。


「ハルト! 見せろ、手を動かせるか!?」


 トレーナーが素早く走塁用プロテクターを脱がせ、慎重に左手を露出させる。赤く腫れ上がりかけた手首と甲。トレーナーが指を一本ずつ触り、関節の可動域を確認する。シューッという激しい音とともに、大量のコールドスプレーの白煙が二塁ベース上に上がった。


「ハルト、無理は禁物だ! 代走を出すぞ!」


「……指示には従えません、監督《スキッパー》」


 痛みに拳を握りしめながらも、陽斗は二塁ベースの上に立ったまま、強い拒絶の意を示した。


「痛むのは左手です。走るのにも、投げるのにも支障はありません。……ここで俺が下がれば、チームの交代枠を無駄に使わせることになります」


「だが……!」


「いけます。プレーを続けてください」


 鋭い眼光に押され、ロバーツは言葉を飲んだ。トレーナーが手早く手首にテープを巻きつけ、陽斗は痛む左手をかばうように胸元に引き寄せ、そのまま二塁走者として塁に残ったのだった。




 その光景を、エレンは呼吸を忘れたように見つめていた。

 榛色《はしばみいろ》の大きな瞳には、溜まった涙がうっすらと膜を張り、抜けるように白い頬からは完全に血の気が引いている。


(ハルト……お願い、もう無理はしないで……!)


 胸元で痛々しく庇われている左手首を見つめ、エレンの胸は自分の体が引き裂かれるかのように激しく痛む。

 エレンはただひたすらに、痛みを耐え忍ぶ背番号29の無事を祈るしかなかった。




 ——だが、対照的に。

 三塁側のアストロズベンチの奥では、それとは全く異なる、陰湿で重い悦びが静かに蠢《うごめ》いていた。

 度重なる危険な内角攻め、そして二塁ベース上での激しい交錯《こうさく》。完全なアクシデントだったが……その幸(・)運(・)も味方に、ドジャースの誇る怪物の肉体に決定的なヒビが入ったのだ。


(ハッ……ざまあみろ。これで奴はこの試合満足にバットも振れない)


(それにどれだけ107マイルの球を投げようが、左手を痛めりゃ正常な投球フォームなんて維持できるわけがない。グラブを引き込むたびに激痛が走って、制球は乱れ、威力だってガタ落ちになるはずだ)


 二塁ベース上で満身創痍となった17歳の怪物を見つめ、彼らはその勝利を確信し、内心でニヤリとほくそ笑む。




 ————しかし。


 ほくそ笑むアストロズベンチも、固唾をのんで案じるドジャースベンチも、誰一人として知らなかったのだ。

 目の前で二塁ベースを静かに踏みしめる、17歳の怪物の内側に宿った本当の闘志を。


 左手首を駆け抜ける鋭い激痛——それは彼の心を折るどころか、脳髄を焼き尽くすほどの莫大なアドレナリンを過剰分泌させるトリガーに過ぎないことを。

 激痛すらも灼熱のエネルギーへと変換し、体内の神経を研ぎ澄ませていく。普段は冷静なロジックで覆い隠されていた、狂暴なまでの勝利への純粋な執念。


 理《り》の怪物を繋いでいた最後の枷《かせ》は、理不尽な苦痛によって完全に焼き切られた。

 過去一度として見せたことのない凶猛《きょうもう》な闘志が、今まさに、鳳陽斗《おおとりはると》の血肉を狂おしいほどに満たし、全身を飲み込もうとしていた——


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