第29話 冷血な猛攻、そして反撃の狼煙
2017年11月1日、午後5時21分。
4万5千人の大歓声に包まれたドジャー・スタジアムで、運命のワールドシリーズ第7戦が定刻通りにプレイボールを迎えた。
マウンドに上がったドジャースの先発・ダルウィーシュ有。しかし立ち上がりから、球場には奇妙で不穏な空気が漂い始めていた。
初回、ダルウィーシュが投じるフォーシームに対し、アストロズの打者たちはまるで〝フォーシームが来ると知っている〟かのように、フォーシームに完全にタイミングを合わせ痛打する。
先頭のスプリンガーに左翼線への二塁打を許し、続くブレグマンのゴロを一塁手ベリンジャーが痛恨の送球エラー。あっという間に先制点を奪われ、さらに三盗とアルトゥーベのゴロで追加点を許し、わずか数球で2失点。重苦しい立ち上がりとなった。
ベンチに戻ったダルウィーシュに、陽斗がスッと近づく。
「……ダルさん。フォーシームばかりが痛打されています。変化球を混ぜていても、打たれているのはフォーシームだけ。狙いが露骨すぎます」
「……ああ。フォーシームに思い切り踏み込んできとんな。フォーシームと変化球の比率を変えて、配球を少し見直すわ」
直後の1回裏。
この大舞台で『1番・センター』としてスタメン起用された陽斗が、バッターボックスへと向かう。ネクストバッターズサークルの真後ろ——ダグアウト・クラブの最前列にいるエレンとエリザが陽斗に熱い視線を注いでいた。
絶対に塁に出て、スタジアムの空気を変える。そう決意して臨んだ初打席。
しかし——アストロズの先発マッカラーズ・ジュニアが投じた、内角を厳しく抉るナックルカーブがすっぽ抜け、140km/h近い球速のまま陽斗の左肘を直撃した。
――ガンッ!!!
鈍い音が響き渡り、ドジャー・スタジアムに「BOOOOO!!!!!」という凄まじい怒号と大ブーイングが吹き荒れる。いきなり陽斗を潰しに来たのかとファンが憤る中、当の本人は顔色一つ変えずに一塁へ歩き出した。
(やっぱりな……このエルボーガードのおかげで、骨へのダメージはゼロだ……正直避けれたけど、ここは死球でも何でも出塁することが大事だ。)
陽斗の死球をきっかけに、ドジャース打線は満塁まで攻め立てた。だが、あと一本が出ず無得点に終わってしまう。
迎えた2回表。
陽斗のアドバイスを受け、ダルウィーシュは捕手と新たなサインを交換し、投球スタイルを『変化球主体』へとガラリと変えた。
しかし——ここからアストロズ攻撃陣の異常性はさらに明確になる。
初回の投球比率の高いフォーシーム狙いから一転し、今度はどれだけ際どいスライダーやカーブをコーナーへ投げ込んでも、バッターたちは大振りせず完璧に見切るようになったのだ。投球動作に入る瞬間から〝変化球が来ると知っている〟かのような、絶対的な自信に満ちた見逃し方。低めのストライクゾーンからボールになる変化球をことごとく見切られ、カウントを悪くし、甘い変化球を打たれる。
四球や長打で傷口を広げ、ついに1点を追加されてしまう。0-3。
なおも二死三塁、ピンチは続き、打席にはワールドシリーズで絶好調のジョージ・スプリンガーを迎えた。
落ちるスプリットを見切られ、ストライクゾーン内で勝負したスライダーを振りぬかれ、あわやと大ファール。変化球へのタイミングが完全に合っている。ならばと、全力のフォーシームを低めいっぱいに投じた——その瞬間。
完璧な軌道でフルスイングされたバットから、無残な快音が弾けた。
ドジャースファンが絶望の表情で打球を追う。レフトスタンドの中段へ着弾した、致命的すぎる2ランホームラン。
スコアは一気に0-5と広がりドジャースファンは静まり返る。
1回2/3を投げ、被安打3、失点が5。何よりも、これほどの多彩な球種とコントロールを誇る彼が——〝1つも三振を奪えずに〟ノックアウトされたのだ。マウンド上で俯き、ロバーツ監督にボールを受け渡すダルウィーシュの背中は、痛ましいほどに重く沈んでいた。
(……完全に見切られとった。球種がバレていたとしか思われへん。サインは交換した。と、いう事は……俺の……癖? 自分でもわかってない無意識の癖が筒抜けやった……? いや……それよりも……この大舞台で……土壇場で……5失点……)
失意のままベンチに引き返し、頭にタオルを被りベンチの端で深く沈み込むダルウィーシュ。これまでのキャリアが粉砕されたような無念と絶望が、全身にのしかかる。
頭を抱え込み、自問自答繰り返す背番号21の前に、静かに、だが力強く歩み寄る男がいた。
「ダルさん」
「……陽斗……すまん。俺が試合を完全にぶっ壊してもうた……。ここまで皆で戦い抜いたのに……」
「……下を向くにはまだ早いですよ」
陽斗は、年上の大エースを見下ろしながら、淡々と、けれど芯の強い声で言った。
「たかが5点。それに、まだ俺たちの攻撃が『あと8回も』残っているじゃないですか。落ち込むのは、負けた後のロッカールームでやりましょう」
その冷静な激励に、ダルウィーシュがハッとして顔を上げた時だった。
カァン!
先頭の7番フォーサイスがヒットで出塁。
「ほら、さっそく出ましたよ。頭上げて、声出していきましょう。案外、あっという間に追いつくかもですよ!」
そう言い残し陽斗はダグアウトの最前列へ戻っていった。
後続倒れ二死一塁となり、打席には2度目のバッターボックスとなる陽斗が入る。
(まずは反撃の狼煙を上げる。この嫌なムードを一振りで絶ち切る——)
初回で手痛いデッドボールを受けていたインコースを警戒しつつ、相手投手がアウトコースにボール1個分逃げるような軌道で投じた、97マイル(約156km/h)のシンカー。
多くの右打者が力負けしてセカンドゴロに打ち取られるその沈む剛球に対し、陽斗はあえて強く引っ張らず、下半身の壁で溜を作り軌道を合わせ——ボールの下部を的確に、凄まじいリストの強さで掬い上げた。
カァァン!!!
押し負けるどころか、バットの弾性にすべてのエネルギーが伝導されたような特大の打球。高々と打ち上げられた放物線は、あっという間にライトスタンドの中段へ叩き込まれた。
反撃の狼煙となる2ランホームラン。
「Yeeeeeaaah!!!」
球場の暗いムードは霧散し、こだまする歓声。エレンも弾かれたように立ち上がり、興奮して飛び跳ねている。
ホームを踏んだ陽斗を、ベンチ前で迎えたチームメイトたちが狂熱を帯びたような感情で激しくタッチを交わす。
先ほどまでの重く冷たかった絶望の空気が、たった一振りで綺麗に吹き飛んでいた。
ヘルメットを脱いだ陽斗は、依然として放心から覚めやらぬ顔のダルウィーシュの前へ速足で歩み寄ると、隣に座り静かな笑みを浮かべて口角を吊り上げる。
「2-5。ほら、あっという間に『たったの3点差』ですよ。ダルさん」
頼もしすぎる背番号29が、ダルウィーシュの肩を揉む。
「すこしは精気が戻りましたか? でもまだ声援が足りませんよ? 腹から声を出してください。全員で獲る、世界一のリングへの途中じゃないですか」
その言葉に弾かれたように、ダルウィーシュは立ち上がる。その瞳から絶望の影は完全に消え去っていた。鳳陽斗が上げた反撃の狼煙と共に、ドジャースベンチからは勝利を諦めない地鳴りのような咆哮が響いたのだった。




