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中卒の二刀流少年はMLBで無双する——最速MLB挑戦  作者: 北極海


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24/25

第22話 熱に浮かされて

 あのウェスタン・メタル・サプライ・ビルを軽々と飛び越える、驚愕の特大ムーンショット――勝ち越しのホームラン。

 それが漆黒の夜空へ放たれた、まさにその瞬間――。


 ペトコ・パークのバックネット裏最前列、キャッチャーのわずか数メートル後方に位置する最高級VIP席『レクサス・ホームプレート・クラブ』から、戦慄のデビューを完璧な特等席で見届けていた二人の姿があった。

 エリザと、この秋から晴れて9年生(フレッシュマン)としてロサンゼルスの名門私立校に進学するエレンだ。

 バックネットの真後ろというこの位置からは、打席に立つ陽斗の196cmの圧倒的な背中と、相手投手ラメットが投じる鋭いシンカーの軌道が手に取るように見える。

 4球目、顔面付近を襲ったインハイの威嚇球を、陽斗が体をわずかに反らせて冷たく見送った瞬間、エレンは横で息を呑んだ。そして迎えた5球目――アウトローへ沈む球に、陽斗の左足が土を噛み、バットが完璧な軌道で振り抜かれる。


 カアアァァンンッ!!


 ネット越しに響く、凄まじい肉薄した破裂音。

 ドジャースファンの割れんばかりの大歓声がスタジアムを包んだ直後、膝に置いたアナリスト・タブレットから目を離し、カールツァイス製の高性能双眼鏡を握りしめていたエレンは、そのままピタリと動きを止めた。


「Haruto……」


 スタジアムがお祭り騒ぎと熱狂の最中、両手の双眼鏡を握りしめた少女の唇から、無意識のうちにその名が甘く零れ、バイタルデータは異様な数値を叩き出していた。


【Target : Ellen S. Miller】

 ・心拍数 : 164 BPM[極度の頻脈 / 異常数値]

 ・体表温度 : 37.8 ℃[紅潮 / 発熱状態]

 ・血圧 : 134/82 mmHg[高揚]

 ・脳内麻薬物質 : MAX[計測不能]


【診断 : Fall in love ――重度の初恋症状】


 ダイヤモンドを淡々と、涼しい顔をして回る196cmの美しい巨躯《きょく》。バックネット裏から見上げるその姿は、まるで球界のプリンスのような圧倒的な威容を放っていた。

 世界最高の舞台で最も眩い光を放つ年上の少年に目を奪われたエレンは、周囲の爆音など一切聞こえていないかのように、ただポーッと熱に浮かされた表情で彼を見つめ続けていた。完全に我を忘れ、頬は火照り、潤んだ榛色《はしばみいろ》の瞳が揺れている。


「見た、エレン!? 特大ホームランよ!! あの子から事前にフィードバックがあった通り、私たちのギアは全くスイングを窮屈にしていないわね――――」


「……………」


 娘と喜びを分かち合おうと横を向いたエリザだったが、放心状態に陥っているエレンの姿を見て、息を呑む。

 顔の横で指を鳴らし「エレン、エレン?」と呼びかけても、娘の目は釘付けになったままピクリとも動かない。

 文字通り心を射抜かれたような、あまりにも分かりやすい熱に浮かされた表情。それを間近で見つめたエリザの、経営者としての鋭い分析回路は、一つの残酷な事実にたどり着く。


(これはもしや……。いや、春の誕生日ディナーで、あの子がわざわざあんな胸元開いたドレスを選んだ時から、多少そんな気はしていたけれど……。これは完全に〝堕ちている〟)


 娘の淡く美しい初恋の兆し。普通の母親ならば、目を細めて温かく見守りたくなるような、ティーンエイジャーの甘酸っぱい出来事だろう。

 しかし、対象が悪すぎる。悪すぎたのだ。


(エレン……。気持ちはわかるけれど、それはいけないわ。あの子はね……今日の一発で、世界中の巨大な思惑が群がる台風の目になってしまった。あなたが好きになったのは、ただの『野球が上手い男の子』なんかじゃないの。)


 17歳4ヶ月でメジャーリーグデビューという圧倒的な若さ。

 ブレない高潔な精神性。

 全米を熱狂させるアメリカンドリームの体現者。

 英語もスペイン語も完璧に操る知性と話題性。

 そして何より、メジャー最高峰の舞台で即座に証明してみせた、絶望的なまでの実力。


(東京に本拠を置く大手新聞社グループは、3A時代から彼の人生を囲い込もうと、局の看板女子アナウンサーと接点を持たそうとしている。日本の超巨大広告代理店や、大阪・神戸に本社を置く伝統ある大手野球ギアメーカーたちだって、うち(Ellen Sports)のような新興ブランドから彼の独占契約を力ずくで奪い取ろうと、巨額の資金を積んで画策してくるでしょうね。

 このオフ、MLB挑戦が予想されているあの大西翔平に並ぶ——いや、年齢を考えればそれ以上の最重要人物として。)


(アメリカ側だって黙っちゃいないわ。FOX、NBC……全米のメガメディアに加え、NikeやRawlingsといった巨大スポーツブランドが放っておくはずがない。

 商業、政治、メディア——あらゆる巨大な資本が、あの17歳の少年を自分たちの象徴にしようと群がり始めるわ……。)


 大人の欲望と、数十億ドル規模の利権が渦巻く。

 血で血を洗うような、極限のマーケット。

 そこに、純粋なデータへの愛と、14歳の淡い初恋だけを武器に飛び込もうとしている我が子。


(あぁ……かっこいい。なんて完璧なコンタクトポイントなの……打撃のアプローチ角度まで神懸かってるわ……ハルト……。)


(エレン……しっかりしなさい……)


 まだ溶けきった表情で陽斗を見つめ続ける我が子を見つめ、エリザはくすりと苦笑いを漏らすと、優しくその柔らかい髪を撫でた


(初めての恋の相手が、日米の巨大な利権を一身に背負うあんな怪物《フェノム》だなんてね。この恋の行方……予後は、並大抵の試練どころじゃないわよ。)


 けれど、エリザの瞳から迷いの色は消え、実業家として、そして何より一人の母親としての、頼もしく力強い覚悟の光が宿る。


(……でも、いいわ。そこまで本気なら、あなたの親として、私が一緒にその巨大な波を受けて立ってあげる。

 あくまでまだ一方的な恋だろうけれど……娘を応援するのが親ってものよね。

 ビジネスのことも、恋のことも、私がちゃんと見ててあげるから。)



 ―――――



 直後、7回裏終了後の攻守交代に伴い、ペトコ・パークの夜空に新たな場内アナウンスが重々しく響き渡った。


「Attention please. Now pitching for the Los Angeles Dodgers…… Number 29, Haruto Ohtori!」


 ご来場の皆様、ご注目ください。ロサンゼルス・ドジャース、ピッチャーの交代をお知らせいたします。背番号29、ハルト・オオトリ!



「「「HA-RU-TO! HA-RU-TO! HA-RU-TO!」」」


 敵地サンディエゴであるはずの球場に、地鳴りのようなハルト・コールの大チャントが吹き荒れる。

 打者としては文句なしの481フィートの超特大弾を見せつけた。——だが、世界が真に見たいのは投手としての彼の真価だ。

 日本代表とのエキシビジョンゲームで記録したあの105.6mph(約169.9km/h)の剛腕は本物なのか。はたまた、あの一瞬だけのフェイク映像だったのか。


 ダグアウトの階段を上がり、陽斗がゆっくりとマウンドへ歩みを進める。

 ドジャースブルーの半袖ユニフォーム。その右袖から手首にかけて伸びる右腕全体は、素肌の上に直接装着された漆黒のギア『Neutrino Arm』で隙間なく覆われていた。

 左腕のきめ細かな白い素肌とは鮮烈な対照をなす、片腕だけの漆黒のアーマー。

 ナイター設備に照らされ、身体の動きに合わせて鈍い光沢を放つその右腕は、異様な威厳と美しさを漂わせる。


 バックネット裏最前列の最高級VIP席、レクサス・ホームプレート・クラブ。

 エレンは膝の上の双眼鏡を置いたまま、両手を胸の前で固く握りしめていた。

 自分と母が、陽斗の身体を守るために情熱を注ぎ込んだ漆黒の右腕――『Neutrino Arm』を着用し、マウンドの中央で静かにロジンバッグを叩く少年。


 火照った頬と、うっとりとした甘い熱を帯びた瞳のまま、14歳の少女は吸い寄せられるように、背番号29の神々しい姿を見つめ続けていた。




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