第26話 ルーキー・ラギング・デー
2017年9月中旬。
レギュラーシーズンもいよいよ大詰めを迎え、西海岸ロサンゼルスから東海岸へと向かう過酷なロングロードトリップが始まろうとしていた。
ドジャース一行はワシントンD.C.からペンシルベニア州フィラデルフィアを巡る、片道2300マイル(約3700km)以上、フライトにして5時間超の大移動を控えている。
ホームゲームを終え、専用チャーター機へと乗り込むためにシャワーを浴びて私服に着替えようとした新人選手たちが、次々とクラブハウスで奇声を上げた。
「Hey! 俺のスーツがないぞ!」
「オーマイガー……これ着るのかよ……!」
彼らのロッカーの前に吊るされていたのは、元の私服ではなく、ど派手な変装コスチュームだった。MLBで9月に決まって行われる新人選手たちの伝統行事――『ルーキー・ラギング・デー』である。
「ああ……忘れてた……新人の通過儀礼の季節か……」
陽斗が呟きながら自分のロッカーを開けると、そこにはやけに見覚えのある形状の、宇宙服と甲冑を混ぜ合わせたような『戦闘服』がぶら下がっていた。隣のロッカーを開けたコディ・ベリンジャーが「何だこりゃ?」と目をパチクリさせている。
「おい、ルーキーども! 最高の衣装を見立てておいてやったぜ!」
ロッカールームの奥から、ニヤニヤと悪戯っ子のような笑みを浮かべたダルウィーシュと前園が現れた。彼ら日本人のベテラン二人が、新人ながら最大の注目を浴びているこの怪物コンビに向けて仕込んだ渾身のコスプレ。
それは、世界中で愛される『日本を代表する超王道バトルアニメ』の衣装だ。
コディ・ベリンジャーに与えられたのは、主人公が着ている有名な「オレンジ色の道着」だ。背中にはご丁寧に「悟」の漢字がプリントされている。
一方の陽斗に用意されていたのは、主人公の永遠のライバルである『戦闘民族のエリート王子』が着る戦闘服だった。ピッチピチの青いアンダースーツの上に着る、白と黄色の肩パッド付きアーマーに、真っ白なブーツ、そして真っ白なグローブまで揃った完璧なフルセットだ。
さらにロッカーの足元には、業務用の超強力なヘアワックスとハードスプレーの缶が無造作に転がっている。
「……マエケンさん、ダルさん。このヘアスプレー類はいったい?」
「ぉん? あの孤高のライバル戦士にするには、重力に逆らわせて前髪からブワーッと全部上に向かって髪の毛立てなあかんやろ?ほなハルト、これでガッチガチに固めてや」
「……えぇ? そこまでするんですか……?」
ダルウィーシュが満面の笑みで陽斗の頭をワシワシと弄り、ハードスプレーを盛大に振りかけてツンツンと逆立つ凄まじいスパイキーヘアを作っていく。
一方のベリンジャーは「オォー! 主人公のあの金髪に覚醒したやつ!」と、被らされた金髪に逆立つウィッグにご満悦の様子でオレンジの道着に着替え、腰に両手を構えて気を練るようなポーズをとっていた。
「よっしゃハルト、お前ちょっと動くなよ〜」
着替えを終え、見事に髪を立てられた陽斗のもとへ、ダルウィーシュが極太の黒い油性マジックペンを手にしてにじり寄ってきた。
「いや、何を……」
「じっとしとけて! 洗脳されて悪に染まった状態の時は、額にこれがないとあかんねん!」
ギュムギュム、と額に嫌な感触を伴いながら、陽斗の額に容赦なくアルファベットの『M』マークがでかでかと描き込まれる。
仕上げを終え、陽斗が振り返った瞬間クラブハウスのドジャースのチームメイトたちから爆笑の渦が巻き起こった。
「「「PFFFT!!! HAHAHAHAHAHAHA!!!」」」
「Hey Cody! 例のエネルギー波を撃つポーズやってみろよ!」
「ハルトの奴、背も高いし筋骨隆々なせいで、アニメキャラっていうよりガチで星を二、三個破壊しそうなやべーやつみたいになってるじゃねぇか!」
ターナーやカーショウ、ジャンセンといった名だたるメジャーリーガーが、一斉にスマホを取り出し、ノリノリのベリンジャーと、無表情を通り越して仏頂面になっている陽斗にカメラを向けながら爆笑している。
先輩たちのあまりに楽しそうな笑顔と容赦ないシャッター音に、陽斗はふと小さくため息をこぼす。
(まぁ、チームへのリスペクトだ……先輩たちがこれほど嬉しそうなら、少しくらい付き合ってあげるのも新人の義務……なのかな。)
陽斗の世代じゃないアニメだが、浅い知識を総動員し、カメラに向かってわざと深く眉間に皺を寄せた。
広い肩幅の前で両腕をがっしりと組み、打者を見下ろす時のあの底冷えするような極寒の視線を放ち、英語でそれっぽいセリフを言い放つ。
「Tch... Nonsense. Do as you please.(チッ……くだらん。勝手にしろ……)」
「「「WOOOOOOOO!!!!!」」」
「すげえ! あの不遜な雰囲気にピッタリだ! 」
額にMと描かれた若き怪物の腕組みポーズに、クラブハウスは拍手喝采、次々とカメラを向け動画撮影。
「……はい、お疲れ様です。もう十分に写真や動画は撮りましたよね。もういいですよね。スーツ返してください。」
3分後。嵐のような撮影会が落ち着いたのを見計らい、陽斗は戦闘服のファスナーに手をかけながらダルウィーシュたちに声をかける。
ダルウィーシュと前園は、ニヤつきながら顔を見合わせ、陽斗を咎める。
「……ん? 何を言うとんねんハルト。着替えてどうすんねん」
「へ?」
陽斗の手が止まる。前園がポンッと陽斗の青いタイツ越しの肩を叩いた。
「これは単なるクラブハウスでの仮装ちゃうで。ルーキーたちの本日の正装や。これで移動するに決まってるやろがい!」
一瞬、陽斗の脳内が致命的なエラーを起こす。
「えっ……待っ、待って下さい!このコスプレ姿のままで、外の大型バスに乗ってロサンゼルス空港まで移動するんですか……?」
「せやで」
「そこから5時間のチャーター機でのフライトを経て、そのまま東海岸フィラデルフィアの空港ロビーを通ってホテルに向かうまで……ずっと、この宇宙人の格好のままでいるという事ですか!?」
「Exactly!(その通り!)」
信じられない事実を突きつけられ、マウンド上でどれほどのピンチを迎えても決して崩れることのなかった怪物のポーカーフェイスが崩壊し、さぁーっと血の気が引いていく。
隣を見れば、ベリンジャーは嫌がる陽斗に対し「Is that really so?(ほんとにそうか?)」などと言いながら、ニヒルな表情を繰り出しているではないか。
(なんでコディはノリノリなんだ! 俺の美学が……イメージが……いや待て、空港なんかに行ったら絶対パパラッチが……! 日本のメディアも……!)
「あぁっほら! 言うてる傍からバスの出発時間やぞ! ほな行くでハルト! 荷物持って外並べー!」
「ちょっ、せめてこの額の文字だけは! ダルさん、これ除光液どこですか! マエケンさん!!」
「ヤバい、洗脳されたエリート戦士が洗面所へ逃げたぞ! カーショウさん、アイツの両手捕まえておいて!」
「Yes sir! 逃さんぞハルト!」
「なんなんですか!! 離せ! 離せったら! 離してぇぇ……!」
西海岸の夜風に吹かれながら、愛用の革製スーツケースを力なく引きずり、とぼとぼとうつむきながら遠征用バスに乗り込むエリートライバル戦士と、底抜けに陽気な金髪の主人公の姿があった。
人類史上最速107マイルの怪物が、半泣きで額のM字を消そうとゴシゴシ擦る哀愁漂う動画は、当然のようにロバーツ監督や同僚たちのSNSに即座にアップされる。Redditはおろか、世界中のスポーツメディアを半日の間『アニメから飛び出してきたエリート戦士』として愉快に賑わせることになるのを、彼はまだ知らない。




